第17話 対峙

 ある寒い日の夜、青年はウォレスが起こした暖炉の炎をみて呟いた。

「師匠の炎って、こうやって見ているとすごく柔らかくて優しいですよね」

 揺らめく炎が青年の緑色の瞳に映り込む。

 師匠は少し照れ臭そうに頭を掻いて青年の横に座った。

 手に持っていた果実を半分青年にやると彼は口を開いた。

「炎はな、命を奪うことも生かすこともできる。そんな不思議な力なんだ。命を奪う炎は激しく暴力的で、恐ろしい。だけどこうして暮らしに根ざす炎は誰かの命を守る炎だ。人間が食べる時に調理するのも、炎が必要だ。だからな、炎は命そのものなんだよ」

「へえ……命か。僕にも、いつかこんな優しい炎が作れますかね」

 そういって青年は微笑んだ。

「きっと、できるさ」

 師匠も笑った。

 静かな部屋の中には暖炉のパチパチという音だけが鳴っていた。




 繰り返す日常と繰り返す修業。

 魔物を相手に戦闘を続けてきて、ラウルは師匠がいなくても戦えるという自信がついてきた。

 そんな時、事件が起きた。


 その日も砂漠でザントクラウという黒くて大きなニワトリのような魔物を倒そうと奮闘しているときだった。

 ふと大きな禍々しい魔力を後方から感じて振り向くと、城の中心から、光の柱が上がっていた。

 その瞬間、迫ってきていた魔物が唐突な炎に包まれて黒い煙となって消えた。

 これは師匠の魔法だ。

 師匠が蒼い顔をしている。修業を中断するなんて今までなかったことだ。

 彼が走って柱のほうへと向かう。青年はそのまま師である男の後を追いかけることにした。


 いつもはこんなに急いで移動することはないが、砂漠から城までは意外と距離があった。

 その間に光の柱は段々と雲のような形を帯びていく。

「あいつ、お前が見つからないからこの世界ごと氷漬けにするつもりだ」

 恐ろしい考えだ。師匠が言うからには間違いがないのだろう。しかしそんなことはあってはならないと、青年は思う。

 自分が精霊の狙いなら、出て行って食い止める。氷漬けになった故郷を思って青年は走る足に鞭打った。



 数年ぶりに訪れた城は何も変わっていなかった。

 氷で滑りやすい床を気を付けて進んでいく。前を進む男の顔は見えなくてもこわばっているのが感じられた。

 やっとのことで玉座の間にたどり着く。

 あの女だ。白い髪に白い服、その肌も透き通るように白く、またその瞳も氷のように冷たい白だった。

 長い、長い詠唱。

 その精霊は二人がここまで来たことにまだ気づいていないようだった。

 師匠が何か言うより早く、青年は集中していた。

 目を閉じ、ありったけの魔力を手の先に込める。

「エーフビィ・アイジィ」

 先の尖った鋭利な氷。その形には彼女を倒そうというラウルの強い意志が込められていた。

 勢いをつけて飛び出していったその氷が、精霊にぶつかった。

 魔法が拡散し、消える。そして精霊も、詠唱をやめ、彼をじっと見据えた。

 鋭いその瞳に魅入られるだけで凍ってしまいそうな錯覚にかられる。

「ようやく会えたな。7年ぶりか、待ちわびたぞ。生き残りの王子よ。私はデジル。お前らの国に何百年もの不自由を強いられた精霊だ。さあ、家族と同じ姿になれ!」


 彼女の一言で猛攻が始まった。

 師匠は精霊である彼女に言葉をかけようとするが、それすらも聞こえないような勢いで彼女は恐ろしい数の氷を飛ばしてくる。

 彼女の魔法はウォレスには効かないが、彼女の狙いはラウルだ。彼を守るために男は炎の魔法で精霊の攻撃を防ぐ。

「何故邪魔をするウォレス。私もお前も、こいつの国のせいで自由を奪われたじゃないか!」

 叫ぶ彼女の瞳は怒りに燃えていた。

「そうだ。だが、こいつが俺たちをあんなところに閉じ込めたんじゃない。悪いのは昔のあいつらだ。それにお前、人間になったらやりたいことがあるって言ってたじゃないか。それも忘れてこんなことをし続ける必要があるのか?」

「私はただ、お前と……いや、そんなことはもうどうでもいい! お前のことだから話をすれば私がこの国の魔法を解くとでも思っているのだろう。だが、とんだ見当違いだな!」

