第27話

「ここって」

 通路の曲がり角を抜けた先。正面にある橙色の扉を見て、クレアはいった。

「倉庫だって聞いていたけど」

「用途はその通り」

 ぼくは扉の脇についている認証プレートに掌を乗せて、ロックを解除した。扉が開くと埃臭い空気が流れてきて、通路の空気清浄機が作動した。

「知ってるか? 人々が星で暮らしていた時代、船は海を渡るものだった」

 通路から差し込む光は扉の向こうの床を薄ら照らすばかりで、クレアは暗闇を警戒して、ぼくが先に進むのを待つ。

「馬鹿にしてる? 〈アウター・ワールド〉にだって船はあるわ」

「艦橋の根元。船首からみたらここは甲板の最奥ってことになるんだけど。大きな船には船長室があったそうなんだ。私室というよりは、応接室とか、ホテルのロビーみたいなものだったらしくて」

「客を招き入れる部屋ってこと?」

 ぼくは手探りで壁のスイッチを押す。

「そんな感じ。つまり、船の顔ってこと」

 明滅を数度繰り返したあと、天井の照明が室内を照らした。

 まず目に留まるのは、正面の壁の中央にかけられた大きな型紙だ。怪物の形に切り抜かれた縁には、カラースプレーのインクが染みついている。その手前には腰の高さほどのラックが置かれていて、型紙の試験で刷られた版画が並ぶ。棚は他にも大小様々在り、収納されているのは使いかけの塗料や古びた画材だ。

 船長室に並べられた品々を物珍しそうに物色するクレアは「あっ!」と声を漏らした。そこは、側面の壁に貼られていた写真の前。

「このイラスト知ってる」

「まあ、見かけたことはあるだろうさ。街中に刷って回ったんだから」

「違うの。写真をエミリーに見せられて」

「君の妹が?」

「凄く気に入っていた。〈マリーネ・メナス〉ってアトラクション。〈アウター・ワールド〉の。知ってる?」

「……まあ、どんなアトラクションくらいかは」

 嫌な記憶が蘇り、思わず声が上ずってしまった。

「エミリー。自分のアバターをデザインするとき、これを参考にしたって」

「あれがあ?」

 思いがけぬ話に、間の抜けた声が出た。

「知ってるの?」

「……チャンピオンだろう? それくらいだけど」

 あれとその絵に共通点は一つもないぞ?

「誰なの? これを描いたの。カイルやマクスウェルの趣味とは思えないけど。フランシスでもないでしょうね。……エディ? ……も違うか。こういう悪戯は好きそうだけど、アートを楽しむってタイプじゃなさそうだし」

「実は、この船には、もう一人いたんだ」

「『いた』って? 初耳だけど」

「ウォルター。ウォルター・ロバーツ」

「ロバーツって……」

「そう。マクスウェルの弟。ぼくたちはみんな、あいつの呼びかけて集まったんだ。〈ミグラトリー〉市民の三分の二が眠る理由。クレアは知ってるか?」

「馬鹿にしないでよ。常識でしょう? そんなの」

 ぼくが何もいわないでいると、クレアは不満げに続けた。

「省エネ。みんなが起きていたんじゃエネルギー不足に陥るから、市民の大部分を不活動状態に留めておく必要がある」

「そう。ぼくたちはそう教わっていた」

「なんだか含みのあるいい方ね」

「リソースを浪費する〈インソムニア〉の発生を抑制するにはどうすればいいか。観光省にいたウォルターは、〈インソムニア〉解消のプロジェクトを任された。まず手始めに、ウォルターは〈ミグラトリー〉内でエネルギーが何にどの程度使われているのかを調査したそうだ。これだけ切迫した状況なんだって明示できれば、〈インソムニア〉を説得できると踏んだっていっていた」

「説得なんて、何度もしていたでしょう?」

ぼくは首を振る。

「当事者としていわせてもらえば、あれは迫害だよ。自分たちとは違う生き方を選んだ人たちを〈ミグラトリー〉は存在していないみたいに扱ってきた。……恨み節なんて今更だな」

