第12話 ディール、魔導書に弟子入りする

「なんじゃ、つまらんのう。若いんじゃからもっとこう積極的に襲って来てもよいのじゃぞ? それとも何か? やはり〝ないすばでぃ〟の方が好みか?」


 ディールの目の前には、彼と同じブリオーと七分丈のズボン姿のキュアリスが立っていた。からかうような視線でディールを見ている。


「そ、そんなことより。何が起こったんですか」


 そう言ったディールの顔はまだ赤い。


「ふむ。お主があの鎖を壊してくれたおかげで、こうして妾は自由になったのじゃ」


 両手を腰に当て、誇るように言う。彼女の横には開いた本が浮いていた。


「いやー、最初は焦ったぞ。ようやくこの図書館に魔導師が訪ねてきたと思えば、魔法を使えぬどころか何も知らぬときた。それが魔法を覚える気になったと思ったら、今度はお別れを言いに来たのじゃからの。

 また閉じこめられたままになるかと思ったぞ。お主の魔法が上手くいってよかったわい。体が縮んでおるのが気なるが、まぁ贅沢は言っておれん」

「えっと……もしかして本に閉じこめられていたんですか?」


 未だに何が起きたか理解できていない様子で、ディールはまじまじとキュアリスと隣に浮いている本を見る。

 視線に気づきキュアリスが手を動かす。本がディールの目の前に移動してきた。


「違う違う。書見台に、じゃ。妾の本体はその魔導書じゃ。この体は……まぁゴーレムみたいなもんじゃな。本のままじゃと自分で移動はできぬからの」

「え? でも本は浮いてますけど……」

「それはこの体を通して魔法を使っておるからじゃ。魔力廻炉まりょくかいろ魔導書ほんたいの方に刻まれておるからの。普段はほれ」本が閉じられキュアリスの手に支えられる。「このように本を持ち歩かねばならん」


 キュアリスは本を近くの書見台に置こうとして、慌てたように動作を取りやめた。


「いかんいかん。また書見台に捕らわれるところじゃった」

「その書見台ってなんなんですか?」

「さての。もともとはこの図書館にある本を持ち出させないためのものじゃったらしい。ここの本はこの書見台でしか閲覧を許されんかったからの」

「でも僕、本を何冊も借りましたよ?」

「今はもう、誰もおらぬからの。管理する司書がおらねば持ち出し放題じゃ。まぁ、この図書館に入れる人間もほとんどおらんじゃろうが。入れるのは一定の廻位かいい以上の魔導師だけじゃからの」

「昔は人がいたんですか?」

「そうじゃな。今がいつの時代かは知らぬが、昔は確かにいた」


 そう言ってキュアリスはどこか遠くを見つめる。彼女はどれくらいの時をこの場所で過ごして来たのだろうか。以前、千年までは数えていたと言っていたのを、ディールは思い出す。


「よし。では行くぞ」


 そう言ってキュアリスが歩き出す。しかしディールが動かないことに気づいて立ち止まった。


「なにをしておる。行かぬのか?」

「どこへ……ですか?」

「お主の家に決まっておろう。故郷とやらに帰るのじゃろ?」

「そうですけでど……着いて来るんですか!?」慌てたようにディールが言う。

「特に行く宛があるわけではないからの。なんじゃ、嫌なのか?」

「嫌とか、そういう話では……」

「ならなんじゃ……そうか。お主怒っておるんじゃの? 確かに騙してすまぬとは思うておる」

「……えっと、なんのことでしょう?」

「お主に魔法を教えたのは、書見台から解放されるためじゃ。最初から妾はお主を利用するつもりじゃったのじゃ。すまぬかったな」


 キュアリスが頭を下げた。ディールは最初、驚いた顔をしてキュアリスを見ていた。しかしすぐに虚ろな笑顔へと変わる。


「……怒ったりはしません。キュアリスさんはちゃんと魔法を教えてくれました。それに僕のしてきたことが無駄ではなかったと認めてくれた。それだけで充分です」


 キュアリスはディールを見て眉をしかめた。


「その表情、先ほども見たの。のうディール。お主はなぜその歳でそこまで諦めておるのじゃ?」

「え? 諦める?」

「妾はこの図書館に来た魔導師しか人間を知らぬ。じゃがお主の浮かべた表情には見覚えがある。その笑い方は諦めた者の笑い方じゃ。目に光のない笑い方。知識を求め、知ってもなお叶わぬと理解した者の笑い方とそっくりじゃ」


