少年は故郷へ帰る

第13話 旅中にて

 クラウブルの街をってから四日が過ぎた。ディールとキュアリスは卜スタ領を出て、街道から少し外れた田舎町で宿をとっていた。街道を進むだけならほぼ立ち寄ることのない、田園に囲まれた町だ。


 通常、クラウブルからディールの故郷である商都トリオスまでは馬車で七日をようする。但しこれは自前の馬車を持ち、途中に野宿を入れた場合の日数だ。

 馬車もなく野営の経験も乏しいディールたちでは、町や村などに立ち寄って小刻みに進むことしかできなかった。


「わざわざ妾の部屋を取らぬでも、本に戻ってお主の荷物に紛れればよかろうに」


 ベッドの上に身を投げ出して、手足を伸ばしながらキュアリスが言う。彼女は今、袖のない筒型の衣服であるカートルに、二の腕の半ばまであるスリーブといった姿だった。街などで見かける一般的な女性の衣装だ。

 キュアリスの銀髪翠眼は大陸の北に多い民族の特徴で、この地方では珍しい。だが、それを除けばどこにでもいる少女に見えなくはない。


 今は外しているが、普段は本を収めるホルスターのついた太い革ベルトを腰に巻いていている。中に入っている本は、彼女の本体である魔導書だ。

 この田舎町に来るまでの間に背嚢バックパックなどと一緒に買い揃えたものだった。


「師匠をモノと一緒に扱うなんて……」


 ディールはベッド脇の椅子に座っていた。二人がいるのは宿の一室だ。二部屋ふたへや取ったうちの一つ。ディールの部屋だった。


「いや、妾は本じゃぞ? この体もうはできておるが、所詮作り物じゃ――」


 そこまで言ってキュアリスは起き上がった。その顔はにまりと笑っている。

 ディールは不吉なものを感じて思わず後ずさる。だが椅子が邪魔をして動けない。


「ははぁん。お主、こっちの体の方がよいのか? 妾としては〝ないすばでぃ〟の方も捨てがたいと思うのじゃが」


 キュアリスがディールに飛びついてきた。


「ほれ。ほれ」

「ちょっと師匠! 離れてくださいっ」


 ひとしきりからかって満足すると、あっさりと離れてキュアリスはベッドに座る。

 ディールを見る表情は面白がっている者のそれだ。キュアリスはゴーレムみたいなものだと言っていたが、体は柔らかく体温もある。浮かべる表情など見た目も含め、人間としか思えない。


 そういった見た目を抜きにしても、ディールにはキュアリスをモノとして、他の荷物と同様に扱うことはできなかった。それは図書館で出会った時のような魔導書に戻ったとしても同じだ。

 自分にとってキュアリスは魔法を教えてくれる師匠であり、希望を与えてくれた恩人なのだから。


「とにかく。僕は師匠をモノだなんて思ってませんっ」


 先ほど抱きつかれてことの照れ隠し半分。本気半分といった調子でディールは言う。


「分かった。分かった。からかって悪かった」キュアリスは苦笑する。「しかし、移動ばかりでさすがに飽きたのう。お主の家のある街まではあと、どれくらいじゃ?」

「えっと、この町からでしたら、歩いて八日くらい。街道沿いの街まで行って馬車を上手く乗り継ぐことが出来れば五日くらいです」

「うーむ。遠いのう」

「馬は無理ですが、ロバくらいなら買えないこともないですが……」


 そう言ってディールは頭の中で手持ちのお金を計算する。ケデルから渡されたお金があったが、それはあくまでディール一人分の路銀だ。キュアリスの分を含めると、とても足りない。

