4 はじめまして?

織部おりべさん、アルバイトの件は学校には内緒にしてますので、今後もどうかそのつもりで」


 男はやや遠い距離から灯里あかりにそう言うと、くるっと背を向け、連れ立って入ってきた女に事情を伝えるようにした。声量が下げると、話し声も届かない。灯里と男との間にはソファやローテーブルが何卓か置かれているくらいで特に遮るものはないのだけれど、なにぶん距離がある。


 男は、自分と灯里を交互に指さしたり、マイクを握る真似をしてみたり、その手振りから昨日カラオケ店で起きた事を話しているのだと思われた。


 金髪の女はそれで口に手を当て、けたけた笑う。ふわふわしたショートボブが愉快そうに揺れている。


(まぁ、別に告げ口されて困ることなんて無いからいいけど)


 そんな事よりも、灯里は男の後ろ姿に見覚えがあった。


 それは昨日カラオケの受付で見かけたとかじゃなく、もっと日常的に見かける、例えるなら枕のような。――いや、あの男の枕になるなど絶対に御免だけれど、その後ろ頭をよく知るという意味では、まさにそれ。


 クラスで灯里の前に座る男、その人だった。


 つまり昨日、偶然受付をしてくれたあのカラオケ店の男は、灯里のクラスメイトだったのだ。もう新学期が始まってから一ヶ月が過ぎたというのに、我ながら他人への関心のなさに呆れた。


「う、う……梅田うめだだっけ」


 灯里が自信なげに呟くと、正解です、と隣のグミが答えた。


「あれ、グミちゃんの名字も梅田じゃんね? もしかして二人って……、」


 グミはいかにも不平たらしく肩をすくめるのだった。

 二人は兄妹だそうだ。

 兄妹揃って同じ部活なんてよっぽど仲がいいんじゃん、と聞くが、グミはやめてください、と言う。


「そんなんじゃないです、本当に。そもそも入った時はあいつがいるなんて思ってもいなかったんです。知ってたら入ってませんよ」


 グミは心底無念そうに遠くの兄を見やる。

 灯里も妹がいるからその気持ちはよく分かった。プライベートを知られ過ぎている間柄に周りをうろつかれては気が気でないだろう。

 なら辞めればいいのに、とも思うがあまり深く首を突っ込まないことに決めた。


「あのメガネと何かあったんですか?」


「昨日カラオケに行ったんだけど、その時あいつが受付してたんだよ」


「ふうん」


 グミは取り立てて関心を示さなかった。

 たまたま遭遇した男が同じ高校のクラスメイトで、しかも同じ部活のメンバーだった――なんて、灯里にしてみれば出来すぎた話のようにも思えるのだけど。


(まぁでもカラオケ部員がカラオケ屋でバイトって、自然な成り行きではあるのかな)


 梅田(兄)は女のリュックを預かると、さっさと準備室へ入ってしまった。まずは声を掛けにくるかと思ったが、案外マイペースらしい。


 身軽になった金髪の女は男に手を振り、それからこちらに足を向けた。



「あなたが――灯里あかりちゃん?」


 女は意外そうな口ぶりでいた。


「はあ」


 不思議な切り口で始まった会話。

 灯里はその真意を探ろうとする一方で、


「…………………………」


 ――――言葉を失っている。



 綺麗な顔立ちだった。

 優しげに下がった目尻、乱れのない眉、細いあご、鼻筋、ぷりっとした唇。個々のパーツはこの上なく上等であるのに、集合しても厭味いやみがない。すっきりまとまっている。だから綺麗、と思ったのだろう。


 身長にも恵まれていると思う。一応、灯里も丈のある椅子に座っているはずなのだが、女のきょとんとした顔は灯里の目線の遥か上である。


 化粧けがないのに肌は雪のように白い。首にはわずか赤みが差している。冷たそうな手の甲に、薄く血管が透けていた。血が通っている。人形のようにも見えるが、これで人間なのである。


