第八話:饗宴

 そろそろ日も山の影に沈もうとする頃。佳穂とエルフィはやっと目を覚ました。


 佳穂は居間に置いてあったベッドをいたく気に入ったようで、数々の彫刻をマジマジと眺めていた。


「テオさんって、グレイルとレティリエの住む家も建ててくれた人なんだけど、その時も彼女が好きそうな可愛らしい家を建ててたんだよ」

「へぇ。だから綾摩さん向きの可愛いベッドにしてくれたのか」

『後でお礼を言わないといけませんね』

「うん。そうだね」


 三人がそんな話をしながらベッドを眺めていると、家の玄関がノックされた。


「はい」

「レティリエだけど、入っても良いかしら?」

「あ、うん。どうぞ」


 佳穂が応対するとレティリエが嬉しそうな顔で家に入って来た。


「どうしたの? 少し遅かったみたいだけど」

「ごめんなさい。色々準備に手間取っちゃって。みんなも行きましょう」

「行くって、何処へ?」

「それは、着いてからのお楽しみ」


 不思議そうに顔を見合わせた佳穂達に、レティリエは意味ありげな笑みを浮かべると、三人に外に出るよう促したのだった。


* * * * *


 その光景を目にした瞬間。


「うわぁ……」


 佳穂は思わず驚きの声を漏らした。

 日暮れ間もない暗がりの中、広場の中央に燃え立つのはキャンプファイヤーのような大きな炎。

 その周囲には、床に。木々に。賑やかに酒や飲み物を酌み交わし、配られし料理を食べ楽しそうに笑う人狼達。


 炎に負けないような熱量を感じる宴の風景は、現代でも早々見られない光景。

 物語の中にあった祭りの事を思い返し。佳穂はまたひとつ、小説の世界に触れられた気持ちがして嬉しくなる。


「お! やっと来たな! こっちだ!」


 レティリエに導かれて中央広場に入った雅騎達に、気さくに声をかけて来たのはローウェンだった。

 その脇にはレベッカやクルス、ナタリア、グレイルといった見知った面々も集っている。


「何か凄いですね。今日は丁度お祭りだったんですか?」


 雅騎が周囲の盛り上がりを見ながら、佳穂達と共に彼等に歩み寄ると。


「そりゃあ、お前達が村に来たんだからな。とりあえず三人はここに座ってくれ」


 ローウェンはにやりとした後、丁度彼等のために開けられた、長椅子に座るように促した。


「どうする?」

『折角です。ご厚意に預かりましょう』

「そうだね」


 雅騎達は顔を見合わせた後。男性陣が多い左側に雅騎が、間に佳穂が、そして女性陣の多い右側に佳穂が腰を下ろす。


みんな。少しだけ聞いてくれ」


 彼等が座ったのを見届け、ローウェンが立ち上がり声を掛けると、人狼達の視線が一斉に集まる。


「今日は突然にも関わらず、宴の準備に協力してもらって感謝してる。知っての通り、雅騎、佳穂、エルフィの三人が今日からしばらくこの村で世話になる。何時までなんて話は決まってないし、付き合いの長い短いも分からないが、折角村の一員となるんだ。仲良くしてやってくれ」


