第35話 初めまして

「紡!! 大丈夫!?」


 息を切らしながら駆け寄ってきたヒマリが、俺の背中に勢いよく抱きついてくる。


 その衝撃によってマシになっていた傷の痛みが再び蘇ってきた。


「痛ってぇぇ!! よく見て!? 怪我人だから、俺。そこそこに怪我人だから!」

「ご、ごめん……ってうわぁ! ホントに血だらけ……早く手当てしないと!」


 ヒマリは俺から離れると、慌てふためくようにキョロキョロと辺りを見回す。


「落ち着けって! 見た目ほど酷くはないから。死にゃしねーよ」

「そ、そっか。覚醒個体――ニコ君は……」

「その……取りあえず、戦いは終わったよ」

「うん――お疲れ様」


 ヒマリは俺の心を見透かしたように察した表情を浮かべると、座ったまま今度は正面から抱きついてくる。


「ちょっ、お前」

「いいから。暫くこうしててあげる」

「……うん」


 多分、俺もかなり顔に出やすいタイプだからバレてしまっていたんだろう。


 ニコが消滅した後、俺はただその場で膝をついたまま夜空を見上げていた。


 正直、気持ちの整理が追いつかず、悲しいとかそういった感情は余り沸いてこなかったように思う。


 少し冷静になった今となっては、友を失ったという事実を少しずつ受け入れられた。


 どうすれば、ニコを止める事ができたんだろうか。


 何て言葉をかけてやれば、ニコの心を救えたんだろうか。


 そんな事を今考えてもしょうがないのは分かっているつもりだ。それでも、俺はこれからもニコと友達でいたかった。


 しかし、不思議と涙は流れなかった。寂しくはなかった。


 それは、ニコが最後に言った〝またね〟という言葉のおかげだろう。


 ニコがどういう意図で言ったのか分からないし、また会えるという根拠はどこにもないけれど、直感的に俺はまだニコと心の中で繋がっているような気がした。


「なあ、ヒマリ」

「ん?」

「いつか――いつかさ、また会えるかな……」

「――魔界ではね、死んでしまった人の心の欠片がその人が大切に想っていた家族や友人、恋人に宿るっている言い伝えがあるの。だからさ」


 ヒマリは俺の肩を掴み、体から離すと右手でそっと俺の心臓の辺りに触れた。


「紡の中にもきっといるよ」

「……うん」


 俺はヒマリの手に自分の手を重ねる。


「ありがとう、ヒマリ」


 ヒマリのおかげで思ったよりも早く立ち直れそうだ。


「どういたしまして。それじゃ、帰ろっか」

「いや、その前に行かなきゃならな――って!? なっなんだ!?」


 ヒマリの背後に突然、扉の形を象った紫色の光が現れる。


 そして、その扉が開くと中から金髪の女性が現れた。


「やあやあ、皆お疲れ様。どうやら、無事に戦いは終わったようだね」

「ク、クレア様!?」


 クレア様と呼ばれたその女性は俺達の方に歩み寄り、近くにしゃがみ込むと俺の頭をぽんぽんと叩く。


「よく頑張ったね、紡」

「ア、アンタは」

「一応、初めましてだね。私はクレア。ウサギ達から話は聞いていると思うけど、中央魔法機関の最高責任者さ。よろしく」


 彼女は握手を求めるように手を差し出してくる。


 この人が噂に聞いていたクレア様か。


 容姿端麗という言葉かこれでもかという程に似合っている綺麗な顔立ちに、ミステリアスな紫色の瞳。


 俺が手紙から推察していた人物とはかけ離れている。


 もっとこう、何かダメ人間みたいなアホ面を想像していたせいか、少し申し訳ない気持ちになる。


「よ、よろしく」


 俺はクレアの握手に応じる。


 手のひらから伝わる冷たくも包容力のある感触は、どこか懐かしい気がした。


「ヒマリもお疲れ様。前よりも逞しくなったね」

「あ、ありがとうございます……」


 クレアに優しく頭を撫でられるヒマリは顔を真っ赤にして照れくさそうに俯いている。


 あーこれ。ウサギに見られたらやばいんじゃない。大変な事になるんじゃない。


