第11話

 生憎、この辺りには不慣れで店を知らない。そういうウォルターの代わりにぼくが店を選び、店の中央のテーブル席に腰を下ろした。場末のバー。店の奥に横長のカウンターがあって、マスターが店内の客に睨みを聞かせている。マスターの背後の棚に並ぶ酒瓶を眺めるウォルターの横顔が、店の窓外から差し込む街頭や電光掲示板の青と紫の光に照らされ、注文を済ませて窓の外を眺めるウォルターの横顔が、店内の橙色の照明に照らされる。

 マスターが直々にぼくたちのテーブルに酒を持ってきた。テーブルに置かれたグラスと、配膳が済んだあともぼくたちのテーブルから離れないマスターを、ウォルターは交互に見た。

「先払いなんだ」

 納得したウォルターはマスターに右手を差し出し、携帯式の支払い端末に指紋を読み込ませた。

「活気があっていいな、ここは」

「そうか?」

 見渡してみたところ、多く見積もってもイスは半分も埋まっていない。

「市民の大半が眠っている中で、これだけ集まっていれば上等だ」ウォルターは前のめりの姿勢でぼくに顔を寄せ、続けた。「あんた〈インソムニア〉なんだろう?」

 ぼくは目の前の男を睨む。「あんたも不眠に見えるけど」

 総勢二百万人にも及ぶ〈ミグラトリー〉の住民は、人口密度の解消と省エネルギーを理由に、凡そ三分の二が〈睡眠期〉と呼ばれる交代制の休暇期間を取る。棺みたいな装置に寝そべって、眠気と共に気づけば氷漬け。目覚めている間は再び〈睡眠期〉がやって来るまで〈ミグラトリー〉の存続に必要な仕事に従事する。それが模範的な市民の生き方であり、対してこの辺りで暮らす連中のように〈ミグラトリー〉の存続に貢献することもなく、〈睡眠期〉を拒んで与えられた一生を浪費している奴らは〈インソムニア(不眠症)〉と蔑まれる。

「その通りだ」ウォルターは笑う。「碌に眠らなくなって半年だ」

 それは〈睡眠期〉から目覚めてということなのか。はたまた、目元に隈ができてからという意味なのか。

「お前、〈睡眠期〉の経験は?」

「一度だけ。何時から眠っていたのかは覚えていないけど、目が覚めたのは二年前だ。一人で目覚めた」ぼくは窓の外に目をやる。「あるはずの迎えがなかった。両親は……〈インソムニア〉だった」

「だから、お前は眠ることを止めた?」

「多かれ少なかれ、誰しもが眠ること、あるいは目覚めることへの恐怖を抱くもんだろう? 本当に目覚める日は来るのだろうか。起きたあとの世界はどうなっている? そもそも、寝る前と目が覚めたときの自分は本当に同じ自分なのか。そういう類の恐怖だ。自分の知らないところで何かが起こっているんじゃないかっていう不安だ。寝ている内に家族がこの世からいなくなったら……そういう人生の断続性みたいなものを容認できなくなった」

 微睡みに身を捧げることで、人の一生は膨大な年数に引き延ばされたが、生涯を通した活動時間に今も昔も大差はない。世間を知るのも、人に触れるのも、目が覚めている間だけ。

「起きてさえいれば……その間は自分の人生の当事者でいられる」

 眠っていなければ、家族がどんな風に生きて、どう死んだのかも解ったはずだ。

「あんたは?」

「ウォルター・ロバーツ」

「ウォルター。あんたはどうして眠れなくなった?」

「実はな」ウォルターは周囲を一瞥して、他の視線がないのを確かめてから続けた。「おれはこういう奴なんだ」

 そういって、ウォルターは胸元から一枚のカードを取り出した。

「観光省職員?」

 入館証だ。やはり、行政機関の奴か。ぼくは周囲を見渡す。

「元だ。カードの隅。穴が開いてるだろう? 認証用の回路が潰れてる」ウォルターはいいながら入館証を懐に戻した。「それと、他には誰もいない。お前が連れ込んでなければな」

