約束
「さすがは浴衣、たとえ帆海(ほのみ)だとして可愛く見えるもんだな」
「あのさ彰太(しょうた)、久しぶりにあった幼馴染への第一声がそれなの?もうちょっと素直に褒めなさいよ」
「だから褒めてるじゃん、浴衣かわいいなって」
「浴衣じゃなくて、わ!た!し!」
ぐいっと帆海が踏み込む。でも彰太は別に取り合うこともなく、さてとっと言いながら腰掛けていた欄干から立ち上がった。
「花火が始まる前に屋台で何か食おうぜ、腹減ったし」
「おっけー、何にする?フランクフルトとか」
「いいね。あっちの方にないかな」
二人は両側に屋台が並ぶ大通りを、人混みを避けながら並んで歩いてった。
「で、京都での大学生活はどうよ?」
先に口を開いたのは帆海の方だった。
「いい街だぜやっぱり。京都で生活するのずっと憧れだったからさ、休日と言わず、暇さえあればあちこちお寺とか神社とか回ってる。帆海は実家からだろ、電車通学とか大変?」
「うーん、どうかな。鈍行で1時間くらいだし、大学そんなに駅から離れてないし。あんまり大変さは感じてないよ」
目当ての屋台は程なく見つかった。一つずつ買うと、花火が上がる地点に一番近い橋を目指してあるき始めた。
「転んで喉に棒刺すなよ」
「子どもじゃないもん」
「いや、帆海のおっちょこちょいは幼稚園の頃から少しも成長してないぞ」
「少しは成長したって!これでも18歳だよ!」
「の割には体の成長のほうが……」
彰太の背中がバチンと派手に叩かれる。その音の大きさに道行く数人が振り向いた。
「今度言ったら、フランクフルトの棒で刺すからね」
「……わるかったよ」
橋のたもとにたどり着くと、既に人で溢れかえっていた。花火が上がっている最中は規制されて、橋の上で立ち止まって観ることは出来ないようだった。
「去年とか一昨年はこんなになってたっけ?」
「年々観覧者が増えてるせいじゃないか?」
ほんの少し彰太は思案してから、なあ、と言った。
「少し遠くなるけどあの公園行かねえ?」
帆海の顔が一瞬強ばる。
「……うん、行こうか!」
人の流れから離れるように、二人は大通りの脇から小さな路地へと歩いていった。
数え切れないほど訪れたその公園には、程なくたどり着いた。もはや公園とすら呼べないくらい小さな広場で、ブランコとベンチが置いてあるだけのこじんまりした場所だ。
「な、懐かしいね」
探るように帆海が呟いた。遠くに夏祭りの喧騒がぼんやりと聞こえるだけで、人もいなかった。
「そうだな」
答える彰太も言葉少なだった。
定時に最初の花火がパッと夜空に広がった。黒一色だった空に、赤やオレンジや青の光の粒が一瞬にして広がる。二人はベンチに腰掛けて、会話もすることなく黙って空を見上げていた。
どうしてこの公園に来てしまったんだろう。帆海は心の中で何度も思っていた。この高鳴ってしまう心臓の音が花火で掻き消えるように、彰太に聞こえないように、そればかりが気になってしまう。
『大人になったらショウタと結婚する!』
『ホノミを俺のお嫁さんにしてやるよ』
『大人って20さい?』
『じゃあ20さいになったら!』
ホログラムのように、十何年も前の二人の姿が公園の真ん中に立ち上がって見える。それは幼い約束で。でも学年が上がるうちにその重みが自分の中で増していく。きっと彰太は覚えていない。それなのに帆海の中で、いつかは彰太に彼女が出来て結婚をして、自分が『約束の相手』ではなくなることが怖くてたまらなくなっていった。
「……あと2年も……」
ぼそりと口をついた言葉は、一際大きな花火の音にかき消された。
最初の一陣が終わったのか、夏の夜空に束の間の静寂が降りる。おもむろに彰太が立ち上がるとベンチから2,3歩離れた。そして振り返らないまま唐突に尋ねた。
「帆海、彼氏できた?」
「えっ……」
帆海が聞きたくても怖すぎて聞けなかったことを、彰太はあっさりと聞いてくる。やっぱり彰太にとって自分はそれくらいの存在なんだと、帆海は唇を噛む。
「まだだよ」
声が尖るのを止められない。彰太は何も言わない。
やがて彰太がくるりとこっちを見据えた。
「20歳になったら帆海と結婚する約束、覚えてるか」
「え」
帆海が反射的に顔を上げる。その目を彰太がまっすぐに見ていた。
「お前が誰かに取られるかもしれないから。あと2年も待ちたくない」
彰太は帆海の腕をぐっと引き寄せた。立ち上がった勢いで帆海は彰太の胸に飛び込んでしまう。その両肩をそっと抱きとめる。優しく帆海の体を離すと、その表情をそっと覗き込む。目に一杯に溜まった涙は今にも溢れそうだった。
「ずっと好きだった」
彰太は帆海の唇にそっと口づけた。
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