第七話:呼ばれる事には意味がある

 日も南天を超えた頃。

 佳穂達の家の中には、とても甘く食欲をそそる香りが広がっていた。


 四人の手元にあるのは、薄く切られた焼きりんごが盛り付けられたりんごのケーキと、先程の紅茶。

 勿論レティリエのお手製である。


「今日のお昼はこれで我慢してくれる?」

「我慢なんてそんな! すっごく美味しそうなケーキをありがとう! こっちなんて全然手伝いもできなかったのに……」

「そんな事ないわ。洗い物してくれたり、十分力になってくれたもの。本当に助かったわ」


 互いに謙遜し、互いを褒め讃える佳穂とレティリエだが、雅騎やエルフィの目から見ても、それはもう親しげな友そのもの。

 そんな彼女達のやり取りに、二人も自然と笑みが溢れる。


「冷めちゃうと美味しくないし、まずは召し上がれ」

「うん。いただきます!」

「いただきます」

『いただきます』


 挨拶もそこそこに、期待の目でケーキを取り分けた佳穂は、迷わず口に頬張る。

 木苺のジャムとはまた違う、焼いたことでより強くなった甘みを堪能する佳穂の表情がみるみる幸せそうな物に変わる。

 同じく一口食べてみた雅騎とエルフィも、瞬間ぱっと驚きの表情を浮かべた。


『これは、とても美味しいですね』

「うん。うちで売り物で出しても十分いけるかも」


 普段喫茶店で店長が作るケーキを食べ慣れた彼でも感じるその美味しさに、感心しきりの雅騎。


「本当に美味しい! レティリエって本当に凄いね!」

「そ、そんな。マザーに教わっただけだし、全然大した事ないの」


 佳穂もそう絶賛し彼女を見ると、あまりに皆がべた褒めするのが恥ずかしかったのか。少しその身を小さくし、恥ずかしそうに笑う。


「グレイルはこんな美味しい料理を毎日食べてるんだよね。いいなぁ」

「そ、そんな事……」

「でも、グレイルも褒めてくれるでしょ?」

「それは……そうだけど……」


 本当に羨ましそうに話す佳穂の矛先が、レティリエとグレイルの話題になり、彼女はより恥ずかしさを強く見せる。


 彼もまた、毎日美味しいと言ってくれる。

 それは嬉しい事だったが、ここでそれを想像させられるとは思っても見なかった。


 そんな団らんを楽しんでいた時。


「レティリエ。入るわよ~」


 そう言って、ドアを開け入ってきたのは、二匹のこれまた若い人狼のつがいだった。


「あら? クルスとナタリアじゃない。どうしたの? 」


 彼等はクルスとナタリア。

 二人もまたグレイルとレティリエ同様、多少変わった経緯でつがいとなった二人である。

 二人はテーブルの側までやってくると、みんなを見た。


「僕達、まだ彼等にちゃんと挨拶できてなかったって思って。僕はクルス。そしてこっちが妻のナタリア」

「ナタリアよ。よろしくね」


 優しい笑みを向けた二人に、佳穂が思わずまた目をきらきら輝かせて立ち上がった。


「うわぁ! 二人がクルスとナタリアなの!?」

?」


 思わず二人が顔を見合わせると、彼女は笑顔で頷くと、またも熱く語りだす。


「クルスが狩りでしくじった時に、ナタリアが必死に助けてくれて、クルスは惹かれてつがいになったんだよね。素敵なお話だったなぁ……」


 夢見心地の佳穂。

 だが、突然そんな話を暴露された二人は、突然の悪夢に一気に頬を赤くし、狼狽うろたえてしまう。


「え、あ、確かにそうだけど……」

「あ、あなたってもしかして、私達の事まで色々知ってるの!?」


 照れたまま困った顔をするクルスに、広場でのレベッカ同様、突然自分達の話をされ動揺するナタリア。

 思わずそんな質問をされた佳穂はといえば。


「少しだけだけど。でも本当に、二人も幸せになってて良かった」


 まるで自分の子供が幸せになったのを嬉しそうに見守る親のように、彼女は優しく微笑み。


「あ、その……」

「なんか、調子狂うね」


 突然自分達の幸せを人間に喜んでもらったクルス達が頭を掻き困る様子に、他の者達も思わず笑みを交わす。


「広場の事あったから知ってるかもしれないけど。彼女が佳穂で、彼が雅騎。あと、こちらがエルフィよ」

「雅騎です。よろしくお願いします」

『よろしくお願い致します』


 クルス達に助け船を出すように、流れを遮って皆を紹介したレティリエの言葉に合わせ、雅騎とエルフィは立ち上がると、軽く会釈する。

 それに我に返った二人もまた、笑顔で頭を下げた。


「そうそう。それよりレティリエ。ちょっとこっちにいい?」


 気持ちの動揺が落ち着いた所で、はたと何かを思い出したナタリアが彼女を呼ぶ。

 首を傾げながら立ち上がり、彼等に歩み寄ったレティリエに合わせ、扉の側に離れた三人が何かひそひそ話を始めた。

 暫く二人の話を聞いていたレティリエの耳がピンっと立ち、ゆらゆら揺らしていた尻尾もぴたりと止まる。


 そして、レティリエは、少し申し訳なさそうに振り返った。


「佳穂、ごめんなさい。私少し、村の手伝いに出ないといけなくなっちゃったの」

「え? そうなの?」

「色々教えるって言ったのに、ごめんなさい」

「ううん。大丈夫。この後は少しゆっくりしておくから。レティリエはみんなの手伝いに行ってきて」


 笑顔でそう返す佳穂の優しさに、レティリエは微笑む。


「夕方にはまた顔を出すから、それまで家でゆっくりしててくれる?」