「――ていうかっ」


 すっかり心を奪われていた灯里は、はっとするように口を開く。


「なんで皆して私の名前を知ってる訳?」


「だから、」


 灯里の背後でグミが答えた。灯里は位置的に二人に挟まれており、こうなるとふり向かざるを得ない。


「だから、凛子先輩からみんな宛にメッセージが届いたんですってば。今日から灯里先輩が入部する、って」


「あ、そっか。そんなこと言ってたね」


 まぁ。

 何にしたって灯里からすれば初対面であるから、自己紹介は免れない。


 そんな訳で。


、えっと、」


 女の名前を尋ねようと、灯里はまた振り向いたのだけれど。


「――え?」


 かえりみた女の表情に、一瞬、かげりが見えた。

 口もとと言わず目許と言わず、哀しげな様相を帯びるその表情。


 それはほんの刹那せつなの出来事で、女はあっという間にふにゃっと顔をほころばせた。


「初めまして。私は三年の木場奈々千きばななちって言います」


 目を丸くする灯里を他所よそに、女はしれっと自己紹介を済ませた。


 ――三年生。

 奈々千ななちと名乗るこの女は先輩であるらしい。


「え……っと、」


 そんなことより今の顔なに? ――と、きたかった。でも訊いてしまえるほど、灯里は自分が今見たものに自信が持てない。あの表情の変化は、それほど儚いものであった。


 だから灯里は別の言葉を続けた。


木場きば先輩って、外部生ですよね」


 その髪色――

 夕方の斜光しゃこうかすめて白々とひかめくその金髪は、灯里のように内部進学の生徒であれば絶対にゆるされないはずだ。


 話題を変えた訳ではない。別の方向から探ろうと考えたのだ。とは言え、灯里は先のことはそれ程考えていない。そこまで要領はよくない。


 奈々千が答えた。


「なんかよそよそしくてやだな。奈々千、でいいよ。――それで、うん。私は外部受験で高校から入ったよ」


「ですよね、木場……あ。えっと……な、奈々千ななち先輩」


 たかが名前を呼ぶくらいでまごつく。そんな灯里を見て、奈々千はふふ、と淑やかに微笑んだ。すっきりした顔立ちは、そうやって笑うと実に大人びる。


 奈々千はその笑みを口許に残したまま、おっとりした声で尋き返す。


「もしかして灯里ちゃん、外部生に偏見持ってる?」


「そうじゃなくて……うーん」


 そういうのもない訳じゃない。実際、灯里は(金髪って羨ましい)とか思っている。ズルい、と思うのも偏見だろう。でも、今灯里がしたいのは校則の話ではない。


 ぼりぼり頰を掻きながら一頻ひとしきり悩み、結局灯里はそのまま打ち明けた。


「先輩、『はじめまして』って言った時、ちょっと哀しそうだったから」


 だから、もしかして知り合いだったかなと思ったのだ。グミの例があったから、奈々千が内部生であれば同じようにすれ違っていた可能性もある。しかし奈々千は外部生であった。灯里が勘ぐりすぎたのだろう。


「あはは」


 奈々千は小さく笑い、その話はそこで終わってしまった。がれた言葉はまったく別の話題である。


「私が灯里ちゃんに、カラオケ部のことをいろいろ教える係だよ。よろしくね」


「はあ。お願いします」


 何となくぎこちないやり取りを引き取ったのはグミだった。


「奈々千先輩はカラオケ部のチーフクリエイターを任されてて、カラオケのことは本当に何でも知ってるんですよ」


「クリエイター……?」


 灯里は奈々千に顔を向けたまま、グミの言葉を復唱する。

 うーん、と奈々千はあごに指を乗せ、少し首をひねる。


「そうねぇ。ここで話すのもグミちゃんの作業の邪魔になるだろうし、とりあえずそっちに移ろっか」


 そっち、と言って、奈々千は部屋の中央にあるソファを指さした。

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