第12話 無重力と無秩序

 無重力って楽しい。

 心の底からそう思った。


 でっぷりと肥えたおばさんが目の前を横切る。バランスを取ろうとして体が回転し、俺にスカートの中を見せてしまう。特に嬉しくはないのだが、ドイツ語で恥ずかしいわ! とか言ってるような気がする。

 由紀子は同世代の女子と手を取り合ってはしゃいでいた。DankeとかMerciとか言ってる。その辺の言葉は事前に勉強してたようだが、いざとなると言葉の壁なんて関係ないようだ。


 楽しい時間はすぐに過ぎる。名残惜しいが無重力イベントは終わった。重力が元に戻り、皆が床にゆっくりと着地する。うまくバランスが取れない人は乗務員が介助をしていた。しかし、皆笑顔でいかにも楽しかったという表情だった。俺もきっとそういう笑顔をしているのだと思う。

 しかし、その中で一人だけ渋い顔をしている大人がいた。白人で初老の男性だったが、その人は席に座ったままだった。その姿に何か異質なもの感じた。それは、何か禍々しいといった感じなのだが、それが何なのか俺にはわからなかった。


 その後は昼食時間となった。俺たちは上の階の食堂へ行き、お弁当のサンドイッチを受け取った。サンドイッチを配っていたのは、空港で俺たちを案内してくれた金属製のアンドロイドだった。


「いらっしゃいませ。辰彦くんと由紀子さん」

「あー。フランソワさんだ」

「はい。フランソワです。お二人分ですね。はいどうぞ」


 俺たちはアンドロイドのフランソワからサンドイッチを受け取って、手近な席へと陣取った。その席からは、ちょうど地球が見渡せた。

 青々とした地球を眺めながらの食事は格別で、サンドイッチの味なんてよくわからなかったけれども、とにかくおいしかった。


 満腹になると眠くなる。

 時差ボケの影響があったのだろう。俺達は食堂のテーブルで眠りこけてしまったようだった。気が付くと俺は簡易シートに座らされ、妹は厨房のオジサン抱かれていた。


「坊やたちは日本から来たの?」


 目が覚めた俺にウェイトレスのお姉さんが日本語で話しかけてきた。紺色のエプロンドレスを着ている。短いスカートからのぞいている細くて長い脚が素敵だった。


「ええそうです。自分は辰彦タツヒコといいます」

「そう、良い名前ね。タツはドラゴンのタツかしら」

「十二支の辰ですから……竜ですね。ドラゴンとか思ってなかったですけど」

「カッコいいわ。私はエミリ。そっちのオヤジはジャンよ」


 妹を抱えているヒゲ面のジャンはニコニコしながら手を振ってくれた。


「すみません。重たいでしょ」

「問題ないよ。こんなかわいい娘なら大歓迎だ」


 ジャンも日本語が堪能だった。


「それ、妹の由紀子ユキコです」

「タツは幸せ者だな。こんな仲の良い妹がいるなんてな。人生の勝利者だぞ」

「いや、いつもは喧嘩ばかりで……」

「そこが良いんだろ?」


 俺が首をかしげていると、エミリが助け舟を出してくれた。


「ねえジャン。世の中の兄が全て妹萌えだとは限らないのよ。あなたは日本のアニメ見すぎです」

「そうかな? こんなかわいい妹なら萌え萌えだと思うけど」

「すみません。自分は妹が相手だと萎えます」

「おおお。萎え。萌えの対義語だな。ちなみに萌えも萎えもフランス語ではmoe、naeだ」


 そうなのか? 知らなかった。

 由紀子はいい気になって眠ってる。


「そろそろ加速するわ。スイングバイとプラズマロケットの噴射を併用して一気に倍の速度を出しますよ」

「俺達、席に戻らなくても大丈夫ですかね?」

「大丈夫。ちゃんとアテンダントには伝えてます。加速が終わったら席に戻ろうね」

「はい。ありがとうございます。ところで、日本語が物凄く上手ですね」

「私、日本に留学してたのよ。日本の文化が好きでね。親に無理言って留学させてもらったのよ」

「そうなんですか」

「そう。ジャンはアニオタよ」


 ひげ面のジャンがグイっと親指を立てて、ニヤリと笑う。


 チャイムが鳴り何やら放送し始めた。


「席についてシートベルトを締めなさいって」

「はい」


 エミリさんに返事をしてからシートベルトを確認する。きちんと締まっていた。


 クラージュが加速を始めた。発進の時ほどではないが相応のGを感じる。


「約7分加速するわ。待てるわよね」

「ええ大丈夫です」


 その時、由紀子が目を覚ました。


「え。何? やだ。どうなってるの?」

「今、加速中だから大人しくしろ。その人はジャンさん。『魔法少女マリカ&セリカ』が大好きだって言ってたぞ」

「ユキ。オジサンは日本のアニメが大好きなんだよ。私はどちらかと言うとクールなセリカの方が好きかな」

「まあ、セリカちゃんはそうね。クールビューティでカッコイイ系かな? でも私は、超絶可愛いマリカちゃんに萌え萌えなの」

「そうだね。マリカは無茶苦茶可愛いね」

「でしょ」


 アニメの話題でこの場が盛り上がる。しばらくは、由紀子の事はジャンに任せとけばいいかなと思って一息ついた。


 由紀子とジャンのオタク談義は続いている。アレコレと魔法少女アニメについて語り合っていた。日本の小学五年生と、フランス人の中年男性がオタク談義で盛り上っている場面は、結構シュールな構図かもしれない。


「おかしいわね。加速時間が長いわ。これだと月を飛び越えて行っちゃうかもしれない」


 時計を見ながらエミリさんがつぶやく。その場にもう一人いた若い男性のスタッフが、厨房から外へ出ていく。


 その時、銃声が響いた。

 アサルトライフルなのか。パパパパパと連続した破裂音が周囲に響いた。


「フランソワ。厨房を閉鎖して!」

「了解しました。厨房閉鎖します」


 食堂との間にシャッターが下りた。

 スイッチを操作したのは、先ほど食堂でサンドイッチを配っていたアンドロイドのフランソワだった。


 そのシャッターも銃で撃たれ、小さい穴がいくつも空いた。


「さっきの男の人は?」


 ジャンは首を横に振る。


「助けないの?」

「あなた達を守るためにシャッターは開けられないわ」

「ハイジャックですか?」

「分らないわ。でもハイジャックならまず殺さない。人質にして何か交渉するために乗っ取るの。けど、彼は警告なしに撃たれた。しかも実銃を使ったわ」

「それはどうして?」

「船に穴が開いてもいいのよ。人命なんかこれっぽっちも考慮していない」


 まさか……自爆テロ?

 楽しいはずの宇宙旅行が最悪の展開となってしまった。

 由紀子はジャンにしがみついて震えていた。

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