第4話1-4創作意欲

 彼女は食後に自分の部屋の本棚を漁っていました。彼女はいつも小説を書くための参考として小説に手を出すことがあり、それはいたって普通のことであります。しかし、今回はいつもと少し理由が違っていました。

 彼女は久しぶりに『罪と罰』を読もうしていました。その理由は小説を書くための資料としてではなく、食事中のニュースに起因しています。どんな作品だったかを改めて確認しようとして、木のボロい本棚のホコリをどけていました。

 本棚の中には購入時の本屋がつけてくれた茶色い再生紙のカバーが本のタイトルを隠していました。一体どれが探している本だか見分けが付かない状況に心夢は苛まされていました。今までも同じようなことは何回もあったが、その度に表紙がむき出しなことよりはマシだとそのままにしていました。

 心夢は本を手に取り開き、違うことを確認して戻す作業を繰り返していました。それを10程繰り返したら、目的の本に当たったのです。彼女はそこに写っている作者の顔を見て不意に苦笑いしてしまいました。


「あいかわらずいかつい顔のおっさんだな」


 それが心夢の『罪と罰』再読の最初に抱いた感想であり、奇しくもそれは初めて読んだ時と同じ感想でした。それを思い出し初心に戻った気分になった彼女はパラパラとページをめくっていきました。自分が確認したいページがどこなのかと確認していたが、そもそも何を確認したかったのかを思い出せなくて、記憶のページをめくっていました。

 それとは関係なくページが進むと、主人公の理念のページにたどりついていました。大きな目的のためには少しの犠牲は仕方ない、という内容のものでした。その内容を確認したあと、彼女は少し満足したように頬を緩めたが、すぐに緩めた頬を締めました。


「これじゃない」


 心夢は再びページをめくり始めました。そして突き当たったのが、主人公が老婆を殺すシーンでありました。しかし、数秒眺めた後に彼女はページをめくっていきました。

 どうやら求めていたページではなかったらしいのです。そのあともページをめくり続けました。主人公と家族の再開・判事との頭脳戦・女性との恋……

 最後まで軽く目を通した彼女だが、その顔には不満が満ちていました。本を本棚に戻すのだが、その不満げな顔は元には戻らなかったのです。小説を書くためにパソコンに向かうという数時間前の状態に戻りました。

 しかし、心夢の創作意欲は元には戻っていなかったのです。パソコンの画面の見入るだけで、何一つ文字が入力できませんでした。そのうちパソコン画面が暗転してしまったが、そんなことが気にならないくらい彼女の頭の中は暗かったのです。


「私は何をしているんやろ?」


 そう暗中模索している彼女は、瞳を閉じて視界を暗くしていました。その瞳の先には、華やかな大学のキャンパスライフの光景・華やかな舞台の光景・これまた華やかな文壇デビューの光景が見えていました。しかし、瞼を開けるとその華やかな光景は暗い闇と一緒に消えてしまいました。



 翌日、心夢は目を覚ましました。今の自堕落な生活を送っている心夢はほかのそういう人の例に漏れず、起床時間が適当でした。この日は9時に起きたが、それは彼女にはたいへん早い方でした。

 彼女は基本的に二度寝をするタイプでありました。そして、それを見越して一度目の起床時間を逆算して決めことを度々します。例えば、7時に起きる必要があれば、その1時間前の6時に起きてから二度寝して7時に起きるといた具合です。

 そんな彼女が9時に起きた時に最初にすることは、二度寝であります。寝床のベッドからリビングにフラフラと行き、テレビをつけます。そのテレビ番組が何なのかは大した問題ではなく、ただ二度寝するための催眠手段として映像と音楽を使うだけでした。

 そのまま心夢はソファーの上で二度寝しました。その日のきちんとした起床時間は11時でした。彼女は10時に起きるつもりでしたので、そのことに驚き飛び起きました。

 といっても、特に予定があるわけではなく、そのままソファーに寝込みました。そして、ぼんやりと自分の置かれている状況を考えて、心を締め付けられていました。彼女は自分の人生が詰んでいることを自覚していたのです。

 ぼんやりとした不安、と言ってしまったらどこかの文豪みたいでカッコいいのですが、彼女の場合は何一つカッコよくなかったのです。大した肩書きもなくバイトもせず親のすねかじりをするのみです。ボサボサに跳ねた髪の毛に、高校時のTシャツ短パンをところどころ穴が空き薄く擦れているボロボロ状態なのにパジャマとして使い続ける姿は、人様には見せられるものではありませんでした。

 経歴も見た目も終わっている彼女は、その不安に押しつぶされそうでした。灰色に見える空が曇った窓に映るのを、潤んだ瞳で捉えていました。目からは涙が出そうでしたが、長女の性で我慢しました。

 彼女は思い立ったようにパソコンの電源をつけました。普段は小説を書く気分になるまで数時間または丸一日かかるのですが、この日は一瞬でした。何かに追い詰められたように彼女はパソコンに向かいました。

 それは彼女にたまに起こる現象です。といっても、特殊なことではなく、誰にでもある現象です。人は誰しも気分屋なのです。

 彼女は自分の不安をかき消すかのようにキーボードを叩きました。人というものは何もしないで考えてばかりいると精神が参ってしまう性分ですので、体を動かしたり等と何かをすることはたいへん重要なことなのです。事実、彼女は小説を書き始めてから少しだけ精神的に落ち着き始めました。

 彼女は自分の置かれている状況、周りから評価されていない・お金がない・将来設計がないといった状況に不安を持っているわけだが、それなら行動せよと言われてきました。劇団のお偉いさんに媚を売りに行くだとか、バイトに行くだとか、資格を取るだとか、色々と言われてきました。でも、彼女はそういうことをせずに暮らしています。

 なぜそういうことをしないのかと言ったら、彼女がそれらをする意欲がないとしか言えません。本人も頭では理屈では常識ではわかっているのですが、どうしてもできないのです。理性と感情との対比、または理性と行動との対比と言ったらカッコイイ言い方になりますが、頭でっかちな人の言い逃れでしかありません。

 彼女自身も、言葉だけで行動に移さない人間を嫌う傾向にあります。でも、自分自身がそういう人間になっています。彼女は自己嫌悪に苛まされています。

 そういう風に自分を追い詰めてしまうわけですが、それは小説を書く事に応用できれば強いものです。アイデアが出ないときとかに、自分を追い詰めてすごいアイデアが出るとなればたいへん素晴らしいことです。ただ、問題は、彼女の追い詰め方はダメ人間からくるものであり、そういう優秀な人間の追い詰め方に応用できないのです。

 事実、彼女はほんの10分足らずで集中が切れました。既にスマホをいじりながらテレビを見ていました。今からユーチューブも見ようとしていました。

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