第42話

 ぼくは慌ててエディの隣に駆け寄る。「まだ生き残りがいるのか?」

「そうじゃないらしい。メッセージのタイムスタンプは数か月前だ」

 エディはコンソールを操作し、通信信号のメタデータを辿っていく。

「カイル」

「なんだよ」

「……フランシスを呼んできてくれ」

「誰からのメッセージか、解ったのか?」

「ああ。だから、早くフランシスを呼んで来い」

「呼んでは来るけど……勿体振るなよ。送り主は誰だ」

 エディが口を開く。そして、その口から出た名前に、ぼくは自分の耳を疑った。

「この通信の送り主は、ウォルターだ」

 通信データに格納されていたファイルには、一本の映像データとそれに紐づけられた膨大な量の暗号データが入っていた。

「……開くぞ」

 エディがコンソールを操作するその指先の動きに、ぼくとフランシスは固唾を呑む。

 スクリーンに、映像が表示された。いつだったか、初めてぼくたちが揃った、あの倉庫だ。中央手前に、見慣れたテーブルの天板が映っている。そして、カメラが揺れたのだろう。映像が一瞬乱れたあとに、カメラの正面にウォルターが腰かけた。

〈まずは驚きの発表……といきたいところだが、これを見ているということは、お前たちは無事に《ミグラトリー》を出発したというわけだな。良くやったよ〉

「〈ファントム〉を奪うよりも前に撮ったらしい」とエディ。

「自分は同行できないって予感してたわけ?」とフランシス。

「黙って聞いてやれよ」とぼく。

〈おれがそこに居られないわけなんだが……いや。違う違う。まずはビッグニュースだ〉ウォルターはいいながら、テーブルの上に小型の端末を置き、スクリーンがカメラに映り込むように向きを調整した。

〈今日という日を迎えるまでに、おれたちは何十万、何百万というメッセージを、嫌がらせのように宇宙へバラ蒔いた。宛先が書かれていないおれたちの言葉は、誰に届くこともなく、真っ暗闇を今も漂い続けている……かと、思いきや〉

 ウォルターは笑みを浮かべる。

〈実はそうじゃなかった〉

「この話を先に聞いていたらな」とエディ。「何かが変わったかもしれない」

「あんなことになるなんて、誰にも考えつかなかったでしょう」とフランシス。

 ぼくは外で作業中の〈プロテージ〉に目をやった。ウォルターの話は彼女のことだろうと……そう思ったからだ。

〈おれたちのメッセージは無視されたんじゃない。返事を妨害していた奴がいたんだ〉

「電波って……〈スフィア〉の正体を隠していた?」とぼく。

「他にないだろう」とエディ。

〈見えるか〉とウォルターは端末のスクリーンを指す。〈中心にあるのが《ミグラトリー》だ〉

 ウォルターは画面上の模型を摘まんで離した。すると、スクリーン上の〈ミグラトリー〉の模型が縮んで、縮んだ〈ミグラトリー〉を包み込む透明な球体が現れた。

〈この《ミグラトリー》を中心にした領域。この円周を境に、全ての信号が遮断されていたんだ〉

 エディは眉を潜め、映像を一時停止した。

「つまり、あの襲撃のあと〈スフィア〉が観測できるようになったのは、〈コントラクター〉がジャミングを切ったからじゃなく――」フランシスがいい、クレアが続く。「〈ミグラトリー〉がなくなったから?」

「〈ミグラトリー〉が電波の妨害を? どうして」

「〈コントラクター〉が市民と秘密裏に接触するのを避けたり」とエディ。「こちら側の状況を隠し通したかったから。……今となっては色々いえるが」

「もっと単純でしょう」とクレア。「市民に外の世界を見せたくなかったのよ。宇宙はただの暗闇。向こうには何もない。そう思えば誰も〈ミグラトリー〉から出ようなんて考えなくなる」

 エディが映像の続きを再生すると、ウォルターも同様のことを話した。

〈このジャミングは《ミグラトリー》から発せられているようなんだが、この円周を越えようとする機器全てを狂わせるらしい。無人機を飛ばしてみた結果、境界に差しかかった瞬間に進路を変えて《ミグラトリー》に戻ってきた〉

 つまり、とウォルターは続けた。

〈《船》が境界線を越えるとき、ジャミングを切るために、誰かが《ミグラトリー》に残らなくちゃならない。発信装置の場所さえ特定できたら話も違ったんだが。見つからなかったから仕方がない。お前たちが境界に差しかかったら、《ミグラトリー》を少しの間停電させる。このメッセージが録音なのもそのせいだ〉

「ウォルター、初めから自分だけ……」フランシスが呟く。

〈正直、お前たちが羨ましいって気持ちはある。だがな、ここでやるべきことも見つけたんだ。……そこにマクスウェルはいるか? いたら、続きを見る前に追い出せ〉

 ああ。いないよ。ここにはいない。

〈おれは、ここに残る連中のことも見棄てたくないんだ。大きなお世話だと疎まれるかもしれない。だが、それでも、一人でも多くに声をかけ続けたい。……ただ、おれが信じたいんだ。声に出せないだけで、自分の人生を取り戻したいって考えている奴が他にもいるって〉

