第九夜 悪魔は天使を閉じ込めたい

神々のいる楽園を模したと言われるリドワルド離宮を楽しそうに飛び回るソフィア様は外の世界の煩いことなど忘れてしまったかのように過ごされている。夜には夜会という名の戦いに赴くというのに、昼間は昼間の楽しいことを満喫されている。


紅茶を飲みながら、新しい素材に目を輝かせているソフィア様を見ているとシジルから受ける襲撃の報告がまるで冗談のように聞こえる。

ヴルコラク離宮と異なり、リドワルド離宮は離宮内の高低差の少なく、植生も穏やかだ。少なくともヴルコラク離宮のように木に見せかけた魔物が離宮に忍び込んだお客様を襲ったりしない。


そんな安全なリドワルド離宮の中で、最も小さいが薬草が多い離れをソフィア様の滞在場所として、その近くに遊び場として薬草術や錬金術ができる小屋を作った。



「ねえ、マリアン」

「どうかされましたか?」

「どう?これ?」

「よく思いつきましたね。でもソフィア様は怪我を魔法で治せますよね?」

「魔法は私の目の届く範囲しかできないじゃない。薬ならさ、作り方さえ間違えなければ誰でも使えるでしょう?」



小さな瓶に収められたソフィア様がつくった新薬は透き通った緑で、瓶を揺するととろみがあるのか少し緩やかに波打つ。振ったところで変質が見られない。これであれば遠くまで運搬することも可能だ。



「素晴らしい志ですね」

「でしょう!マリアンのおかげだよ、私が試したかった薬の材料が全部揃ってる」



リドワルド離宮に置いてある素材の大半は入手が難しくないものだ。街中の薬師でさえ手元に置いているほどが大半、いくつか私が用意した貴重なものもあるが全体量から考えたら一割以下だ。貴重な素材を使っていない新薬さえある。

エデターエル王国で、ソフィア様がどのようにして過ごされていたのかの一端を垣間見てしまった。


このままリドワルド離宮で過ごしてくだされば、新薬の開発だけで新たに家を興せるほどの才能だ。そしてその根源は他者への労りがある。


ソフィア様はご自身のことを俗世から離れた狂研究者マッドサイエンティストと評しているようだが、そんな善意に満ちたマッドなんて存在しないと私は思う。他者のための薬を全力で作り上げるなんて、単なる聖人だ。



「ソフィア様、そろそろお時間です」

「もうそんな時間か。ニルが待ってるころだね」



いつの間にか小屋の近くに来ていたニルに気がついたソフィア様は「またあとで」と気安い挨拶を残して着替えへ向かわれた。


ペリの推薦でソフィア様に付いている世話係ニルは精霊系魔族シタン一族の者で、ペリの叔母だ。ペリ同様に戦うことのできない珍しい魔力の色を持つ精霊で、これまで精霊領内で保護されてきたという。

戦えないペリ同様に、ニルも内向きのことに特化したために1人でいくつもの業務をこなす優秀な精霊だ。二人の優秀さを見込んで、ペトロネア殿下が精霊のシタン一族の保護を決断されたほどだ。


そして、着飾るよりも豪奢な飾りを引いた方がソフィア様の美しさが引き立つとニルは言う。その言葉通り、ニルが選んで用意した衣装はこの上なくソフィア様の魅力を引き立てていた。



「光の女神からの祝福をいただいた眷属の気持ちに共感いたします」

「うん、ありがとう。ニルの腕はとても良いね」



クリーム色のドレスのスカート部分にはレースが重ねられていて、透けそうで透けない絶妙なバランスを保っており、思わず目を向けてしまう。アクセサリーにはサファイアが施されたものを付けてもらっている、もちろんサファイアはもしものときにはお守りとして作動するものだ。

いかにも天使といった色合いにソフィア様の魅了の力が及ばない魔族でも、魔族としての常識が手出しができないだろうことは想像がついた。


ニルの腕前ではなく、ソフィア様を褒めているとお伝えしようとしたところで、扉のそばに控えている者から入場の合図をもらう。



「エデターエル王国の外交使ソフィア王女殿下のご来臨です。同伴はベリアル家マリアン様です」



私の差し出すエスコートの腕に絡ませる手の白さ、そして嫋やかさに前ではなくソフィア様を見つめたくなるが、仮にもフェーゲを代表するベリアル家の嫡男がそのようなことをするわけにはいかない。


ソフィア様は天使らしい仕草のうちの一つ、首傾げをしたらしく、私の腕にソフィア様の柔らかな髪の毛がかかると同時に、何人かのため息が聞こえた。

魔力を使った魅了を使わずこの威力とは。以前に、エデターエル王国を調べた際にソフィア様が出来損ないだと考えていた見る目のなさを反省する。



「ペトロネア殿下、マリアン様、此度の訪問を光の女神の祝福としてくださったこと、水の神ハーヤエルとして感謝いたしましょう」



ペトロネア殿下と入場されたラファエル様がにこやかに謝意を述べる。ソフィア様の兄としてフェーゲ王国の歓待を歓迎するの意図は、ソフィア様の婚約をフェーゲ王国内の誰かに検討しているとも取れる。こういうときに挨拶内に名前が含まれた2人のうちどちらかを考えているというのは社交上では暗黙の了解だ。

含まれた2人のうちどちらが倒しやすいかと考えたら私の方にやって来るだろう。きっと今夜はシジルが「同僚遣いが荒い!」と嘆くこと間違いなしで、牢が大盛況になる。



「私の土の女神ネルトゥシエル、今宵は月もかげってしまわれている」

「水の神ハーヤエル、わたくしには湖面に映る月影さえも明るく見えるのです」

「その月影は光輝かんばかりの光の女神の祝福の名残でしょう」



フェーゲではあまり聞かない遠回しな表現だけを用いられた天使らしいラファエル様の言葉から、会場にソフィア様を害をなそうとしている魔族がいることを知った。リンドラがさりげなく立ち位置を変え、いつの間にかシジルが姿を消している。



「土の女神が賜った神々の祝福の美しさは時の神クィリスエルを以てしても留めることができないことに、闇の神が眷属の力の強さを思い知るばかりです」

「水の神ハーヤエルと風の神シナッツエルの御加護により護りは堅固なるものになるでしょう」



ラファエル様とソフィア様が話しているうちに、ようやく敵らしい魔族を特定した。にじんでいる魔力から攻撃用魔道具を持ち込んでいるのがわかった。魔力が弱くて見落とすところだったが、私には影響なくても天使のソフィア様には危険だ。


不意にソフィア様に腕を引かれた。ソフィア様の細くて白い指先で腕をなぞられて緊張するが、書かれたのは文字だ。「退出」と端的に教えてくれた。ラファエル様だけであれば魅了の力で敵襲を退けられるということだろう。



「それでは、風の神シナッツエルの御加護をお祈りしております」



ソフィア様にならって退出の挨拶を述べると、社交らしいにこやかでそれでも笑っていない両殿下に見送られた。

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