写真

 彼は写真に映るのが大の苦手だった。

 初めはそれを隠すために撮影役を買って出ていたのだが、不思議なものでいつしか写真撮影は彼の一番の趣味になっていた。



「…だからって、ねぇ」


 泣き笑いの顔で、妻は弔問客に挨拶する。

 

「遺影にできる写真が一枚も無いなんておかしいですよね。……でも、それもやっぱりあの人らしいのかもしれません」


 そう言って振り返る視線の先。祭壇に飾られた彼の写真は今よりも大分若く、ピントもズレた横向きの笑顔だった。



 ◇◇◇◇◇


 

 —先輩は本当にこれで良いんですか?—


 彼の職場の後輩にあたる青年は、遺影に向けて問いかけた。


 青年が入社した時には、既に彼は社内でも有名な写真好きだった。イベントごととなれば、いつもカメラを手にあちこち走り回っていて。けれど確かに、彼自身が撮られる側に収まっているのを見た記憶がない。


 「大丈夫?」


 囁くようにかけられた声で我に返る。

 横を向けば心配そうな同僚の顔。付き合って三年になる彼女とは、今年挙式を行う予定だ。

 彼女への秘めた気持ちをいち早く察してくれたのも、それを後押ししてくれたのも、交際開始から挙式に至るまでを誰より喜んでくれたのも彼だった。

 レンズを通せば全てお見通しなんだよと冗談めかして笑っていた、その顔を思い出す。

 

 —そんなに色々分かるって言うなら—

 

 横の彼女に頷き返してから、喪主として挨拶を続ける彼の妻を見上げる。


 —どうして大事な奥さんの気持ち、分かってあげなかったんですか。あんなに寂しそうな顔した奥さん残して、何やってんですか—




 その後、通夜の間中じっと何事かを考えていた青年は、帰り道を共に歩く彼女に告げた。


「あのさ、俺考えたんだけど」



 ◇◇◇◇◇



 一人では随分広く感じるリビングルーム。長い間二人でいるのが当然だった空間を埋めてくれる人はもういない。

 恐らくかなり前から自覚症状はあったはずだと医師は言っていたけれど、彼は痩せ我慢をする人だったから。妻や周りが気づいてから後は、本当にあっという間だった。


 夫婦仲は良かった方だと思う。

 子供は授からなかったけれど、二人でも沢山の幸せを感じられた。

 けれど今、妻の手元に残る彼の写真はたった一枚。遺影となったあの写真だけだ。それも何年も前の旅行中、妻が不意打ちでスマホで撮ったもの。あの後しばらく写真を消す消さないで揉めた、そんなことさえ懐かしく感じられる。


 彼自身の写真がそれしか無い一方で、本棚のアルバムには、妻や友人、職場の同僚の写真がぎっしりと詰まっていた。

 皆が楽しそうにしている顔を撮るのが自分の楽しみなんだ、と。そう言って、いつもここで嬉しそうに写真を眺めていた。その姿をなぞるように、今は何も載っていないテーブルに触れてみる。


 

 その時、インターフォンが鳴った。

 カメラを確認すると二人の顔が写っている。少し考えて、葬式にも来てくれた夫の会社の青年達だと思い至る。突然の訪問に戸惑いながらも、二人を招き入れた。



 ◇◇◇◇◇



 それから約一ヶ月後。

 青年から連絡を受け、妻は夫の職場を訪れていた。

 


 丁重に迎えられて通されたのは会議室のような少し広めの一室。そこに集まった予想外の人の多さに驚き、さらにその奥に飾られたものを見て息を呑んだ。


 正面の壁に貼られた大きな写真は、確かに夫のあの笑顔の写真だ。ただし、葬式の遺影ともスマホに残る写真とも違うのは、この写真が沢山の小さな写真で出来ていること。


「これ、全部ご主人が撮ったものです。お借りしたアルバムの写真から作りました」


 促されて妻が写真に近づく。本当だった。その小さな写真の全てが見覚えのある、彼の撮影らしい笑顔の写真だった。


 モザイクアートというらしい。

 二人が訪ねて来て、アルバムと遺影の写真を貸してほしいと頼まれたあの日。説明してもらったけれど、まさかここまでのものになるとは思いもよらなかった。

 

「ご自身の写真は無くても、この写真全部が先輩そのものだと思うんです。こんなに沢山の人の笑顔を残した先輩は、やっぱりすごい人なんですよ。それをどうしても奥様に伝えたくて…皆も協力してくれたんですが、思ったより時間がかかってしまいました。すみません」


 溢れる涙で喋ることもできず、妻はただただ首を振って、何度も頭を下げた。

 

「…よかったら、ここで先輩と一緒の写真を撮らせてください。先輩みたいに良いカメラでも、もちろん良い腕でも無いんですが」


 断る理由など何も無かった。

 彼の笑顔を取り囲むようにして、皆で左右に並ぶ。


「はい、じゃあ取りますよ!」


 タイマーをセットして、青年がこちらに駆けてくる。フラッシュの光とシャッター音。それを何度か繰り返した。


「ありがとうございました!この写真は、後で皆さんにお渡ししますね」


 その言葉に、緊張が解けた人々が自然と笑顔になった。


「奥さん。ご主人は本当に写真撮るのが上手でね。彼に声をかけられると、何故だか自然に笑顔になっちゃうんですよ」

「そうそう。俺、自分ってこんな良い顔してんだなぁって、もらった写真見ていつもびっくりしてました」

「そりゃお前の気のせいだろ」





 笑いやざわめきに満ちたその和やかな雰囲気の中。


 決して誰にも気づかれることのない腕が、そっとカメラに伸ばされた。

 ファインダーごしに皆を見つめる目が嬉しそうに細められ、そして。

 

 カシャ。

 

 その画面に一瞬だけ写って消えたものは、皆が楽しそうに笑っている、彼が何より撮りたかった光景だった。

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