第33話

 彼女が去った伽藍堂になった教室はなんだか変な懐かしさがあった。高校の頃、といってもここ一年くらい前、ずっとこの教室にいた気がする。いや、実のところは教室じゃなく、美術室で同じような感じを受けつづけていた。

 校庭が遠い。遠近おちこちに起こった声が素通りする。机や鉛筆がよそよそしい。何もかもが自分にぎこちない。浮いてるんじゃない。深く沈み込んでしまっている。肌より内部に自分だけの一畳間を創り出してしまっている感覚。


 美術部を総括すれば、楽しかった、という他ない。皆すべてがいい奴だった訳ではないけど、悪い奴はいなかった。程よく冗談があって、程よく絵に熱心なのが、うちの美術部の特徴だった。だから、別に部員同士の確執なんてものはない、と思う。

 そう、だから、あの部屋の感覚は僕の内面だけの問題なのだ。


 絵の上手い下手を何とするかはどうにも言い切れないけれど、でもはっきりとわかるものではあると思う。

 美術部にまだ入りたての頃、僕は同期のなかで一番絵が上手かった。デッサンや油絵や水彩、それぞれの絵を見比べても僕のものが一番優れていると感じていた。多分、それは技量的な話云々じゃなく、僕は僕の絵が好きだった、そのことに尽きたんだと思う。あの頃の僕は佐伯祐三やドガの絵を観ても、技術的な嫉妬はあるけれど、感性的な嫉妬は起きなかった。

 人から褒められることもままあったが、けれどもそれは二の次で、ひとつ絵を終える毎に僕は眼前の作品に陶酔していた。なんて素晴らしいものを描いたんだろう! って。生き生きとした色から痺れるような快感を得て、僕の満足はそこが頂点だった。それからの人の賛辞なんて、むしろ不満足に思えた。

 しかし高校の二年になると変化があった。この変化を何と言えばわからないけれど、彷徨いながら絵を描くことが多くなった。これまでの絵は、急に天からの贈り物のような情景が瞬いて、それを必死にキャンパスに表す作業に近かった。そのうちに模索と工夫を凝らしながらひとつひとつ前に進む感じ。だから道に迷う感じはあっても彷徨うことはなかった。目的地がしっかりあって、そこにどう行くかの問題だったから。

 しかし、いくつか絵を描き続けるうちに、描きたい物というのがわからなくなった。突然現前される、心震える情景がなくなったのだ。いや、というより僕の心の感度が鈍くなって頭に浮かんだ情景をいくつも見過ごしてしまったのかもしれない。

  彷徨いながら描く。それは想像以上に辛いことで、しっかりともう手のつけられないところまで描き終えても僕は何だかその絵を愛せないことがままあった。僕と同じ力量の、違う人物が描いたもののように見えるのだ。癖や構図は僕そっくりなのに、僕の感性にちっとも響かない絵が続々と出来上がった。

 それでも何となく及第点くらいの絵は描けた。まあ、こんなもんだろう、いつかきっとまた良くなるさ、そう言い聞かせるしかなかったけれど、まだ致命的な失望とか消失感とかいうのはなかった。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る