9節

「必殺!!! 天空大鷲落とし!!!」


 ルナとブルートのちょうど真上から轟いたバリトンの次低音。ブルートは上空を見上げ、その瞳に声の主を捉えた。

 地上から20メートル近く。天高く舞い上がっている人間。声からして男であろう彼は、両手で片刃の大太刀を握り、それを大きく上段に構えている。体を包んだダークグレーの鎧。頭を完全に隠す兜は寛人がいた世界で言うところのフルフェースのヘルメットに近い。だが、フルフェースのヘルメットならば本来は見えるはずの鼻根も全く見えない。もとより、外を覗くはずのシールド部分がほぼ真っ黒に塗装されている。いまだ地平線の向こうにある太陽の空を薄く白ませる程度の弱い光の当たり具合で、何とか右の瞳が瑠璃色だと認識できる。その瞳はまっすぐにブルートをフォーカスしている。宙に飛ぶ鎧の人物は高々と振り上げた太刀を構えたまま、重力に何かの力を足したのか、かなりの速度で降下してくる。


「ちっ……」


 ブルートは首に手をかけていたルナを乱暴に投げ捨て、大きくバックステップを取る。そこにすさまじい勢いで着地する鎧の人物。着地と同時に振り上げていた大太刀を地面に叩き込む。着地の衝撃もさることながら、大太刀の上段一閃は轟音と土煙を立て、地面も空気も揺らした。ブルートは空から襲い掛かった存在に剣を構えるが、警戒してか土煙の中に影を揺らす鎧の人物に斬りかかったりはしない。

 ひゅうっと、一陣の風が吹く。朝の冷ややかな風に吹かれて、土煙が晴れる。その土煙を背景に全身鎧のそいつは立っていた。片刃の大太刀を肩に掛けて、


「おいおい、逃げるんじゃないよ」


 なんだか楽しそうな、よく響くバリトンの声。ほとんど見えないヘルメット内にある青い瞳が笑っているように見えた気がした。


「あと少しってところで俺の必殺技が決まりそうだったのによ~。空気読んでくれないと困るね、まったく」


「ズバッと技が決まったらかっこいいと思わないか?」などと話しかけては、大げさに肩をすくめて見せるが、当のブルートはまるで反応を示さない。寒いほどの無表情だ。どんな冗談にも吸血鬼はにこりともしないのだろう。


「いきなりなんだ、貴様」


「貴様? 驚いたな、貴様なんて初めて言われたぜ。そんなご丁寧な呼び方どうもありがとう」


 大げさに恭しく一礼して見せて、


「だがな、俺にはちゃんとした名前があるんだ。ハインツ=シュターゼン、お前が狩られる側ならちゃんと覚えとくんだな!」


 声高に、快活に、そのヘルメットで隠れた口が自信満々にその名を告げた。ハインツと名乗った男は大太刀を器用に片手で回して見せると、そのまま中段の構えを取る。乱れ刃の美しい剣相は金属独特のきらめきを放って、その刀が名刀であることをうかがわせる。

 ブルートに投げ捨てられ、地面に伏したままだったルナは艶の少ない鎧の背を見つめて、


「ハインツ=シュターゼンって、たった数人しか選ばれていない特殊電撃戦隊の一員の……!」


「お? お嬢ちゃんは俺のこと知ってくれてたのか。そりゃありがたいね。――ちょいと待ってな。今こいつやっつけるから」


 ハインツはルナを背にしてブルートに向き合う。その姿はまさに強敵に一人立ち向かう、ヒーローだ。そのヘルメットの中の表情が笑みから変わるのを感じる。


「この村、お前がやったんだな?」


 バリトンがさらに一段低くなる。剽軽な雰囲気は掻き消えた。口調そのものが睨むように、ブルートに向けられる。ハインツの声色と言葉の調子から答えは答えられようと違うと否定されてもどうだっていいという雰囲気がある。

 いよいよ東雲が立ち始めた東の空を恨めしそうに見ながら、


「そうだ、と言えば?」


 ブルートは冷たく言った。一日で一番冷える明け方の気温は彼の語調が作り上げていると言われてもおかしくない。

 その言葉に、ハインツは行動をもってして返す。目には目を。暴力には暴力を。ハインツ自身の心得の一つが選択され、実行された。


「てめえを狩るだけさ……!」


 腰を落とし、右足を引く。刀をブルートから隠すように脇に構える。『脇構え』という構えだ。体を内に巻き付けるように、ハインツの肩がほんの少し下がった。引いた右足のつま先が地面を蹴った。

 いつの間にかハインツはブルートの背後を取っていた。目にも止まらない速度で動いたのか、本当にテレポートしたかのようにそこにいて、刀を巻きこむように引いてブルートの白い首を狙っている。乱れ刃が異様に鋭い輝きを放った。


「暗殺 月光烏魔討ち」


 底光りの一閃が朝の澄んだ空気を裂く。鈍く光ったその刃は首を確かに捕らえたかに見えた。だが、ハインツが背後を取った変態的機動に驚いたのは俺とルナで、吸血鬼は全く冷静だった。


「だから愚かなのだ」


 言葉だけ残して、奴は消えた。まるでハインツの「月光烏魔討ち」のように。ハインツの太刀は空気しか切れなかった。大気を割った鈍い煌きは短い音だけを凛とした空気に残すに終わった。俺が勝利を予感した一撃はむなしく不発に帰す。


