【04/81π】いつか見た光景

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本編: 『11話 食堂の品格』

視点: ヤシロ

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 客が来ない店で帳簿を睨みつけていると、庭掃除をしているジネットの声が聞こえてきた。

 

「あっ! いらっしゃいませ!」

 

 あの弾むような声の感じからして、やって来たのは常連の婆さんだな。

 

「こんにちは」

「いらっしゃい」

 

 店に入って、俺に向かってぺこりと頭を下げるムム婆さん。

 ムム婆さんは陽だまり亭の常連で、洗濯屋をやっている、人畜無害を具現化したような、日の当たる縁側に置いておけば非常にマッチしそうな婆さんだ。

 

 どうやら、ジネットの祖父さんとも仲が良かったらしく、ジネットにとっては特別な存在のようだ。

 これまで漏れ聞こえてきた会話から、そんな推論が成り立った。まぁ、間違っちゃいないだろう。

 

「それにしてもまぁ、あらあらあら、可愛い服ねぇ」

「えへへ……」

 

 新しい制服を褒められて、ジネットが恥ずかしそうにヒザをもじもじさせる。

 

「ヤシロさんが作ってくださったんですよ」

「まぁ、そうなの。よかったわねぇ」

「はい」

「もっとよく見せてくれるかしら? ほら、ちょっと回ってみて」

「え、こ、こうですか? ……えへへ」

 

 恥ずかしそうにしながらも、新しい服をお披露目するジネット。

 ジネットが動く度に、ムム婆さんは相好を崩し、「まぁ、可愛い」「あら、可愛い」とべた褒めしている。

 

 なんだか、女将さんを思い出す。

 学芸会の衣装を着た俺を見て、同じように「まぁ、可愛い」「あら、可愛い」とべた褒めしてたっけ。

 竜宮城のタイ役だったんだけどな。

 あぁ、舞い踊ったさ。ヒラメよりも一層激しく舞い踊ったさ。

「俺に課せられたのは大役だからな、タイ役だけに!」とか言いながら。

 

 ……うん。しょーもないことを思い出してしまった。

 

 そんなことをしている間に、新ユニフォームのお披露目会は終了し、ジネットがムム婆さんに席を勧めていた。

 

「今お茶を入れますね。座っていてください」

「えぇ。ありがとうね」

 

 ぱたぱたと急ぎ足で厨房へ向かうジネット。

 その後ろ姿を見送って、ムム婆さんはカウンターの席へと腰を下ろした。

 

 ムム婆さんはいつもカウンター席に座る。

 これまでは、テーブル席の椅子がガタついていたから避けていたのかと思っていたのだが、椅子の足を直した後も、ムム婆さんはカウンター席に座っている。

 少し足の高い椅子に座り、ジネットの後ろ姿が見えなくなった後、いつもそっとカウンターを指でなぞる。

 指先に伝わる感触を忘れないようにと、思い出に刻み込んでいるのか。

 はたまた、その感触が思い出を呼び覚ましているのか。

 ムム婆さんは、いつも決まってそうしている。

 

 そのあとで、いつもムム婆さんはガランとした店内をゆっくりと見渡す。

 天井も、床も、壁も、店の中にあるすべてのものに思い出が刻まれていると、それらを眺める瞳は雄弁に語っている。

「あの席には昔、あの人がよく座っていて」「そうそう、あの席で昔、あの人とあの人がケンカして」「あぁ、そうだわ。あそこの壁、あの人が一度料理をぶちまけて汚しちゃって」――なんて思い出話が聞こえてきそうな、そんな瞳の色だった。

 

 俺は、ムム婆さんの視線が動き始めると自然体を装い仕事に没頭しているフリを装う。

 ムム婆さんの邪魔をしないように。

 そして、話しかけられたりしないように。

 

 ジネットの顔馴染みに名前と顔を覚えられては、いつか俺がジネットを盛大に騙す時に障害になるかもしれない。

「あ、その犯人になら心当たりがあります」なんて証言者は、少ない方がいい。

 

「お待たせしました」

 

 さほど待たせることもなく、ジネットがお盆を持って戻ってくる。

 

「今日はお茶請けに、野菜チップスを作ってみたんです」

「あら、可愛らしい」

「ヤシロさんが教えてくださったんですよ。低い温度でじっくりじ~っくり揚げるとカリカリになってとっても美味しいんです。ぜひ試してみてくださいね」

「あらあら。それじゃあ、一ついただこうかしらね」

 

 レンコンのチップをつまみ、こちらに向かって会釈を寄越してくるムム婆さん。

 俺も、最小限の会釈を返して作業に没頭するフリを続ける。

 

「まぁ、美味しい。口当たりは軽いのに、お野菜の味が凝縮されているみたい」

「ですよね。その上、日持ちもするんですよ」

「あらあら、お得だこと」

「今度作り方をお教えしますね」

「うふふ。楽しみにしているわ」

 

 どうやらジネットには、企業秘密という概念はないらしい。

 まぁ、野菜チップスなんか、見ただけでなんとなくの作り方は察しが付くからいいけどよ。

 作り方を教えるのではなく、作って売りつければいいものを……ったく。

 

「陽だまりの祖父さんがいたら、きっと喜んだでしょうね。ほら、あの人、根菜が好きだったから」

「そうですね。お祖父さん、レンコンには目がありませんでした」

「ふふふ。懐かしいわね」

「はい」

 

 二人の視線の先には、かつて人で賑わっていた陽だまり亭の姿が映っているのだろう。

 今ではない、どこか遠くを見ているようだ。

 俺はそんな二人の邪魔をしないように、この時間だけは大人しくするようにしている。

 

「あ、そういや薪が減ってきてたな。割ってくるわ」

 