「あの。散歩とかはしても大丈夫ですか?」


 何気なくそう質問した雅騎だったのだが。

 瞬間。


「い、いや。外が騒がしくなるし、色々と人通りも増えるから、ちょっと表には出ない方がいいかな」

「え、ええ。だから三人は家でゆっくり寛いでて。ね?」


 慌ててクルスとナタリアが制するようにそんな言葉を並べると、レティリエも少し硬い笑顔を向ける。


「そ、それじゃ私はもう行くわね。皆ゆっくりしてて」

「あ、うん。いってらっしゃい」


 突然の事に呆然としながらレティリエ達を見送った佳穂達は、扉が閉まった後、顔を見合わせ首を傾げるのだった。


* * * * *


 あれから時は過ぎ。

 雅騎と入れ替わるように、佳穂とエルフィは寝室で横になり、寝息を立てていた。


 流石にかなり力を行使した疲労感は拭えなかったのだろう。

 雅騎に少し休むように促された佳穂は、ベッドに横になるとすぐ様睡魔に襲われ、微睡みの世界へと誘われていた。


 一方の雅騎といえば。

 台所に足を運ぶと、近くの棚に並べられた調味料らしきもの達の入った木製の入れ物を開けては、香りや味を確かめていた。


 荒めでやや薄茶がかっている、甘味感じる粉が砂糖。

 蓋を開けた瞬間に薫った、煎られた形跡のある葉は香草。

 そして。石の周囲に薄く白く透明な結晶が付いた、飴玉のようにも見えるそれを少し舐めると、雅樹は瞬間顔を顰めた。


  ──これ、塩か。


 砂糖と違い塊となっていたのもあったが、自分達の世界の岩塩とも、市販されている塩とも違うため、完全に油断していた。


  ──って事は、砂糖も摂れ方が違うのか?


 調味料の数々を見ながら、雅騎は改めて自分が異世界にいるのだと感じ始めていた。

 それは既に人狼の存在などでも分かっている事なのだが。自ら火をくべねばならないかまども、水道がなく瓶から水を汲んで洗い物や飲み水を確保するのも初めて。

 実際今目にしている食材や調味料も、近いものもあれば、異なるものもある。


 どこか不便にも感じるこの環境だが、雅騎はそれを、嫌だとか不安に感じる事はなく。

 料理も好きな彼ゆえか。強く興味を刺激され、色々と思案していた。


  ──これ、多分そのまま使ってるって事だよな。


 塩といえば、日本でも馴染みある物であり、旨味を引き出す調味料。

 だが、この世界ではそれが加工せず置かれている。


 内側の岩まで塩とは考えにくいが、そうだとすれば、スープなどへの味付けは出来ても、肉などへの味付けは難しくも見える。


  ──暇だし、後でやってみるか。


 ふっと何かを閃いた雅騎は、楽しげな顔を浮かべると、そのまま袋に入った小麦粉、見た目に野菜のような物達の味を、少しずつ確かめていくのだった。


* * * * *


 しかし。

 人が興味のある事に対して何かをしている時間とは、こうも早く過ぎるのだろうか。

 ふと彼が気づくと、日が随分と傾き始めていた。


 と、そんな時。


「すまない。邪魔するぞ」


 そう言って家の扉を開けたのはグレイルだった。


「あ、もしかしてベッドが?」

「ああ。テオが思ったより頑張ってくれてな」

「家具のひとつやふたつ、俺に掛かれば朝飯前だって」


 と。彼の後ろから少しお腹が出た人狼が顔を出す。自慢げな表情と言葉から、彼がテオだと理解するのに時間は掛からなかった。


「今ちょっと綾摩さんが寝室で寝ていて。一旦居間の隅に置いて貰っても良いですか?」

「分かった。テオ、手伝ってくれ」

「あいよ!」


 二人が一度外に出ると、ベッドを居間に運んでくれた。それは寝室にある簡素なベッドより、何処か女の子らしさを感じる花や草木の彫刻が彫り込まれたベッドだった。


「へぇ〜。凄いですね。きっと綾摩さんも喜びます」

「へへっ。それなら良かった」


 嬉しそうにそう口にする雅騎に、テオは鼻を擦って照れ臭さを誤魔化す。


「お二人共、ありがとうございました」

「何。俺はローウェンに頼まれただけさ。礼ならあいつに言ってやってくれ」

「それは勿論ですが、お二人の力でベッドを作って頂けたんです。感謝しかありませんよ」


 謙遜するグレイルだが、そんな事はないと言わんばかりに感謝を示す彼に、少し困ったように視線を泳がせる。


「……へぇ。グレイル。お前、珍しく照れてるのか?」


 彼の顔をじっと見ていたテオは、

思わず悪戯っぽい笑みを見せ、少し小馬鹿にしたようにそう言うと。


「……うるさい」


 グレイルは恥ずかしさを誤魔化すように短くそう言葉を返すと、顔を見せぬよう踵を返す。


「それじゃ、また後で顔を出す」

「あ、ちょっと待ってください」


 家を出て行こうとする二人だったが、雅騎の声に足を止める。


「グレイルさん。ちょっとだけいいですか?」

「ん? まあ別に良いが。テオ、先に戻っててくれ」

「ああ。じゃあまたな」


 先に家を出たテオを見送った二人はそのまま向かい合う。


「で、何かあったのか?」

「あの、余計なことかも知れませんが……」


 闘いの時とは違う、はっきりと躊躇いを感じる表情に、グレイルは思わず首を傾げる。

 そんな中。雅騎が少しずつ語り出した話を聞き、グレイルは少し表情を曇らせるのだった。

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