第六話 その少女、メイドにつき

 ノアが嵐のように連れ去られた後、僕は覇王の止まり木亭特製のアッティルトをご馳走になった。


 ちなみに余談だが、アッティルトというのはこの地方で伝統的なアップルパイに似た焼き菓子のことを指す。


 焼き菓子の良し悪しはよく分からないが、店で出しているだけあって中々の美味しさだった。


「……さて、ただいまっと」

 

 覇王の止まり木を後にした僕はそれからも周囲の散策を続け、ネフェラに言われた通りお昼前にクロムバッハ邸に戻ってきた。


 欲を言えばもう少し散策しておきたいところだったが、色々と事件があったせいであまり時間を掛けることが出来なかった。

 

 まあ、仕方あるまい。本格的なフィールドワークは明日以降にしよう。


「ネフェラとノアは食堂かな?」


「おかえりなさいませ、ご主人様っ!」


 食堂へ向かおうと玄関広間を歩いていると唐突に声を掛けられる。


 声の主はノアだった。


「は?」


 だったのが、面を食らった。

 

 ノアの姿は先ほどとは違って侍女姿──すなわちメイド服を着ていた。


 いや見習い侍女という話だからメイド服の着ているのは変ではないのだが、問題は服その物にあった。


 彼女が着ているメイド服は、ネフェラのゴシック映画に出てきそうなヴィクトリアンメイド風ではなくて、フリルやレースが沢山付いた可愛らしさを全面に出した服装だったのだ。


 何というか僕の世界でいうところのメイドカフェに出てきそうな感じだ。


「えへへ似合うかな、アイ君。これ帝都の有名なデザイナーさんが作ったメイド服なんだよ。ユニゼラルでも最近流行ってるんだ」


「……あ、うん、はい」


 なんだろうこれ。


 服自体はノア本人の可愛さも相まって大変良く似合ってらっしゃるのだと思うが、何故だか違和感が拭えない。


 時代劇を見ていたらファストフードが当然のように出てきた感じだ。


「……まったく嘆かわしいことでございますな。このような軽薄な服装がクロムバッハ家だけではなく他家にまで流行しているとは」


 僕らの会話を遠目に聞いていたのか嘆息しながらネフェラがやってくる。


「えー侍女長おっくれってるぅー、本邸の若い女の子みんなこっち着てるよぅ」


「ほほう、暗にワタクシが年増だと言いたいのでございますか」


「痛い痛い、侍女長! そんなこと言ってないってば!」


 ネフェラが無表情でノアの両頬を弄くり回す。


「……まあ、冗談はさておき。ゼノアさん、例のアレを」


 ネフェラが神妙な様子でノアを促した。


 例のアレってなんだ?



「あ、うん、分かった。……じゃなくて、はい、かしこまりました!」


 ノアは背筋を伸ばして僕に向き直る。


 そして、おもむろに片膝を床に付け、右手を首の高さまで平行に持ってくる。


 これってたしか武門の礼式だったはずだが──


「我が名はゼノア。姓はございません。本日付を以てアインス・トゥルス・クロムバッハ様の専属従者として御仕えさせて頂きたく存じます」


 は? 専属従者だって?


 僕はまたもや面食らった。それこそ鳩が豆鉄砲を食ったように。

 

 というか、遅まきながら武門式の礼の意味を理解した。首の高さまで平行に上げた手は、短剣を持った手を意味しているのだ。仕えるべき主君、主命のためならば命をも投げ打つという覚悟の表れ。