「人間の酸鼻な信念と惰弱な技、それではわが命には届かん」


 最初出会った時のように、その氷点下の声は診療所のがれき山の方から聞こえる。小さな破片が転がり落ちる。俺がその音を頼りに首だけを動かすと、見下ろすように奴はいる。その手からはあの深紅のサーベルは無くなっている。術式を解いたのだろうか。空いた両手をコートのポケットに入れている。


「日出か」


「にっしゅつ? ……あぁ、日の出のことか」


 ハインツは白んだ空を横目にブルートに向き直る。技がかすりもしなかったことは気にしていないようだ。


「申し訳ないが、貴様らの相手はここまでだ」


「はぁ? なんだよ急に。せっかく始まったばかりだぜ?」


「陽光、特に地平線から顔を出した後の太陽光線は吸血鬼にとっては毒でね。自ら進んで毒を呷るような愚行はしたくないのでな。相手をする暇が無くなってしまった」


 本当に残念だと、俺たちを見降ろした。狙った命を狩り切れなかったことへの後悔。こいつには人の命も、野兎や鹿といった被狩猟動物と変わらないのだろう。


「その代わりと言っては何だが、貴様らにまいない、いや、飛報を与えておこう」


 ブルートはルナの術式を弾き飛ばした時のように指を鳴らす。一枚の紙がハインツの目の前にひらひらと舞い落ちた。


「拾い給え」


 なるべく視線をブルートから外さないように紙を拾い上げ、それに目を通す。


「これは、地図か?」


 白茶けた紙面には今いる村の名前が矢印で繋がれている黒い点と他にもう一つ同じ点が紙面左下の端に描かれている。ハインツの疑問に繋ぐようにして、


「そう。左下端にある黒点。ここから西に向かった、こことそう大差ない小さな村」


 一拍おいて、その口の端を歪めながら、


「今夜の日付が変わるころ、私直々に赴く所だ」


「なんだと」


 ハインツは顔を上げる。


「だから賂と言ったであろう。人間の言葉で『情報は金』と言うらしいではないか。貴重な情報を予告してやっているのだ」


 せせら笑って、


「そこでまた、粛清を行う。止めたいのであれば、来ればよい」


 血赤の瞳が異常に歓喜に満ちている。また、こんな非情な行いを企んでいるのか。粛清なんて正義面した言葉を使っているが、鏖殺、残害、虐殺、ブルートが忌み嫌う人類の行為となにが違うのか。それを否定したくて、行動に出たのではないのか。


「まぁ、来なくて構わんが。そこには軍隊が派遣されているはずだろうし」


「軍隊? ここ周辺だと魔王国境駐屯軍が派遣されるだろうけど、どうして軍がそこにいるってことが分かるのよ」


 ルナが問い、すぐにブルートから答えが出る。


「軍の予定は基本把握している。あるところでその情報を得たのでな」


 然もありなんという態度。


「わざわざ軍がいる所に行くのか」


「いちいち駐屯地に私が行ってやることもないと先日気づいたのだよ。人間は一網打尽に限る」


 ブルートはポケットから手を抜き、爪の伸びた細い指をハインツに向けた。


「つまりだ。貴様らには選択肢がある。その村に来るか、来ないかの二択。私としてはぜひ来訪してもらい、そこの人間とともに灰燼に帰してもらいたいのだが、そこの瀕死の男がいることだし、逃げてもらっても一向にかまわん」


 さもしい笑みで俺を見つめた。少しの抵抗として石でも投げたいが、瀕死の俺には指を動かすことさえままならない。

 挑発的目つきで俺たちを一瞥して、


「さて、私はもう行かねばならん。村への攻撃準備とともに貴様らの迎撃も用意しておく」


「おい! 待てやコラ!!」


 ハインツが飛び出そうとするが、その前に、


「それでは失敬」


 その言葉とともに体が黒い灰となって大気に溶けた。灰が目で捉えることができなくなると同時に、乾いた地平線から太陽が顔を出した。太陽光が差し始めたからか、それともブルートが消えたからか分からないが、空気は熱を帯びて温かさを感じることができる。空に薄い雲が浮いていた。よく晴れた春の空。今日も朝日はまぶしい。俺の視界は白い朝日の穏やかな光に包まれて、そして暗転した。


「逃げたの……?」


 ルナが生気の抜けた声を出す。ペタンとへたり込んだまま動けない。辺りは悪夢が去ったように穏やかで静かだ。


「みたいだな」


 ハインツは大太刀を背に掛けた鞘に納めるとルナに手を貸した。その手を取らせてなんとか立ち上がらせる。


「大丈夫か?」


「うん――って、ヒメカミ!!」


 すっかり静かになってルナは忘れていたが、寛人はブルートが去るのを見届けると、いよいよ力尽きて自分の血の池に沈んでいたのだった。


 ◇

 

 4月3日

 連盟王国中央アジア方面軍 『魔王領国境駐屯隊被害』についての報告書


 去る3月27日、魔王領国境駐屯中の11、12駐屯中隊が襲撃を受けた。被害甚大、生存者無し。被害状況を鑑み、魔王軍進出の可能性ありと判断され、翌3月28日、中央司令より特別警戒態勢指令『ORDER11』が発出。その後魔王軍の侵攻は認められなかったため、4月1日『ORDER11』は解除。指令発動解除後も被害状況の調査は継続。刺殺や斬殺されている者が多いため、現状においては違法冒険者および魔人による襲撃の可能性が高いと見ている。


 壊滅した11、12駐屯中隊の管轄はインド半島方面軍からの部隊派遣で対処。周辺哨戒については冒険者ギルドより、特別電撃戦隊所属「ハインツ=シュターゼン」が出向している。


 引き続き詳細な調査と現地の治安維持に努める。


 以上

 

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