 言うではなく呟いて、俺は店を出る。

 一瞬、ジネットが見送りに来ようとしていたが、それは手を上げて制しておく。

 お前は、婆さんと存分に語り合っておけ。

 どうせ、今日もその婆さんくらいしか客は来ないんだ。せめて、常連くらいは逃がさないようにサービスをしておけ。

 ……来客数0人とか、俺の心が折れかねん。

 

 店を出て、裏庭へと回る。

 

「特にすることもねぇし、本当に薪でも割っておくか。カエルにされちゃたまらんからな」

 

 ジネットがそんなことをするとは思えないが、弱みなどないに越したことはない。

 

 長い丸太を短く切り出し、手斧を持ってかち割っていく。

 適度な細さになった薪を紐で縛り、薪置き場へ積み上げていく。

 これまでは男手がなかったため、薪のストックはとても少なかった。

 ジネットは薪割りがとことん下手だからなぁ。

 

 家事は万能なジネットだが、日曜大工と薪割りはてんでダメなのだ。

 おそらく、胸元にぶら下がっているあの雄大な二つの膨らみのせいで手元がよく見えていないんだろうな。うん、そうに違いない。

 なら仕方ないよな。

 薪とおっぱい、人間が生きていく上でどちらが重要かなど、今さら議論する必要もないだろう。

 薪くらい、俺が割ればいいだけの話だ。

 

「そういや、女将さんも薪割りは下手だったっけな」

 

 ふいに、過去の記憶がよみがえった。

 俺が小学生だった頃、渓流釣りや山菜採りが得意だった親方に連れられてキャンプに行くことが何度かあった。

 薪の割り方、火の熾し方、魚用の罠の作り方なんかはそこで教わった。

 たいてい女将さんは家で待っていて、俺たちが帰ると熱い風呂と美味い飯で出迎えてくれたものだ。

 

 そんな女将さんがたま~にキャンプに同行する時があって、そんな時は女将さんが妙に張り切っていたっけ。

「薪割りは任せてちょうだいね」って言った女将さんに、親方は「ダメだダメだ」って必死に止めて、「斧は危ないから」「あら、包丁も刃物よ?」「薪は堅いんだよ」「カボチャだって硬いわ」と、変な口論をしていた。

 結局、「薪割りは男の仕事だ!」って、女将さんにはやらせなかったなぁ、親方。

 

 ドラム缶風呂に入りながら、「ちょっとくらいやらせてやればいいのに」って言ったら、「あいつの指先は綺麗だからな。マメとか出来たら嫌……ごほん、可哀想じゃないか」って、ぽろっと。

 あの後、寝るまでずっと照れてたっけ。「絶対言うなよ」って、何度も俺に釘を刺して。

 

「……くくっ」

 

 思わず笑いが込み上げてくる。

 俺はたぶん、親方のようにはならないだろう。

 いくつになってもべた惚れで、油断してるとすぐのろけが始まって。本人が無自覚だってところが救いようがない。どんだけ惚れてたんだって話だ。

 

 そんな相手、俺にはきっと現れない。

 現れたとしても、俺自身が別にどうこうするつもりもないし。

 私ゃ、愛より金が好き。

 って、昔の人も言っていたしな。

 

 

 昔のことを思い出したからだろうか、薪割りが妙に楽しく感じて結構長い時間続けてしまった。まぁ、使える薪を準備しておくのも必要だったし、ちょうどいいだろう。

 

「ヤシロさん」

 

 ジネットが小走りで裏庭へとやって来た。

 

「ムム婆さんは帰ったのか?」

「はい。ヤシロさんに『美味しかった』と言っておいてほしいとおっしゃってましたよ」

「前歯が折れたりしなかったか?」

「そんなにお歳を召してはいませんよ、ムムお婆さんは」

 

 いやいや、十分しわしわだろうに。

 

「薪割り、ありがとうございます。お疲れではないですか?」

「いや、やってると楽しくなってきてな。全然疲れなかったよ」

「そうなんですか」

 

 そう言ったジネットは、どこか女将さんを思わせるような目をしていた。

 そう、ちょうど――

 

「あの。わたしにもやらせてもらえませんか、薪割り」

 

 ――そんなことを言い出す直前の、わくわくしている時のような目を。

 

「いや、お前下手だし」

「だからこそ、練習するんです」

 

 腕まくりをして、力こぶを作ってみせるが、全然出来てないぞ力こぶ。

 見るからにぷにぷにだ。

 

「さぁ、手斧を貸してください」

「いや、ダメだ。やめとけ」

 

 絶対にケガをする。

 そうしたら、誰が料理を作るんだ? 店の経営が傾くようなリスクは冒せない。

 

「大丈夫ですよ」

「斧は刃物だぞ? 危険だからダメだ」

「包丁だって刃物です」

「薪は堅いんだよ」

「カボチャだって硬いですよ」

 

 えぇい、聞き分けのない!

 お前がケガをすると俺が困るんだよ!

 

「貸してください」

 

 強硬手段に出たジネットは、俺に詰め寄ってきて、手斧を握る俺の手を包み込むようにして握った。奪い取ろうというのか、そんなぷにぷにの手で。

 

 ジネットの手は、毎日の水仕事で少々荒れてはいるが、それでも十分柔らかくて、細くて、繊細で、とても綺麗だった。

 この指先にマメなんかが出来てしまったら、なんだかもったいない。そんなことを思ってしまった。

 

「ダーメーだ! 薪割りは男の仕事なの!」

「もぅ、ヤシロさん!」

「ダメったらダメ! はい、今日の薪割り終了ー! さぁ、仕事だ仕事だ」

「ちょっと、ヤシロさん。待ってくださ~い!」

 

 ぱたぱたと追いかけてくるジネットの足音を聞きながら、簡単なハンドクリームでも作ってやろうかなと、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

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