 だが図書館から持ち出した本を一冊売ったことで、纏まった額のお金を持っていた。キュアリスの服などはそのお金で買ったものだ。


「でも僕はロバにも馬にも乗れません。師匠はどうですか?」

「妾も無理じゃ」

「馬車と……あと御者まで雇うとなるとさすがに……」


 図書館から持ち出した本は一冊ではない。ディールの勉強の為に、複数持ち出している。だからさらに一冊売れば荷馬車を購入し、御者も雇うことができるかもしれない。

 しかし故郷までの旅であるなら、そこまでする必要はない。


「仕方ない。お主の練習も兼ねて、魔法での移動を加えてみるか。できれば実践は落ち着いてからしたかったのじゃが」


 この旅の間に、ディールはキュアリスから魔法の講義をいくつか受けていた。主に持ち出した本の内容を元に座学で学ぶ形だ。


「え? できるんですか?」

「可能じゃ。方法は色々あるが、今できそうなのは……そうじゃな。飛ぶことじゃな」

「飛べるんですかっ!?」


 驚いたようにディールが言う。キュアリスを見る目は期待で溢れている。


「簡単ではないがの。しかしいきなりは無理じゃ。しばしこの街に留まって練習する必要があるの」

「時間なら大丈夫です。破門されたことはまだ父さんたちも知らないですし、ケデル先生が手紙を出したとしても届くのはもうしばらく後です。それに、急いで帰りたいわけでもないですし……」


 ディールは俯いた。語尾に行くにつれ声が小さくなる。キュアリスはそんなディールを見て、おやという表情になった。


「なんじゃ。帰りとうないのか?」

「そういうわけでは……でも、父さんと顔を合わせるのは気まずいです」


 ディールに魔術師になることを諦めさせるために、父親はわざわざケデルに弟子入りさせた。そして父親のもくろみ通り、ディールは魔術師になることなく故郷へと帰ることになった。

 破門という形でディール自らが望んだものではなかったとしても、父親はそれみたことかと言わんばかりの表情で息子を迎えるだろう。

 それがディールには嫌だった。


「じゃが、お主は父親と話をするために帰るのじゃろ?」

「……はい」


 ディールは俯きながらも、はっきりと肯定する。

 正式にキュアリスの弟子になると望んだ日、ディールが自ら決めたことだった。魔術ではなく魔法を学ぶ。魔術師ではなく魔導師になると。

 ちゃんと父親と向き合ってそれを伝える。結果がどうであれ、今度こそ自分の意思で道を決めると。


「まぁ急ぐ旅でないのなら、ここでゆっくりするのもよかろう。明日からしばらく魔法の特訓じゃな」

「はいっ」


 キュアリスの言葉に、ディールは嬉しそうな表情で応えた。


        ☆


 翌日。ディールたちは町の外れ、田園の見える小高い場所にいた。昨日話していた魔法の訓練をするためだ。


「魔法で移動するにはいくつか方法がある。じゃが、昨晩言った〝飛ぶ〟という方法をとることが多いの」


 キュアリスは一度言葉を止めてディールを見た。彼女の言葉をディールは神妙な面持ちで聞いている。


「飛ぶ方法としてお主は何を思いつく?」

「えっと、鳥のように翼を使って……でしょうか?」


 ディールは自信なさげに答える。


「なるほど。お主の体に魔法で翼を作って、それで飛ぼうと言うのじゃな?」

「……はい」

「それも正解じゃ」

「〝それも〟?」

「うむ。じゃが普通は他の方法を使う」

「翼じゃ駄目なんですか?」

「駄目ではない。先ほども言うたように〝それも〟正解じゃからな。ではお主に質問じゃ。どのように翼を使えば飛べるかイメージできるか?」

「え……」


 問われてディールは言葉に詰まった。翼があるから飛べるとは考えても、どうやって……とは考えたこともなかった。


「魔法で大切なのはイメージじゃ。還元した元素を使い、どのような現象を起こすか。その起こしたい現象がイメージできねば魔法の構築はできぬ。じゃから翼を造るだけなら、まぁできるかもしれぬな。じゃがその翼をどのように使うか分からなければ、〝飛ぶことのできる翼〟は造れぬ」


 言われてディールは魔物を倒した時の事を思い出していた。あの時使ったのは岩を造り打ち出す魔法。それを選んだのは自分がイメージしやすい単純なものだったからだ。単純であり、どの元素を使えばいいか咄嗟に理解できたもの。