「観光局の職員がこんなところに何の用だ?」

 ぼくは酒を煽りながらも周囲の警戒を緩めない。

「宇宙遊泳のガイドを探しているとか?」

「そういう類の営業は非合法だ。……制度自体から、なんとなく感じたことはないか? このコロニーは、人が外に出るのを恐れてる」

「恐れてる?」

「観光局の仕事は〈アウター・ワールド〉の管理運営なんだ。行ったことは?」

 母星の環境や空想世界を再現した仮想空間。それが〈アウター・ワールド〉だ。リゾート、アトラクション、ドラマ、アドベンチャーなどなど、ジャンル分けされた幾つかのラウンジがあって、そこから更に環境やストーリーによって区分けされた無数のワールドの中から好きなものを選んで暮らす。プールサイドに寝そべって麗らかな日差しを浴びるのでもいいし、自分を鍛えるためにモンスターとの戦闘に明け暮れるのでもいい。そこは、より良い〈睡眠期〉を過ごすための楽園だ。

「最初で最後の〈睡眠期〉で。あとは、同業者に誘われて何度か」

 幸福は感覚だ。感動は経験だ。刺激さえあれば、人生は幸福で満たされる。必要なのは、実在じゃない。限りある一生に何を感じるか。〈ミグラトリー〉市民は変わり映えのない現実を紛らわすために微睡み続け、世界の外側(アウター・ワールド)に逃げ込む。

 観光省の職員は〈アウター・ワールド〉内において、様々な特権を持つ。治安維持のための執行権だとか、エリア内の環境を向上させるための改善権だとか。何でも思い通りにというわけにはいかないにしても、一般利用者に比べたら裁量の余地は広い。自分の一挙手一投足が社会に強く影響を与えられるということは、自分が何者であるかを歴史に刻み、後世にまで伝えられるということ。

「肩書に付随する権力なんてものは、結局のところ組織の力を貸与されているだけで、何一つ個人の思い通りになんていかないんだよ。上司の許可が必要だ。取引相手の顔色を伺え。世間の評判を損ねちゃならない。いつしか本物の自分は腹の奥底に引っ込み、組織に貸し出された力を行使するだけの社会機構の一部に成り下がる。見てみろ」

 ウォルターは少し離れたボックス席を指した。

「どいつもこいつも同じに見えてこないか」

「酔いが回ってるんだろう?」

「止せよ、カイル」

 ウォルターは笑いながら空になった瓶を放り棄てた。投げられた空き瓶は隣の席の角に当たり、粉々に砕け散る。音に反応して店中の視線が集まったものの、店員も他の客も、悪酔いしているウォルターを見て関わり合いになりたくないと思ったのだろう。集まった視線はすぐに散った。

「骨格や部品の違いを言ってるんじゃない。顔つきのことだよ。ほら。元は誰もが生を全うしようと立派な面構えで生まれてきたはずなのに、みんな浮かない顔ばかりしている」

「そりゃあ『こんなところ』だからだ」

 膝下くらいの高さの清掃ロボットが床に散ったガラス片を片づけていった。

「〈睡眠期〉までの辛抱だ。順番が回ってくれば、もっとマシな――」

「快適な眠りが待っている? だから、現実が自分の好みにそぐわなくても、耐え忍べばいいって? 確かに〈アウター・ワールド〉では、外見だって自分の思いのままだ。だけど、そのために起きている時間を犠牲にするんじゃ、生まれ持った顔が台なしだ」

「それなら、あんたは他人の一生を台なしにして、食い繋いでいるってわけだ」

「まさか」ウォルターは店の窓ガラスに映る自分を一瞥した。「状況はもっと悪い」

「やけに悲観的だな」

 将来が保証されていて、食うのにも困ったことがないだろうに。ウォルターの身なりを見ながら、ぼくはそう思った。

「組織の末端で指示をこなす毎日に疲弊するとな。しがらみの中で、自由を手に入れるためには出世しかないと確信するが、どんな地位でどれほどの力を持つに至っても、所詮は借り物だ。一歩敷地の外に出たら、その身に残るものは何もない。真に得るものがほとんどないにも関わらず、意思や時間も世間に明け渡して、自分がどんどん自分でなくなっていくのに無自覚な連中ばかりだ」

 清掃ロボットがぼくたちの傍から離れていくのを見送ったあと、ウォルターは店の出入り口を顎で指した。

「面白いものを見せてやる」

 ウォルターはバーを出ると、寂びれた裏路地の錆びたマンホールに、ぼくを引きずり込んだ。下水道の側道を携帯端末の明かりを頼りに進むと、そこには錠のついたドアが。

「おれのアトリエだ」とウォルターは言った。

 ドアの向こうを一言で表せば、雑然だ。物が散らかり、家具は古いが、不快感はあまりない。汚水の脇を歩いてきたせいもあるだろうが。

 金属製のラックに並んだ沢山のスプレー缶を眺めていると、ウォルターはぼくにスポーツバッグを放った。

「何が入っている?」

「色々、だ」

 ベルトを肩にかけながら壁面に目をやると沢山の写真やイラストが描かれた画用紙が無秩序に貼られていた。写真に撮られているのは建物の壁面……いや、壁面に描かれたイラストだ。