「それで、その話が船とどう関係あるの?」

「調べて解ったのは、エネルギー不足は確かにそうだった。だけどそれを理由に、人々が眠る必要はなかったってこと」

「どういう意味?」

「〈ミグラトリー〉で発電された電力の大部分が流出していたんだ」

「流出って……どこに」

「〈ミグラトリー〉の近海には採掘屋が〈夢の後先〉って呼んでる宙域がある。遠心力による疑似重力を得るために〈ミグラトリー〉は絶えず回転しているけれど、廃棄物の投棄作業は決まったサイクルで行われる。だから、宙域に投棄された廃棄物は一定の方向へ飛んでいく。〈夢の後先〉っていうのは、その廃棄物の終着点さ」

「宇宙でしょう? それなのに、終着点?」

「小惑星群が飛来物を受け留める。小惑星は廃棄物に比べて巨大だから、ほとんど同じ場所に留まり続けるが、廃棄物は跳ね返りと衝突を繰り返し、大きな渦を作る。〈夢の後先〉っていうのは、その渦のこと。勢いは多分、クレアが思っている以上に強い」

 巻き込まれたら、無事に帰還できる見込みは薄い。だけど、渦中に飛び込もうとする者は後を絶たない。近づき難いということは、誰の手も触れていない小惑星も多いということで、つまり埋蔵資源が沢山残っているだろうということ。渦巻く廃棄物の中には、そうした一攫千金を狙った者の成れの果ても混じっている。生活を一変させるという希望と、夢見た者たちの残骸。だから〈夢の後先〉と呼ばれるってわけ。

「〈ミグラトリー〉で生産されたエネルギーの半数以上がそこに送られていた」

「本当に?」

「ウォルターの調べでは。あいつは仕事を放り出して、調査を進めた。〈夢の後先〉には何があるのか。それで見つけたのが……」

「この船ね」

「正確には小惑星に偽装した係留所だけど……途中の工程を省けばその通りだ。エネルギーは〈ファントム〉に充填されていた。この船こそが〈入眠期〉を必要とする原因だってというわけさ。真相を知ったウォルターは市民の人生が〈ミグラトリー〉に搾取されているって考えた」

「だから、外に出ようって?」

「そして、〈ファントム〉さえなければ〈入眠期〉の必要は……少なくとも強要される理由はなくなる」

「それが盗み出した理由?」

「こんなことになるなんて、誰も思っていなかったけどな。それに……大きな犠牲も払うことになった」

「この場にウォルターがいないのって……」

「ああ。〈ファントム〉を移動させようとしたら、係留所が自爆しようとしたんだ。理由は……さっき解った」

「〈コントラクター〉に暴かれるのを防ぐため」

 ぼくは頷く。

「隔壁が降りて、ぼくたちは閉じ込められた。自爆の方はどうにもならなかったけれど、隔壁の方は開ける見込みがあって……ぼくたちは選ぶしかなかったんだ。システムをショートさせて、セキュリティをリセットさせる奴を。再復旧までの時間で管制室から出口までは移動できないから」

 ぼくは深く溜息を吐く。

「エディやフランシスは奪取した〈ファントム〉を動かしたり、整備する役目がある。マクスウェルは、ぼくより〈プロスペクター〉を上手く操れる。脱出したあとも外はデブリが散乱しているからな。腕が立つ奴が〈ファントム〉が護衛しなくちゃならなくて――」

「そんな言い訳しなくても」クレアはいう。「簡単な決断だなんて思ってないから」

「……ぼくが残るはずだった。なのに、あいつは……途中のドアを施錠して、ぼくを追い出した」

 語っている内に、ぼくの視界からクレアの姿が消え、「艦長室」の景色も消え去った。そして代わりに、ぼくの瞳――あるいは脳内は――あの日の光景を映し出す。

〈山脈って解かるか〉

 開かないドアにぼくは狼狽え、そんなぼくをウォルターはドアの窓から見下ろして笑った。

〈色んな大きさの山の連なりで、大小無数の頂が並んでいる。生命の進化というのも、似たようなものらしい〉

「そんな話――」

〈するのは今しかない〉

 ぼくが黙ったのを見て、ウォルターは続けた。

〈いつどこでそれが起こるのかを自覚する種はないが、いずれ生命は身体的変異のサイクルが環境の変化に追いつけなくなる。その最終極点が、その種の進化の頂だ。時代の流れの中で、人類は何度も世界の変化に取り残されかけたが、科学や制度がその窮地から人々を救ってきた〉