 そう言い終えたローウェンに対し、周囲から歓声や遠吠えと共に、「よろしくな!」、「仲良くしてね!」など、温かい言葉が掛けられ、三人は気恥ずかしそうに頭を下げた。


「今日は皆、祭の時のように楽しく行こう! ただし、明日の狩りに支障をきたすなよ!」


 瞬間、大きな歓声が上がると、皆はそれぞれまた楽しそうに各々おのおのに騒ぎ始めた。


「雅騎達は酒はいけるのか?」


 グレイルの問いかけに、雅騎は苦笑し首を振る。


「いえ。俺達は未成年なんで。エルフィは?」

『私もあまり嗜みませんね』

「あの、ジュースとかありませんか?」

「あるわ。今取ってくるわね」

「それなら俺も一緒に行こう」


 佳穂の言葉にその場を離れようとしたレティリエを見て、酒の入ったジョッキを椅子に置いたグレイルが立ち上がると、彼女の元に歩み寄る。


「まったく。相変わらず仲良いんだから」


 呆れた素振りを見せながらも、何処か優しげな顔をしたレベッカを見て、ローウェンがにこりと笑みを向ける。


「まるで俺達みたいだな」

「……あんた、もう酔ってるの?」

「酷えなぁ。挨拶終わるまではちゃんと我慢したって」


 うまくアピールしたつもりだが、あっさりと彼女の白けた顔に返され、思わず頭を掻くローウェンに、皆が思わずくすりと笑う。


「気をつけていってきてね」

「うん。少しだけ待っててね。それじゃグレイル。行きましょ」

「ああ」


 佳穂に笑顔でそう応えたレティリエは、グレイルと手を取り合うと、そのまま去っていく。

 嬉しそうな笑みのレティリエに、優しい笑みを返すグレイル。

 そんな二人を見て。


「やっぱり、お似合いだよね」


 夢心地な表情で、佳穂は二人を見送る。


「やっぱりあなたもそう思う?」

「うん。ナタリアも?」

「そりゃもう。早く二人がくっつかないかって思ってたもの」

「でも、本当に二人が一緒になれて、良かったよね」


 ナタリアの嬉しそうな言葉に続き、目を細め嬉しそうな顔をするクルス。

 彼等の苦しみを知っているからこその、その愛おしそうな表情に、佳穂もまた嬉しそうな笑みを浮かべたのだが。

 ぐびっとジョッキから酒を煽ったローウェンは。


「俺達だって負けてないよな。レベッカ~」


 そう言うや否や、隣の彼女にキスをねだる。


「ば、ばか! 何やってるの!?」

「何って、キスに決まってるだろ」

「は、はぁっ!?」


 激しく動揺する彼女の瞳に映るローウェンの目は、たった一杯酒を飲んだだけなのに、既にとろんとし、ほろ酔い加減の雰囲気を見せている。


「もしかして、もう酔ってるんですか!?」


 流石の雅騎も驚きを見せると、クルスとナタリアは肯定するように苦笑する。


「ローウェンは本当に酒に弱いんだよ」

「しかも、酔うとすぐにレベッカに絡んでベタベタしようとするの」

「そうなんだ。知らなかった」


 物語に書かれていない新たな一面を知り、感心するように見守る佳穂だったが。


「そうそう。レベッカの事好きだからな。レベッカもそうだよな? な?」

「あんたねぇ。少しは場所を考えなさい!」


  パチーン!


 あまりの恥ずかしさに、思わずレベッカの平手打ちが炸裂した。

 これには雅騎や佳穂も驚きを隠せなかったのだが。


みんながいるから見せつけるんだよ。な? レベッカ~」


 打たれた頬の痛みなど感じていないように。またもキスを強請ねだるローウェン相手に、顔を真っ赤にしながら怒るレベッカを見て、周囲は思わず爆笑する。


 呆然としていた佳穂達を他所に、祭りの恒例行事となったその光景を酒のつまみに、皆は始まったばかりの宴を楽しむのだった。


* * * * *


 宴のために酒や飲み物を集めた酒蔵に向かう道すがら。

 人気がほとんどなくなった道を歩いていた時、グレイルは突然歩みを止めた。


「レティ。ちょっといいか?」

「どうしたの?」


 不思議そうに振り返った彼女は、瞬間ぐいっとその身体を引き寄せられたかと思うと、道の側に立つ樹の裏にするりと引き込まれた。


「グ、グレイル!?」


 突然の事に戸惑うレティリエは、そのまま樹の幹を背負うように立たされる。

 その先にはじっと自身を見つめる視線があったのだが……それは少し、哀しげだった。


 彼の瞳に不安を煽られたのか。

 宴の気分など吹き飛んだ彼女は、少しだけ不安そうな顔をする。


「……どうしたの?」

「レティ。すまなかった」


 ふっと視線を落とした彼は、口惜しげに呟く。


「俺は雅騎との闘いで、ローウェンの指示に従った。『あいつを絶対に殺すな。だが、出来る限り怪我は負わせろ』。そんな、お前の願いと裏腹の指示に」


 レティリエを悲しませる。苦しませる。

 それを、のちの彼女の言葉から知りながら、それでも指示に従ったことを悔やむような表情。

 だが、次の瞬間。

 彼は驚きをあらわにした。


「知ってるわ」

「え?」


 顔を上げたグレイルを迎えたのは、レティリエの優しい微笑み。


「私。最初あなたの考えていることが分からなかった。だから、私の言葉とは裏腹に、本気で雅騎や佳穂を傷つけようとするあなたが、とても怖かった」


 少しだけ切なげな顔を見せた彼女だったが。すぐにじっと、真剣に彼の瞳を見つめた。


「でも。雅騎があなたの気持ちを教えてくれたの。あなたも私と同じく悩んでくれていたんだって。それを知って、私は安心したの。だから気にしないで」

「いや。それでも、俺はお前を──」


 後悔ばかり色濃く見せ、己を卑下する言葉は。

 突然。彼女の唇に遮られた。


 思わず目を瞠るグレイルをそのままに。

 ゆっくりと。名残惜しそうに唇は離れ。

 レティリエは、少しだけ目を潤ませ、泣きそうになるのを堪え、笑った。


「私は、それでもグレイルが好きなの。優しいあなたが好きなの。ずっと見てきたから知ってる。あなたが優しいのを。あなたが沢山悩んでくれたのを。だから大丈夫。これからもずっと一緒にいたら、傷つく時もあるかもしれない。でも私は、あなたを信じて、一緒にいるから。だから、そんなに自分を責めないで」

「レティリエ……」


 グレイルは思った。

 彼女は、本当に強いと。


 苦しみながら。悩みながら。

 それで貫いてくれるその愛情に。

 それでも信じてくれようとする心に。


 グレイルは感謝し。

 グレイルは愛おしくなり。


 彼女の瞳に浮かんだ涙を指で拭うと、ふっとはにかんだ。


「お前と一緒になれて、本当によかったよ。レティリエ」

「私もよ。グレイル」

「これからも、共に歩んでくれるか?」

「ええ」


 自然と微笑みあった二人は、 遠くに聞こえる宴の喧騒の一時を忘れ。

 木陰でまた、幸せそうに唇を重ねるのだった。

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