 荷物を抱えたぼくとウォルターは来た道を戻り、人気のない通りでバッグを降ろした。ウォルターはバッグから六分割されたプラ製の型紙を取り出して繋ぎ合わせると、建物の壁面にそれを貼りつけ、スプレー缶を振った。

 ウォルターは壁面にスプレーの塗料を吹きつけながらいう。

「歴史を遡れば標識や掲示物をプリントアウトしていた頃もあったそうだが、それらがスクリーンパネルに置き換えられると、塗料は不要になり流通も止まった」

 壁に貼られた型紙が外される。高層ビルが並ぶ街並み。ビルの合間から点に向かって伸びる無数の糸。その糸を束ねて両手で掴む赤目の巨人が街の上空に描かれている。

「だから、ぼくたちに注文を?」

「『お前に』頼んだのさ。やってみるか?」

 店の従業員用入口、病院のゴミ捨て場、広場の石畳。ぼくとウォルターは場所を変えては型紙を貼り、カラースプレーを吹きつけていった。

「何のイラストなんだ?」

「アートだよ。〈ミグラトリー〉で暮らしている限り、おれたちの人生は他人の手中っていう」

「こんなことに意味なんてあるのか? どうせ、明日の真夜中に〈クリーナー(清掃ロボット)〉がやって来るだけだろう」

「形として残したいんじゃないさ。見た人の目に焼きつけば、それでいい。自分たちが当たり前に思っていることが、本当に正しいことなのかって疑問を持ってほしいんだ」

 彼の言葉の奥底に、どんな思いがあるのか。そのときのぼくに見抜くことはできなかったけれど、人目を忍んで街の景観をハックするのはとても刺激的で、それからは週に数度、バーでウォルターと真夜中まで飲んだくれては、その足で街中に落書きを残していくというのが、ぼくの新しい習慣になった。

 しかし、ぼくもウォルターも内心では解かっていた。ぼくたちに必要なのは刺激じゃない。現実的な問題の解決策だって。壁を彩り、通報を聞いて駆けつけてくる〈サークレット〉の捜査網を掻い潜り、そういう日々でぼくが自分を納得させようとしているその隣で、ウォルターは次のステップを考えていた。

 ある日、カラースプレーのキャップを閉じたウォルターはいった。

「会わせたい連中がいる」

 その翌日、指定された港湾の貸倉庫を訪ねると、そこに居たのがマクスウェルたちだった。

「エディは〈ミグラトリー〉のネットワークセキュリティ部門に勤めていたが、不正アクセスを理由に解雇。フランシスは都市開発部門でライフラインの設備保守の主任を任されていたが、上司に無断で発電効率を6%上げて閑職に追いやられた。マクスウェルは……」

 ウォルターはマクスウェルと視線を交わして続けた。

「おれの兄だ」

「〈サークレット〉でテストパイロットをやっていた」

「あんたも過去形か」

「君は?」とエディ。

「あんたたちほどのキャリアは持ち合わせてないよ。ただの悪戯友達さ」

「ステンシルアートのこと?」とフランシス。

「あれは」とマクスウェルが続く。「ウォルターなりのテストみたいなもんだ」

「テスト?」

「志を共にするのに相応しい奴かどうか」とエディ。「ぼくたちも付き合わされた」

「わたしは三回。エディは二回」

「何の回数だ?」

「捕まるまでの回数。あなたは?」

「いや、ぼくは――」

「こいつ」とウォルターがいう。「しぶといんだ。もう二十回は超えているよな?」

「数えちゃいないよ。そんなの」

「マクスウェルの負けね」

 フランシスが挑発的な視線をマクスウェルに向ける。

「勝負じゃない。いっただろう。テストだって」

「逃げ足が速い奴を探していたのか?」

「度胸試しさ」とウォルター。「〈サークレット〉に追い駆け回されるくらいで怖気づかれたら、これからやることにはついて来られないだろうからな」

「これからやること?」

「初めて会ったとき。言っていただろう。変わり映えのしない毎日は嫌だって。だから、手に入れるのさ」

「何を?」

「新しい明日ってやつを」

「ということは」とマクスウェル。

 ウォルターはエディに目配せして、答えを促した。

「ああ。見つかったんだ。ぼくたちの旅立ちに相応しい船を」

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