あなたの隣に居るのは

大山 杜

小雨の降る肌寒い日の深夜近く

個人タクシーの運転手樋口は、客を乗せて走り去るテールランプを遠目に見ながら自分の前に居る客待ち待機車の台数を数え、欠伸を噛み殺した。


さっき着いた電車が下り線の最終だったはずだが、冷たい小雨の降りしきる夜中に歩いて帰りたがる酔狂な人も少なかろう。


寂れた駅の小さなタクシー乗り場には、まだ幾人かの乗客が並んでいるのが別のタクシー越しに辛うじて見えた。


待機列が進み、傘を差した男女3人連れの前に車を停める。


小さな折り畳み傘を差した女と、大きめの傘を差した男に寄り添うもう一人の女。


夫婦と女友達、といった感じだろうか。


「お待たせしました。足元、ご注意ください」


やっと進んだ待機列に内心溜息をつきながらも、それを声色に出さぬようにして、樋口は抑揚のない声で乗客を迎えた。


「運転手さん、新町の方って分かります?」


傘を畳んだ男がさっさと後部座席に乗り込んだところで、一人で傘を差していた方の女が樋口に問う。


「新町? あぁ、最近建った団地の方でしたっけ。まだあの辺のお客さんは乗せたことがありませんで。西町の奥の方ですよね?」


「それじゃ、私が隣に乗りますね。あの辺、入口の道がちょっと分かりにくいんで」


そう言って女が助手席に乗り込むと、バタン、とドアを閉めた。


「や、そいつは助かります。ナビもまだ反映してなさそうですし」


もう一人の女が後部座席に乗っていることをルームミラーで確かめ、樋口は自動ドアを閉めた。


車が発進してから間もなく、乗客の男は寝入った様子だった。


「今日は友達の結婚式だったんですよ。ちょっと二次会で飲みすぎちゃって」


助手席の女は身体を捻って後部座席を振り返り、少し呆れたように言った。


「それはおめでたいことですね」


うつむき加減でいびきをかく男と、その右肩に寄り掛かる女をルームミラー越しに見遣り、樋口は相変わらず抑揚のない声で言祝いだ。


「同級生がどんどん結婚ラッシュで。もう御祝儀が大変」


「なるほど、大変そうですね」


酒が入っているからだろう、助手席の女は樋口の適当な相槌も気にせず、返って気を良くした様子でペラペラと雑談とも愚痴ともつかぬ事を言い立てる。


そのうち車が西町に差し掛かると、それに気づいた女が「あ、もう少し先のカーブのとこで左です」とナビゲーションを開始した。


「ここですか?」


「はい。雑木林で見通しが良くないんですけど、その先のカーブの途中に分岐路が」


雨足が強まり、ヘッドライトに切り取られた雑木林も霞んで見える。


大きく左にカーブした道に差し掛かり、樋口はスピードを落として目をこらした。


「もうちょっと、もうすぐ…あ、そこです、そこ!」


街灯の一つも無ければ、案内板すら見えなかったが、女の指し示した先には分岐路が存在した。


「これは、確かに分かりずらいですね。お客さんが教えてくれなかったら見落とすところでした」


「でしょう? 私も普段運転する時、うっかり通り過ぎちゃうことがあって」


樋口の軽口に対して、女は肩を竦めながら返した。


本道から左折してタクシーは分岐路へ入る。


左右からせり出すような雑木林に僅かな圧迫感を覚えながらも、樋口はタクシーを駆る。


タイヤから伝わってくる感触から、舗装は新しいように感じたが、道の開通を優先したせいか、相変わらず街灯の類は無く真っ暗な細い道だ。


この辺りで鹿やタヌキなどが生息しているとはあまり聞かないが、何かが飛び出して来ても不思議ではない。


タクシーのルーフとフロントガラスを叩く雨の音と、後部座席の男のいびきが聞こえる。


樋口はやや警戒しながら、速度を控えめにして暗い道を進んだ。


幸い何事もなく道なりに進み、ようやく雑木林が開けて団地の灯りが見えた。


「あ、運転手さん、もう少しですね。2つ先の角を右に行ってください」


「2つ先を右ですね」


途中、押し黙るように静かになっていた助手席の女も人工の灯りが増えて安堵したのか、やや明るい声で道順を指示する。


女の指示にしたがって何度か角を曲がり、間もなくタクシーは目的地に到着した。


「お連れさんも同じ所にお住いで?」


「あ、はい。おいくらでしたか?」


樋口が示した料金を支払うと、女が助手席から降りる。


樋口が自動ドアを開けると、女は男の肩を揺すった。


「ちょっと! タクシーもう着いたよ! 起きて、アナタ!」


「うぅん、おきた、起きたよぅ」


「もう、そんなにお酒強くないのにあんなに飲むから!」


女が男の左腕をとって肩を貸すようにしながら、男を車外に引きずり出した。


男は多少ふらついているが、自分の足で立っている様で、どうやら酔っ払いを部屋まで運ぶ介助は不要そうだと樋口は安堵のため息をつく。


「それじゃ、運転手さん、お世話様でした。帰り道お気をつけて!」


「こちらこそ、ご利用ありがとうございました。そちらもお気をつけて」


妻に半ば担がれるように支えられた夫と、その隣の女を見て、樋口は自動ドア閉めてタクシーを発進させた。


今日はもう上がりで良いだろう。


いつの間にか雨も止んでいたようで、雑木林の中の細い道も先程より走りやすく感じる。


しかしさっきの乗客、最初に見た時や車内の様子から、てっきり後部座席の2人が夫婦だと思っていたが、まさか助手席に座っていた方が妻だったとは。


随分親密そうに見えたが、一体あの男とはどういう間柄なんだろうか。


そういえば、あの女。






一体いつ車を乗り降りしていたんだろうな?



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