第2話 凍てついた国

 氷に閉ざされた世界。

 そこは、少年がいつも見ている街とは違う様相を呈していた。

 門の端々には氷がこびりついており、今にも街の外にまでその範囲を広げそうだ。

 街の門扉は凍りついてびくともしない。

 幸い扉は開いていて中には入れそうだ。しかし、そこを通り過ぎようとしたとき、少年はある違和感に気づく。

 門の端にこびりついた二つの大きな氷塊。その中に人影が見えたのだ。

 ラウルは恐る恐る近づいて恐怖に尻餅をついた。

 上を見上げ驚愕の表情で固まった人間。外からの侵入者から守るための兵士達までもが、氷漬けにされていたのだ。

「うそ、でしょ、こんな……夢だ、夢に決まってる」

 悪い夢じゃなかったらなんだというのだろうか。これは紛れもなく人間だ。そのまま人間が氷漬けにされているなんて。

 彼らは生きているのだろうか。気分が悪くなり少年は門扉の茂みの中に屈んで嗚咽した。

 こんなこと、あっていいわけない。

 気分が落ち着くと彼は立ち上がった。

 家族の無事を確かめなければ。きっと王族のみんなはいち早く非難しているはずだ。

 その一握りの希望を胸に、ラウルは氷漬けになった街へと足を踏み入れた。


 城へ向かう道はなだらかな坂だ。真っ直ぐ登れないようにはなっているが、見晴らしはいい。

 城は見えるはず、でもそれを遠目から確かめる気にはなれなかった。少年は目の前だけを見据えて前へと進む。

 氷が全く溶けないのはなんなのだろうか。今は夏だというのに、街に入った瞬間から異様に寒かった。

 雪が降っているわけではないが、明らかに空気が冷たい。少し動くだけで冷たさが頬を撫でる。まるでここだけ冬に飲み込まれてしまったかのようだった。今日は風が強かったので防塵でマントをつけていたからよかったが、普段ならそうもいかなかっただろう。


 坂の中腹には街の人たちが集まって商売をする広場がある。そこまでも氷漬けにされた人はいたが、広場はさらに悲惨な状態だった。

 いくつも並んだ露店の数々。その全てが品物ごと氷塊に覆われていた。

 あるものは果物を抱えたまま。あるものは指で値段を指し示したまま。またあるものは子供の手を握ったまま。品物を選ぶ客や話しかける店の者も、そのまま凍り付いていた。

 見知った人ばかりだった。門扉の兵士もそうだ。少年は仲良くしていた街娘の顔を見つけて、路地裏でまた吐いた。


 やっとのことで城の入り口までたどり着いた彼はもう、ヘトヘトだった。

 一体どうしたらこんなことになるのだろうか。

 いくら魔法が不思議なことを引き起こす力だといえど、一国丸ごと氷漬けにするものなんて聞いたことがない。いや、あるのだろうか。ラウルは自分の不勉強を呪った。

 城も街と同じ様相を呈していた。そりたった塀の上から氷柱が垂れ、今にも落ちてきそうだ。

 氷柱の下に入らないようにしながら内門への階段を滑らないように登ってゆく。途中何度も転び、支える手は霜焼けで血が滲んだが、城の中に家族がいないことをどうしても確認したかった。


 結果は、入口から明らかだった。

 廊下を歩く使用人は茶器を入れた台を押した姿のまま、その先の食堂では兄たちがたった今淹れたばかりであろう紅茶を手に机を囲んで談笑したまま凍り付いていた。きっと訓練が一区切りついて休憩でもしていたのだろう。自分が怠けている間に、こんな。

「エルヴェ兄さん、シリル兄さん! 僕だよ、ラウルだよ! お願い、何か言って。言ってよ……!」

 ラウルが叩いても揺らそうとしても二人の兄たちを包み込む氷塊はびくともしなかった。

 涙が止まらなかった。どうして自分だけ元気に生きてるんだ。兄たちと同じようにちゃんと訓練していればこんなつらい思いはしなくて済んだのに。

 もうボロボロだった。これ以上城の中を見るのが怖い。父上は? 母上は? もしみんな凍ってしまっていたら僕はどうすればいい?

 藁でも掴む思いだった。誰でもいい、誰か一人でも生き残っている人がいれば……。

 その思いだけが少年を突き動かした。書庫では母が本を読んだまま、二人の姉は中庭で楽器の練習をしたままなのが見えた。

 父は……。

 玉座の間に向かった少年は、何もかもが止まった世界の中、自分以外の動く人影を見た。

「よかった! 父上!」

 希望に胸を躍らせて少年は勢いよく玉座の間に飛び込んだ。

 目に入ったのは、望んだ者の姿ではなかった。


 その人は綿のような白い髪に青白く透き通るような肌、雪を編んだような白い服を纏い、少年の方を振り返ったその目もまた、氷のように冷たい白だった。

 振り返ったそれは紛れもなく父ではない女で、その美しさと冷たさにラウルは玉座の間の入り口で固まってしまった。

 間違いない、この国を氷漬けにしたのはこの女だ。

 確信を持った推測。それを見たわけではなくても、ここに今立っている女が全ての元凶であることは明白だった。

 女が動いたことで後ろの玉座に座る者の顔が見えた。父だ。驚愕の顔で凍りついた父の姿。

「父上……」

 最後の望みも潰えたラウルは、崩れ落ちて地面に手をついた。凍り付き鏡面のようになった玉座の間の床に、情けない少年の顔が見えた。

 もう誰もいなくなってしまった。少年の家族はもう、どこにもいない。

 女が何かを呟いていた。

 その表情から、きっと怒っているのだろう。

 けれど透き通る彼女の美しい声には抑揚がなく、本当にそうなのかわからなかった。

 彼女が右手を天に振りかざす。

 冷気が彼女の掌に集まり出した。

 ああ、やっぱりこの女がみんなを殺したんだ。

 きっと自分もここで死ぬ。そうしたらきっと、兄たちのもとに行けるだろう。辛い気持ちにならなくて済む。

 女が手を振り下ろすその瞬間、少年は穏やかな心持ちで目を瞑った。

 近づいてくる冷気。

 冷気が少年を包み込もうとした瞬間、熱が少年の目を開かせた。


 何が起こったのか、瞬時にはわからなかった。

 赤く、壁のように立ち塞がる炎。

 熱気がラウルの栗色の髪を、凄まじい風とともになびかせる。

 燃え盛る紅炎が、少年を凍てつく氷から守ったのだった。

「なに、が」

 呆然と立ち竦む彼を衝撃が襲う。

 見えたのは凍った玉座の間の地面。

 薄れる意識の中、ぼんやりと大きな人影が見えた。その誰かに自分の身は担がれている。そう認識した後の記憶は、ひどくおぼろげだった──


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