 そんな事を考えていると、案の定どこからか駆けつけてきたウサギがヒマリに盛大にタックルをかました。


「うわぁぁぁ!?」


 ヒマリを吹き飛ばしたウサギは一目散にクレアの胸の中に飛び込んだ。


「クレア様! ウサギは頑張りました! 褒めて下さい」

「こらこら。皆と仲良くしなさい」

「私はクレア様がいればそれでいいのです」


 すごい狂信っぷりだな……。


 吹き飛ばされたヒマリは足を抱え込むように座り、肩を落としていた。


「ウ、ウサギちゃん……私もウサギちゃんモフモフしたい……」

「そっちかよ!? ったく……それより、ウサギも無事だったんだな。良かった」

「はい。紗希さんの協力があったので、何事もなく魔獣シャドウを討伐する事ができました」

「やっぱり、そっちに行ってたんだな。あいつはもう帰ったのか?」

「いえ、一緒に来ていますよ」

「へっ?」

「よう紡! お疲れさーん!」


 バシンと背中を強く叩かれる。その犯人は振り向かなくても容易に分かった。


「痛てーな。だから、俺怪我人なんだって」

「そんなかすり傷、気にすんなって」

「いやこれ意外と痛いから。全身切り刻まれてるから」


 そんな俺達の会話を見て、クレアは腹を抱えて笑い出した。


「アッハッハ! 紗希の横暴さは相変わらずだね」

「あ~ん? 少し見ねー間に老けたんじゃねーのか? この妖怪若作りが」


 ん? ちょっと待て。紗希はクレアと初対面じゃないのか。


「おい、紗希。もしかして、クレアと知り合いなのか?」

「ああ。知り合いっつーか腐れ縁っつーか。まあそんな所だ」

「私たちは往年の戦友なんだよ」

「てめーの戦友やってたら、命がいくつあっても足りねーよ」

「まっ待て。じゃあ、紗希はヒマリが来た時、馴染むのが早かったのって色々知ってたからなのか」

「まあな。あんまり詳しくはねーが、魔界についてはずっと前から知ってたからな」

「そういうのは早く言ってくれよ……」


 ヒマリが来た時も、ウサギの時だってそうだ。どうも、状況の飲み込みが早いのは細かい事を気にしない大雑把な性格が原因かと思っていたけど、まさか魔界と繋がりがあるなんて思いもしなかった。


 何だか、少し裏切られた気分になる。


「お二人とも、少し口の利き方には気をつけましょうか」

「ん? ウ、ウサギさん!?」


 いつの間にか目の前に移動しているウサギが俺の顔の前に手をかざしている。


 その指の隙間から見える三白眼の瞳からは殺気がダダ漏れていた。


「頭を消し飛ばして欲しくなければ、まずは呼び方から直してもらいましょうか。クレアじゃなくて〝クレア様〟です」

「あっはい……す、すいませんでした」

「いいんだよ、ウサギ。紗希は前からこんな感じだし、それに――紡に〝様〟付けで呼ばれると、何だかむずがゆいよ」

「……分かりました」


 窘められたウサギは納得がいかないという顔で俺を睨み付けてくる。ウサギの前では、クレアへの接し方は気をつけよう……。身の危険を感じる。


「そういえば、クレア様はどうしてここに? 王都から離れて大丈夫なんですか?」


 ようやく復活したヒマリがクレアに疑問を投げかけた。


「ライグが丁度王都に帰還してね。彼のおかげでこちらに来る余裕ができたんだ。それに、紡にも用事があったしね」

「俺に用事?」

「うん。実は紡に――」

「ちょっ。ちょっと待ってくれ」


 俺はクレアの言葉を遮る。


 彼女の用事も気になるが、それよりも先に俺にはやらなければいけない事があった。


「その前にがあるんだ」


 

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スピニング・ワールド 空乃ウタ @0610sora

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