第36話
〈ウェーブ〉は〈ファントム〉に作用する機能であり、積荷はともかく救難船を牽引していくとなるとサイズ(体積)が変わるため、パラメータ設定に調整を要する。それができるのは? 考えるまでもない。仕組みを知っているのは〈プロテージ〉だけ。しかし、彼女はこう言った。
「あの体積を牽引しながらの空間跳躍は不可能。〈ファントム〉に搭載されているバッテリーでは容量不足」
「エネルギーなら〈セイル〉があるじゃないか」
ぼくが言うと、フランシスが首を振った。
「発電量の話じゃないの。〈スフィア〉のエネルギーを海だと見立てたら、こちらはどんなコップを持っているか。これはそういう問題。どれだけ海が広大でも、一度に使えるのはコップで汲んだ分だけ。だけど、わたしたちが持っているコップでは用途には足りない」
つまり、自分たちが助かるためなら、〈ファントム〉はカーゴを切り捨てなきゃならないし、カーゴを置き去りにできないようなら、〈ファントム〉の旅路は暗いものになる。エディは〈スフィア〉が現在沈黙している理由を再装填(リロード)に時間を要しているからだと考えているが、ぼくはあの化物がぼくたちにその決断を迫っているのだと、そう思えてならない。
アドルフの決断は〈ファントム〉が〈ウェーブ〉の本領を発揮したところを見ていないことと、彼自身の使命感とプライドに寄るところが大部分を占めているのだろうが、実際問題としても〈ファントム〉がカーゴを牽引して脱出するためには〈スフィア〉を放置することはできない。
〈サークレット〉の船が〈ファントム〉と別れて〈スフィア〉を目指すその前夜。ぼくはアドルフに同行を許すよう打診した。
「未練はないのか? 旅にも……仲間にも」
「ケリを着けなきゃならない相手がいるんだよ」
アドルフはぼくの顔を見たまま押し黙り、そしていった。
「ならば来い。〈アウター・ワールド〉でコケにされた分、こき使ってやる」
〈プロスペクター〉を運び出すため、クレアたちが眠りに就いた頃合いでコクピットに乗り込むと、それを見計らったように通信が入ってきた。
〈……これで君を犠牲にするのは二度目になるな〉
その声は――。
「エディには隠し通せなかったか」ぼくは苦笑する。
〈この会話はクレアにもフランシスにも聞かれてない。そこは安心しておけ〉
「……悪いな。気を使わせて」
〈全くだ。なあ、カイル。……本当に行くのか?〉
「あのときの後悔がぼくにウォルターの幻覚を見せているというのなら、ぼくはここで逃げちゃいけないような気がするんだ。あの化物の正体を確かめないと。……ぼくは、ずっとあの幻覚を見続けることになる」
それに、とぼくは続ける。
「アドルフたちを見捨てたくはない」
エディは溜息を吐いた。〈君はまた……〉
「あいつは、ぼくたちと向き合わなかったことが、自分たちの過ちだといった。それで負けたって。じゃあ、ぼくたちの敗因は?」
エディは答えない。
身分が違う。生き方が違う。それだけのこと。そんな違い以上に大きなものを今のぼくたちは共有している。大事な人を失った悲しみ。生きる土台が崩された不安。ぼくたちは同類なんだ。世間がどう定義しようが、口で何を言おうが、どんな風に着飾ったって、ぼくたちは共感できる。その気があれば。
「同じじゃないか? ぼくたちも……」
ぼくは俯き、操縦棍を握る自分の腕を見る。
「旅が始まれば、〈ミグラトリー〉の暮らしも忘れるんだろうって思っていた」
好き勝手にレッテルを貼るばかりで、志を理解しようとさえしない連中。住む世界が違うとさえ思っていた。だから、何をどう言われようが、構わない。意味を受け留めなければ、声は音だ。非難も、同調圧力も、大気を振るわせる周波数の変動でしかない。〈ミグラトリー〉を出て〈ファントム〉の中での暮らしが生活の中心になったら、その思いは更に増した。真空で隔てると、声はこちらに届かない。誹謗も中傷も、つまりは小さな輪の中でしか通用しないものなんだって。
「これから自分たちは、もっと大きな世界を見る。〈ミグラトリー〉に残ることを選んだ連中は、ぼくたちが始める偉大な体験の極々小さな片鱗でしかないって。これから知ることに比べたら取るに足らない人たちだって」
〈無視され続けてきたからな、ぼくたちは。そう思うしかなかったさ。自分たちがやっていることを信じるには〉
「だけどさ。……どうだった? ……あんなことになって――」
ぼくの声は、無意識の内に震えていた。
「どうでもいいって思っていた人たちのこと、本当にどうでも良かったか?」
〈……解ってるさ。嫌というほど、思い知らされたよ。だからこそ……ぼくは――〉
エディが深く息を吸うのがスピーカー越しに聞こえた。
〈この船を……前に進めるしかない。この舵はもう、何百人もの運命を背負っているから〉
そうだ。エディ。お前はそれでいい。
「ぼくも……もう誰も犠牲にできない」
〈帰って来いよ。必ず〉
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