「ネフェラ、専属従者っていうのは?」


「貴族様にお仕えする秘書官のようなものでございますな。

 お坊ちゃまはご存知無いかと思いますが高位の貴族様であれば皆一様に専属、専任の従者を最低一人はお持ちになっています。

 多忙な日程の調整、普段の生活の管理及び補佐、あるいは身辺警護などを中心に行う者たちでありますね」


 たしかにハウスキーピングをしながらでは一個人に掛けられる時間は減ってしまう。多忙な貴族の側仕そばつかえのような物なのだろう。


「……ちょっとネフェラ」


「はい? なんでございましょう?」


 僕はネフェラを玄関広間の隅に連れて行った。


「……僕は転生者で、そもそも貴族でも何でも無いんだから、専任のメイドを手配されても困るんだけど」


「はぁ……ですが、お坊ちゃまぐらいの年齢で専属従者を決めるのが通例でございますが」


 正直、今の状況下では専属従者なんてものは邪魔でしかない。僕の身の回りの世話など監視と一緒。行動を制限される可能性が高い。できれば断りたいのだが。


「それは外見年齢の話だろう? そもそも専属の側仕えならもっとベテランを配置するべきなんじゃないのか? 彼女はまだ子供だ」


「専任従者は将来の腹心も兼ねていますので、お仕えするお方とそれなりに年齢が近いのはままあることでございます。……まあゼノアさんは今年で十二歳、あの年齢は非常に稀な事例ですが」


 糞、なんだか言いくめられそうな気がした。


「……そもそもだ。年齢の近い者同士で間違いあったらどうするんだ」


 倫理観方面で論破したいが弱いか? 

 

 そもそもこちらの世界の常識がまだよく分からない。

 

 だが僕の言葉にネフェラの目が怪しく光る。


「ほほう、お坊ちゃまは手を出す気があるということでございますか」


「冗談は止めてくれ。僕は転生者なんだ。あんな子供に欲情する趣味はないよ。……そうじゃなくて、常識的に考えて駆け落ちにでも発展したらどうするんだ」


「おほほ、帝都で流行りの悲恋小説でありがちな筋書きでございますね。まあ身分違いの恋とは燃え上がりやすいものございますからなぁ」


 くすくすとネフェラが笑う。


「ともあれ、お坊ちゃまが何を述べてもこの決定は覆りません。なにせこれは旦那様の決定事項でありますから」


「ゲオルグさんの? どうしてだ?」


「さて、ワタクシの口からなんとも。彼女……ゼノアさんがどうなろうともワタクシには関与できないことでございますから」


 ネフェラの飄々とした物言いから真意は読み取れない。


 しかし気に入らないな。

 

 まるで献上品。僕に対してあてがったような言い草でもある。


 こちらの機嫌取りの一環なのか?

 小娘一人をあてがって、どうぞご自由に、か?


 殺人鬼とて最低限の倫理観は持っている。(勿論それは僕が日本で生きてきた現代社会の倫理観でもあるが)

 こちらの世界の人権意識がどうなっているか知らないが、人間が物のように扱われるのは反感を覚えるのだ。


「……はあ、分かったよ」


 僕がゴネてノアの立場が悪くなってもしょうがない。

 ここは専属従者とやらの関係を呑もう。


 僕たちは武門の礼式を取ったままのノアの元に戻った。


「ん、なになに、どったの? ははーん、アイくん、いきなり綺麗なオネエサンが専属メイドになったからってドキマギしてるのかなぁ」


「ほうほう、仕えるべきに主人に不敬を述べるのはこの口でございますか」


「いだいいだい! 侍女長、ほっぺたつねらないで! 動けないから!」


 ノアは礼式のまま、またもやネフェラに両頬を弄り回されていた。


 うーん、この子、アホの子だけど悪い子じゃないんだよなぁ。


「ノア、もう楽にしていいよ」


「え、ほんと?」


 ノアが膝を付いた状態から飛び跳ねるように立ち上がった。

 僕はノアに対して右手を差し出した。


「いきなりで面食らったけどね。これからよろしく頼むよ」


「うん、分かった……じゃなくて、分かりましたアインス様」


 ノアは僕の差し出した右手を笑顔で握り返した。


「それと堅苦しいのは苦手でね。呼び方は今まで通りで構わないよ」


「え、ほんと? やた、わたしも敬語とか苦手だから助かるよ」


 ネフェラの視線が厳しいが、諦めたように息を吐いた。


「色々と言いたことはございますが、まあ良しとしましょう。ゼノアさん、アインス坊ちゃまにくれぐれも失礼のないようにお仕えするのですよ」


「はい、かしこまりした、侍女長!」


 ノアが「ぬふふ」と怪しげに笑いながら、僕の腕に抱きついてくる。


「──それじゃこれからよろしくね、


 その笑顔はまるで悪戯坊主のように天真爛漫だった。


 ……はあ、やれやれ、これから苦労することになりそうだ。

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