 会話をする気はなさそうだった。彼女の氷がまた鋭い形状を為していく。

 師匠は後ろに下がって青年に降りかかる氷に炎をぶつけて相殺していく。

 しかし彼女の手数は多く青年が攻撃をしようと魔法を放っても師匠の守りで散らされてしまう。

 きっと彼女に攻撃するには距離を詰めるしかない。

 青年は言う。

「師匠、守らなくていいです! 防壁を消してください!」

 ためらう男に、青年は水の魔法を浴びせた。ハッとした男に青年は叫ぶ。

「僕しか救えないのなら、僕にやらせてくれ!」

 その叫びの瞬間、師匠の魔法が消えた。動揺した女のほうも、一瞬攻撃が途切れる。

 ラウルは剣を引き抜き、詠唱する。

「エーフビィ・ヴィント」

 彼の剣に風の魔法が宿った。剣を振ると旋風が起き、女の氷の軌道を変える。

 雷の魔法を撃ちながら、氷の魔法を捌き、じわじわと距離を詰めていく。

 その時、背後から大きな氷がぶつかり、ラウルの体が大きく宙を舞う。

 玉座の間の壁にたたきつけられた彼に師匠が援護しようとするが、それはデジルに制されてしまった。

 ふらつきながら立ち上がった彼の頬を女の氷が掠める。鮮血が舞った。

 ラウルは素早く右に転がり込むと女の方向に風の魔法を放った。軌道がずれた氷は青年の方には飛んでこない。

 その間に、彼は雷の魔法を剣に宿らせ、勢いよく女に突っ込んでいった。

「距離を詰めても、戦局は変わらんぞ。お前は死ぬ」

 そういった女の声はあまりにも冷たく、背筋に冷たいものが走る。

 しかし恐れを抑えて青年は斬りかかった。

「僕にしかできないことなんだ。貴方は間違ってる!」

 青年の攻撃を彼女はいとも容易く避ける。

 彼女は氷で杖のようなものを作り出すと振りかぶった。

 雷を纏った剣と氷がぶつかる音が玉座にこだまする。

 長い戦いだった。

 お互い一歩も引かずに得物をぶつけ合い続ける。

 と、ラウルは一旦間合いを取ると女の足元に風の魔法を撃った。

 風に足を取られる彼女めがけて踏み込み、そして剣を突き刺した……はずだった。

 引き抜いた剣には何の感触もない。気持ち悪い。

 そして彼は氷の杖によって勢いよく殴打されて弾き飛ばされ、床に転がった。

 殴られた頭からは血が流れ、衝撃で頭がぼうっとする。

「無駄だ、氷の精霊である私に効くのは炎のみ。お前は使えないのだろう?」

 何故それを。そう思ったときには彼女が手を振り上げていた。

「これで終わりだ」

 あの時と同じだった。きっとすさまじい冷気が彼を取り込もうとするのだろう。

 万事休す。その時、師匠の叫ぶ声が聞こえた。

「想像しろ! 炎を! おまえの家族が救われる様を! お前ならできる!」

 師匠を見ると、彼は頷いた。青年も、頷き返し、そして目を閉じた。


 想像する。

 城下町で走り回ったままの姿の子供たちを。食事をしたままの姿の兄姉たちを。談笑しながら凍ってしまった両親を。

 鬼ごっこを続けて、勢い余って転んで泣いてしまう子供たち、兄さんたちだけずるいと文句を言うと文句で返してくる兄弟たち。両親の談笑に混ざって笑う師匠と、自分。

 皆の動く姿が見たい、声が聴きたい、笑顔が見たい。

 長い間小さな宝石の中に閉じ込められた不運な精霊。彼女は精霊だったころ、師匠のように笑ったのだろうか。

 氷のように冷たい表情も、温かい炎で溶かせば、きっと柔らかい笑顔を見せるのだろう。

 彼女を包み込むような魔法、師匠が作るような激しく、優しい炎。

「……エーフビィ・メラフ」

 青年の手から、温かい光が漏れ出た。

 小さな炎。その光はとても優しかった。

「ラウル……」

 師匠の呟いた声が聞こえる。

 青年が立ち上がりその炎を両手で包み込み、そして開いた。

 柔らかい光が氷の精霊に向かって広がっていく。それが驚愕する彼女の体に触れた時、端から彼女が溶けていった。まるで氷のように儚く失われていく精霊の姿。


 そして最後の瞬間、ほんの少しだけ彼女が柔らかく、そして悲しげな微笑みを見せたように見えたのだった。

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