 ディールは黙ったまま俯いた。諦めている。確かにそうかもしれない。

 魔術師になれると思いケデルに弟子入りし、しかしそれは父親が諦めるように最初から仕組んだことだった。

 キュアリスも言った。最初からディールを利用するつもりだったのだと。

 すべて最初から。最初から仕組まれていたのだ。なら仕方ないじゃないか。何をしても無駄なのだから。ディールの心にそんな言葉が浮かぶ。


「お主は先ほど、魔術師になるのを諦めると申しておったな。どうしてじゃ?」


 しばらくして、ディールはぽつぽつと話始めた。父親に魔術師になることを反対されていたこと。それでもケデルを紹介してくれたこと。認めてくれたのだと思い嬉しかったこと。

 でも何年も基礎ばかりで呪文を教えて貰えなかったこと。それでもいつかは教えて貰えると思って我慢していたこと。

 そして呪文を教えて貰えないのは父親がケデルに、諦めさせるように頼んでいたからだということ。

 最初は平坦だったディールの声がときおり震えるようになった。そこに嗚咽が混じるようになり、最後は涙も出てきた。


「お主はもう少し、我を出すべきじゃな」


 キュアリスの言葉にディールが顔を上げる。その目は充血している。


「話を聞く限り、お主は流されておるだけじゃ。父親の用意した師匠について、呪文を教えて貰えぬのも我慢して。そして破門されて故郷へと帰る。お主はただ黙って言いなりになっておるだけじゃ」

「でも……どうすれば」

「呪文を教えてくれと言い続けたら変わっていたかもしれん。父親ではなく、お前自身で師匠を探しておれば変わったかもしれん。もちろん何も変わっておらぬかもしれぬ。

 じゃが同じ結果だったとしても、自分自身で努力した結果なのか、それとも何もしなかった結果なのか。お主はどちらなら納得できる?」

「僕は……」

「まぁ、妾がとやかく言うことではなかったの。お主の邪魔にならぬよう、ここで別れよう。書見台から解放してくれたこと、感謝しておる。もし気に入った本があれば勝手に持って行くがよい」


 そう言ってキュアリスはディールに背を向けた。そのまま歩いて行く。

 彼女の背中を見てディールが両手の拳を握った。自分は何をしたかったのだろう。何のためにここに来たのだろう。

 お礼を言うため? 確かにキュアリスには感謝している。


(違う)

 なら慰めて欲しかったから? 確かに破門されたディールの話を聞いて、キュアリスが怒ってくれたことは嬉しかった。

(違う)

 なら何を望んだ? どうしてここに来た?

(嬉しかったから)

 認められたことが?

(それもある。でも――)


 ――お主、魔法を覚える気はないか?

 キュアリスと出会った時に言われた言葉が思い浮かぶ。今まで彼女が教えてくれた数々の事柄が思い浮かぶ。

 ――案ずるな。確かに風は吹いた。

 それは初めて魔法で風を起こした時に、キュアリスが言った言葉。自分の頬を撫でただけの微かな風。でもそれはディールが初めて成功した魔法。それが嬉しくて、楽しくて――

(僕は、魔法を……)


「キュアリスさん!」ディールは叫んでいた。「いえ師匠! 僕に、僕にもっと魔法を教えてください!」


 キュアリスは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。彼女は厳しい表情でディールを見つめてくる。

 対するディールは真剣な表情で、キュアリスの目を真っ直ぐに見つめ返した。


「魔法を学ぶとは真理の探究をするということじゃ。世界は元素の組み合わせであり、それがどのようになっておるのかを確かめるための魔法じゃ。現象を起こすのはその為じゃ。

 お主が何を望んで魔術の門を叩いたのかは分からぬ。じゃが、魔術と魔法は違うものじゃぞ。

 それでも良いか?」

「はいっ」


 迷うことなくディールは言う。


「真理を探求し、貪欲に知識を求めることを誓うか?」

「はいっ」

「探求の先に絶望が待っておるかもしれぬぞ?」

「……そうかもしれません。でも、もう後悔はしたくないんです」

「それがお主の望んだ選択ということでよいのじゃの?」

「はいっ」


 ディールの表情に先ほどまでの虚ろさはない。強い光を宿した瞳でキュアリスを見つめている。ふと、キュアリスが微笑んだ。


「では、お主がこれから目指すのは魔術師メイジではなく魔導師ソーサラーじゃ。道は険しいぞ」

「よろしくお願いします、師匠!」


 威勢の良い返事が、図書館の中にこだました、


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