二章 アウターワールド

第10話

「自分の人生を築いていると思っていた」

 ウォルター・ロバーツという名から、ぼくが初めに思い出すのはその言葉だ。浅黒い隈のできた顔で、瞼を重そうにながら笑う顔。

「実際は、上の世代が支配する帝国の奴隷さ」

 過酷な宇宙空間の中で人類を存続させるために〈ミグラトリー〉の中で発生した事業は、制度化された市場の中で組織的に連携して〈ミグラトリー〉の保全に努める企業や公社が大半を占めている。彼らは〈管理局〉と呼ばれる〈ミグラトリー〉の中枢機関の指導を受けて事業計画を練り、組織を運用していて、そこに利益追求といった理念はなく、目指すところは環境水準の維持。要は、昨日と同等の今日を実現し、今日と同じ明日を迎える、その準備をしている。

 大多数の人々が〈ミグラトリー〉の持続化事業に従事するなか、採掘屋というのは個々が独自に動く数少ない事業の一つだ。その特権は、役所に事業届を提出していないから獲得できたものであり、つまり、非合法故に制度の指図を受けずにいる、ということ。

 仕事の内容は、実にシンプルだ。宇宙に出て、隕石に取りつき、取引価格の高い資源を掘って帰る。鉱石だとか、ガスだとか。面倒があるのは、宇宙に出るまでと帰ってくるときだ。正規の宙域作業ライセンスを持たないぼくたちは湾口を使えない。だから、仕事のときは〈ミグラトリー〉の外装メンテナンス用の通路を通って外に出る。ダミーライセンスでドアロックが開くよう細工された通路が幾つかあるんだ。細工された通路の、具体的な数を知るのはドアロックに細工し、ダミーライセンスを売買している連中だけ。彼らにとって通路は商品だ。下手を打った「顧客」が捕まって、洗いざらい喋られたら、商品は台なしになるだろう?

 彼は始め、ぼくの前に顧客として現れた。

 ボスとぼくの他には作業員が二人。それから、事務員。そんな小さな採掘屋にメールが届いた。港にあるプライベートボックスへ指定の鉱石を納品してくれ。発注者の住所は曖昧で、事業所名も公共機関には登録されてなく、いかにも怪しいって感じだが、普段の取引からしてそもそも違法なので、そこは特に気にならない。ぼくたちが注目するのは、発注リスト。危険物はないか。要求されているのは……顔料だ。オーケー。普段請け負っている仕事の片手間に済ませられる。金も一括前払い。

 新規の客には懸念事項も多い。素性が知れないとなれば尚更だ。しかし、当時は〈サークレット〉による違法操業の取締りも厳しくなっていたのもあって、仕事は減っていく一方だった。ボスの目に「前払い」の文字が焼きつく。会社としてみれば素通りしたくない案件だ。

 ボスはいう。「さあ、新しい仕事だ」

 試しに引き受けてみると、それから月に一・二回。同様の発注が続いた。引き渡しの現場に発注者が現れることはなかったが……これはぼくの業界における暗黙の了解だが、金払いがいい解れば、正体が何者なのかも、商品の用途も問題視されなくなる。

 行政から市民に公共事業が割り当てられる〈ミグラトリー〉において、違法な資源と労働力を求める理由は多くない。贅沢をしたい。その一言に尽きる。健全な市場では満たされない欲望によって、ぼくたちの事業は存続していた。

 他人よりも裕福な暮らしのためにリスクを取るのを厭わない人種というのは、恐らく世間が考えているよりもずっと多い。それを知るのは〈ミグラトリー〉の行政機関も恐らく同じで、抑え込んでおかなければ人の欲望は際限ない理解していたからこそ、昨日と同等の今日を提供し続けてきたのであり、そして、今日を上回る明日なんて考えを市民に抱かせないようにしてきたのだと思う。

「人類が宇宙で暮らすようになってから、塗料というものは表面の保護膜としての用途に限られてきたけれど、以前は情報伝達の手段だったんだ」

 依頼をこなすこと数か月。この取引がぼくの中で仕事のルーチンに完全に組み込まれたのを見計らったようなタイミングで、ウォルター・ロバーツは荷渡しの現場に顔を出した。

 色素の薄い肌と、頭髪には寝癖が目立ち、肩を張らずに細い腕が痩せた胴から垂れ下がっている感じだが、目元の隈を除けば病的という感じでもない。外見の話をすれば、採掘屋の顧客は大きく二極化していて、概ね貧富の度合いを示している。ウォルターの場合、身体からは不健康そうな生活が感じられたが、身なりがいいのでどちらともいえない。

「こういう仕事。多いのか?」

 ウォルターは積み上げられた荷箱を見上げながら聞いた。ぼくは眉を潜める。口数の多い奴は危険だ。一つ、この仕事を生業にしている奴はお互い、脛に傷がある連中ばかりだから相手のことを詮索しない。一つ、酔ってもいないのに口が達者な奴は、ついうっかり他所でも口を滑らせる。一つ、先に述べたことは業界内の常識だから、これに配慮できないこいつは部外者だ。

「まあ、食っていくだけならどうにか」

 手の汚れたぼくたちと、積極的に関わり合いになりたいと思うような連中は限られる。儲け話の匂いを嗅ぎつけた日陰者か……ぼくたちを取り締まろうとする連中(サークレット)か。

「おいおい。止めてくれよ」ぼくの視線に気づいたのか、ウォルターはいった。「別に批難しようってわけじゃない」

 勘の鋭い奴っていうのも、警戒すべき特徴だ。それをどこで養ってきたのかってことを考えると、あまり仲良くしたい相手だとは思えない。

「今日の仕事はこれで最後だろう? 付き合えよ」ぼくの警戒心を知ってか知らずか、ウォルターはいった。「ボーナスだ。……といっても、一杯奢るだけだが」

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