 ウォルターは俯き、間を置いて続きを語り始めた。

〈だから、おれはここに残る。いつかお前たちが帰ってきたとき、何もかもが変わったって驚くはずだ。おれが変えてやる。会う奴みんなが活き活きした目をして、誰も排除されることのない。そんな世の中を見せてやる。だから、きっと帰ってこい。土産話を沢山抱えてな〉

 ウォルターは立ち上がり、画面から外れると小箱を手に現れた。

〈最期に、何より伝えたかった話がある。試験的に《ミグラトリー》を停電させたときのことなんだが、電源が復旧した直後、あるものを受信した〉

 ウォルターは心底嬉しそうに笑う。

〈メッセージだ。発信源は……聞いて驚け。遥か彼方。宇宙のずっとずっと先だ〉

 ウォルターがそういった直後、通信機が新たなデータを受信する。その発信源は……船内。

「これって」とクレア。

 ぼくは頷く。「〈艦長室(ウォルターの倉庫)〉だ」

 送られてきたデータを開くと、モニターが数え切れないほどのメッセージで埋め尽くされた。ぼくたちはその数に、勢いに圧倒される。見慣れぬ言語が、〈ファントム〉の演算装置によって、次々と翻訳されていく。

〈お前たちの行く先々で、これを送ってきた連中が待っている。だから、大丈夫だ〉ウォルターはいう。〈お前たちの旅は最高なものになる〉

 激励。期待。称賛。ぼくたちは膨大なメッセージを前に、同じことを思った。

 自分たちはみ出し者なんかじゃなかったんだ、って。

 ぼくたちは見守られていた。何千、何万という、まだ見ぬ人たちに。運命に打ち勝つことを期待されていた。

 ぼくたちは、独りなんかじゃない。

 この暗闇の向こうには、顔も合わせたこともない相手の幸せを祈ってくれるような人が、勇気を称えてくれる人が、達成を祝福してくれる人が、これほどいる。

 マクスウェル。見ているか。そんなことは在り得ないって解っているけど、ぼくは胸の内で語りかけていた。見ているか。マクスウェル。ウォルターは、あんたの弟は外の世界に希望があるって知っていた。お前もそうだったのか? 確かめる術はない。だけど、ぼくは期待してしまう。あの兄弟が、ぼくたちに隠れて二人きりで話し合っている様子を。ぼくやエディにフランシス。それから、接点のなかったクレアのことさえも彼らは話題に挙げて、宇宙に何があるかを知って腰を抜かすぼくたちの姿を想像して笑ってる。その光景を。

 大成功。大成功だよ。ぼくたちは、まんまと二人の術中にハマった。

「返事は? ここから返事はできないのか?」

「全員には無理だ。大規模な通信装置でないと。信号の強度が足りない」

「届かないってこと?」とクレア。「それなら、近づけばいいってことでしょう?」

 クレアはぼくの手を取り、駆け出した。

「おい、クレア。どこに行くんだよ」

「決まってるでしょう! ずっと、遠く! あのメッセージをくれた人たちのところ!」

「遠くって。船の中を走ったって――」

「まずは、目の前の……あの邪魔な石ころをどうにかしないとね」

「返事なんだから、拾った資材で通信機を改修すれば――」

「言葉だけで済ませる気? あれだけの贈り物に?」

「あれだけのって、言葉――」

「だけじゃない」

「他に何かあったか?」

「期待! 希望! 好奇心! 沢山詰め込まれていたじゃない。まさか、あれを見て何も感じなかったの?」

「そんなわけないだろう」

「声も顔も知らないわたしたちと出会って、手を取り合う。その瞬間を彼らもきっと待っている」

「そうだといいけど――」

「そうに決まってる! もしかしたら、メッセージをくれた人たちも、わたしたちと同じ境遇かもしれない。だって、わたしたちがそうだったでしょう? 自分の生きているところは自分の居場所じゃないって、そう思って、外の世界を見つめてきたんだもの。みんな、同じ。周りに理解されないって嘆き悲しんでいて、だから、たまたま拾ったわたしたちのメッセージに希望を見つけて」

 クレアは振り向いた。

「そういう人たちに、教えてあげよう。世界は広いってこと。わたしたちがいるってこと!」

〈カイル。聞こえるか〉

 通路にエディの声が響き、ぼくたちは立ち止まった。

「何だよ。これから障害物を片づけに行くところなんだけど」

 エディはいった。

〈今度は別の問題だ〉

 ぼくとクレアは顔を見合って苦笑いする。

 どうやらぼくたちの旅路は、のんびりクルージングとはいかないみたいだ。

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