「開けろよ、ウォルター」

〈だけど、ここはどうだ? 《ミグラトリー》は《ミグラトリー》の機能を維持するために科学や制度を利用し、人をこの地に縛りつけ、何千、何万と在ったはずの可能性を市民から奪ってきた〉

 ウォルターはぼくの背後を指した。

〈さっさと戻って、あの船で旅の進めろ。カイル。一人でも多くを《ミグラトリー》から連れ出せ。思いも寄らない何かが広大な宇宙でお前を待っている。挑戦の連続だ。身に余る困難に挑み、新しいことを知る。お前だけが掴む発見もある。仲間に気づかされることも。全部を受け留めろ。そうすれば、おれたち人間はどこまでも進化を続けられる。辛いことも、幸せも、掴んで離すな。それは全身全霊を賭けた奴だけが手にする財産。……お前だけが持つに相応しい報酬なんだから〉

「お前も行くんだろう!」

〈……おれは行けない〉

「何を勝手に一人で諦めてるんだよ!」

〈諦めたんじゃない。決めたんだ。お前たちに託すって〉

「同じことだろう!」

〈違うな。お前たちだから、そうしてもいいって思えた〉

 ウォルターはドアの窓に顔を近づけていった。

〈いいか、カイル。人生は良し悪しじゃない。長さを誇るものでも、贅を尽くすものでもない。どれだけ自分で選んだのかだ。おれは誰といるべきかを自分で選び、どこに向かうのかも自分で選んだ〉

「開けろよ! ウォルター!」

 ぼくは思いつくだけの罵詈雑言を並べ立てる。

〈お前がどう思おうが、おれは幸せ者だって自負がある。人々から人生を奪おうとする陰謀を暴いて、人の手に未来を取り戻したんだからな〉

 ドアを殴打するぼくに、ウォルターは説くように続けた。

〈おれには見えるんだよ。カイル。お前たちだけじゃない。《ミグラトリー》で暮らしていたみんなが、眠りから覚めて歩き出す姿が。進むべき道を見つけて、自由に歩く姿が〉

 ウォルターはいう。

〈だから、お前たちは旅を始めろ。おれがこれからするはずだった、多くのことを経験するんだ。おれが会うはずだった、沢山の人たちに会ってくれ〉

 一方的にいい終えたウォルターは、ぼくに背を向け、通路を進み始めた。

 道を戻った振りをして、ぼくは通路に座り込む。そうして、爆発の瞬間をウォルターと共に待とうと決めた。死を覚悟すると、何故だか一秒が酷く長く感じられて「その瞬間」なんてものは永遠に来ないんじゃないかとさえ思えてくる。

 壁を眺め、自分の呼吸に耳を傾けていた。どれだけそうしていただろうか。眺めていた壁に亀裂が入ったのを見て、ぼくは我に返った。亀裂から壁が裂け、穴から現れたのは巨大な腕。〈プロスペクター〉の腕だった。

〈何をやってんだ、馬鹿野郎!〉

 マクスウェルの怒声が響いた。

「だって、ウォルターが向こうに!」

〈あいつはお前に道連れになれっていったのかよ!〉

〈プロスペクター〉はぼくを掴むと通路から引きずり出し、係留所を離脱した。閃光と共に係留所が崩落したのは〈プロスペクター〉が先行した〈ファントム〉と合流した直後のことだった。

「あなたたちって」

 クレアの声がぼくを現実に引き戻す。

「ウォルターに呪われて生きてきたのね」

 クレアはぼくの瞳を真っ直ぐ見て、そういった。

「そう……かな」

 その通りだ、とぼくは思った。

「……そうなんだろうな」

 後悔と罪悪感を紛らわせるために、ぼくはウォルターの遺志を捻じ曲げて、自傷のための呪詛に仕立て上げてしまったのかもしれない。

「彼が何を思っていたのかなんて、わたしが勝手に語るつもりはないけれど」

 クレアはぼくの手首を掴んで「艦長室」から引っ張り出した。

「生きてる人が死人にできることなんて、ほとんどないってことは確かでしょう?」

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