幕間 ハートフィル

 ハートフィルは、世界の中でも最も水資源が豊富な国である。

 南はデイザード大森林、北はアールペウス山脈という世界でも有数の水源地のおかげで、綺麗で新鮮、そして何よりも安全な水が、豊富に、とてつもなく安価で容易に手に入る。



 ヒルフェが前世で生きていた2000年代の日本と違い、この世界では、一般的に軟水はなかなか高価なものだ。


 魔法やスキルが存在するおかげで、水自体は相応の対価を払うなりすれば、比較的簡単に手に入る。

 ただ、それで手に入るのは大概が硬水だ。飲料水にするには、口あたりが重く、苦い。この世界自体、比較的硬水の地域が多い。


 そのため、ハートフィルは自国が保有する莫大な水資源、特に豊富な軟水を他国へ輸出することによって、主に資金を得ている。輸出相手の中にはなんと、魔王もいるほどだ。



 さて、そんなハートフィルだが、現在”冥延の魔王タナトス”ヘイルの脅威に脅かされようとしていた。


「……宣戦布告からもう一週間か」


 ハートフィル現王、イブン・レイバット・ハートフィルは、そのことに頭を悩ませていた。


 現在7柱――――いや、8柱存在する「魔王」。その中でもヘイルは、とりわけタチが悪かった。


 毒素を操るチカラを持ち、思うがまま、感じるがままに破壊を振りまく。その毒素に侵蝕されたモノは、腐り果てるか、ヘイルの傀儡になるかのほぼ2択だ。

 刹那主義で、快楽主義。水の取引相手であり、旧友でもあるとある魔王から、イブンは「どうにかならないものか」と愚痴を聞かされたことがあるほどに、ヘイルは問題児なのだ。


 そんな魔王ヘイルだが、もとからここまで大きく騒ぎを起こしていたわけではない。『総魔会議』で「魔王」と認定されてからというものの、増長し、ここまでの騒ぎを起こしているのだ。


 勿論、魔王たちも普通は、こんな我儘勝手な暴れん坊な輩を「魔王」と認定したりはしない。人間や亜人、何名かの魔族達はその時、首を傾げた。

 困ったことに、ヘイルには力があったのだ。だから、元々いたとある魔王を力づくでぶっ飛ばし、会議で魔王と認めさせたのだ。


 力のある我儘な子供ほど、手のかかるものはない。


 そんなヘイルを野放しにするわけにはいかないと、数名の魔王やいくらかの人類国家は動こうとした。しかし、動くに動けなかった。

 その理由が、「毒素」だ。


 一般的にこの世界の毒は、たいていの物なら解毒魔法で治る。普通の解毒魔法でも治らない猛毒でも、教会に行けば治してもらえた。

 ただ、ヘイルの操る「毒素」は、教会の高位の神官の魔法でも治せないほど強力で厄介だった。


 いや、治せないわけではない。【完全治療】のスキルを持つ神官ならば、多少の時間さえかければ治せる。

 しかし、そんな高位のスキルを持つ者なんて、両手で数えられるくらいしか確認されていない。  

 たった一桁の人数で、数万人を治せるか?そんな簡単な問いに、「イエス」と答える者はいないだろう。


 どんなに強力な破壊の魔法の使い手やスキルの所持者だろうと、チカラを使う前に無力化されてしまう――――そんな芸当ができてしまうのが、ヘイルという魔王だった。

 事実、ヘイルに最初に襲われた国は、世界の中でも1・2を争う軍事力を有する国だった。だというのに、その力の一部すら発揮できずに、襲撃から約3日で陥落してしまった。


 そんな魔王に狙われている――――その事実は、他のどんなことよりもイブンの頭を悩ませていた。


 と、悩む矢先。突如として、イブンの部屋……国王の自室の扉がノックされた。


「誰だ」

「王よ、私です。宰相のホギアです。お伝えしたいことがございます」

「……入るがよい」


 扉が開いて壮年の黒髪の男性、宰相のホギアが入ってきた。ホギアは焦燥した様子だ。


「で、どうした」

「はい。まず、魔王ヘイルより、『3日後に動き出す』との宣告がなされました」

「……なんだと?」

「こちらを」


 ホギアが四面体の水晶を取り出す。水晶へ魔力を籠めると、空中に、ホログラムのように人影が映し出された。

 紫色の肌をした、金髪金眼の少年だ。鎖や宝石で飾り立てたファッションは、パンクロックとも言えなくもない。この世界では、かなり珍しい格好だ。

 この少年こそが、”冥延の魔王タナトス”ヘイル。騒ぎの元凶だ。


『あー、あー……よし。聞こえるか?ハートフィルの人間共!俺だ、俺様だ。"冥延の魔王タナトス"ヘイル様だ!』


 見下すような高圧的な、しかし子供のような口調。イブンは眉をひそめた。


『しばらく待っていたが、そろそろ俺様も飽きてきた。だから、猶予は3日。3日後、俺様達は動く!せいぜい余生を楽しめよな!』


 ブツンと音がして、映像が終わる。絶望的なニュースだ。

 しかし、イブンは眉をひそめてはいるが、冷静だった。


「……して、もうひとつ報せがあるのだろう?」

「え……はい!"放解の魔王カルサイト"探索に出た、宮廷魔術師のレイ・ローグライク達から連絡が入りました。」

「ほう。なんと?」


 "放解の魔王カルサイト"。ごく最近、神託と総魔会議の全てで認められた魔王。

 素性を知るものは居ない。いつ現れたか、何をしたかも不明。


 ただ、『生命の理を操る力を持ち、死せる者を灰より蘇らせ、彼の者の前に不治の病は無い。

世界の知識集まる本を持つ、命司る禁書』という、(ヒルフェにとっては「誰がそんなこと言い始めたんだ」と頭を悩ませるような)噂が流れていた。


 回復の魔法やスキル自体は珍しいものでは無い。だが、病すら治せるというのが本当ならば────ヘイルの毒素すら、なんとかなるのでは無いか。


 神託によると、デイザード大森林のどこかにある塔にいるとの事だった。

 だから、一縷の望みを託して、宮廷魔術師のレイ達を探索に出したのだ。


 果たして、その結果は。


「『協力を取り付けたので、帰還する』との事です」

「……なんだと!?」

「はい、確かに"放解の魔王カルサイト"は存在し、協力してくださる……との報告です」

「直ちに皆を招集せよ。レイ達の帰還はいつ頃だ?」

「2日後、だとのことです」

「良い。勇者も会議へと呼べ。下がってもよいぞ」

「仰せのままに」


 ホギアが出ていったのを見ながら、希望が見えた────イブンはそう、直感した。

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