「もしどうしても翼を使って飛びたいのなら、魔法で鳥に〝変化〟して飛んでみることじゃな。そうすれば実際に翼をどう使うか理解できる」

「鳥になれるんですか!?」

「なれるぞ。しかし鳥になる為には、詳細に鳥をイメージできねばならぬ。それに存在の確定しておるモノを、魔法だけで別の存在に変化させようとするのはなかなか困難じゃ。怪我を治すのとは訳が違う。

 下手をすれば鳥になるどころか、人としての形を失って戻れなくなってしまうがな」


 期待に満ちた表情を浮かべたディールだったが、予想以上にハードルが高いと知って表情を曇らせた。魔法についてまだまだ知らないことばかりだ。


「じゃが今は魔法での移動の話じゃ。通常は魔法での移動はかぜを使う。風に乗り、風に運ばれて飛ぶというイメージで魔法を構築する。風でモノが飛ぶというのは、普段から見慣れておる現象じゃからイメージもしやすかろう……とは言うても、これはこれで難しい。

 失敗しても構わぬから、まずはお主の思う風を使ってやってみよ」


 ディールは魔力廻炉を展開する。使うのはヴァユ。飛ぶのであれば強いかぜが必要になる。ならば魔物を倒した時に起こしたのと同じ風。それが自分の体を纏うのをイメージする。


「嵐のように飛ばす風」


 ディールの体を強い風が包む。刹那、ディールは体ごと上空へと

 真上へ放たれた矢のように一気に高度を上げる。そしてキュリアスが豆粒のように小さくなって見える高さまで登ると、今度は地面へと向かって落ち始めた。


「うわっ!」


 ディールは確かに飛んでいた。だがこれは飛行ではない。嵐のような風に、文字通り真上へと吹き飛ばされただけだ。突然のことにディールの頭はパニックになった。何をしていいか分からないまま地面が近づいてくる。思わず目を閉じた。

 ふと落下の浮遊感が消え、何かに体を抱き留められた。ディールが恐る恐る目を開ける。目の前に悪戯っぽい表情を浮かべたキュアリスの顔があった。


「師匠!?」


 ディールは背中と両脚の膝裏を支えらた状態で、キュアリスに横向きに抱きかかえられていた。二人は空中に浮いている。


「ふははは。やるじゃろうと思っておったわ」キュアリスが笑いながら言う。「しっかり捕まっておれ。少し飛ぶぞ」

「え? あ。わわっ」


 ディールは慌ててキュアリスの首に腕を絡ませて体を固定した。二人は水平に空を進む。それは先ほどのディールとは違い、確かに空を飛んでいた。


「飛んでる!」

「どうじゃ。なかなか気持ち良いじゃろ?」

「はいっ」


 頬を撫でる風が気持ちいい。速度は駆け足より僅かに早いくらいか。眼下には田園風景が広がっており、それが流れるように後ろに去っていく。

 しばらく飛んだあと、キュアリスは最初にいた場所へと着地した。抱えていたディールを降ろす。その時初めて、ディールは自分が花婿が花嫁を持ち上げるような形で、抱えられていたことに気づいた。

 思わず赤面する。そんなディールの様子を意に介したふうもなく、キュアリスは真っ直ぐに見つめて口を開く。


「飛ぶのは難しかろう?」

「はい。師匠と違って、僕のは飛んだんじゃなくて、吹っ飛ばされたみたいです。全然コントロールできない」

「そうじゃ。かぜを起こすだけじゃと、吹き飛ばすことはできても自由に飛ぶことはできん。細かい調整が必要になる。その都度、風を起こしてもよいのじゃが、それでは小回りが利かぬ。そこで必要なのが他の元素を組み合わせて使うことじゃ」

「他の元素?」

「そうじゃ。ヴァユの他にテジャスの持つ支配の属性を使う。魔法で生み出したかぜを己の周りに留め、必要に応じて動かす為にの。風を思い通りに操るのじゃ」

「風を……操る」

「お主は失敗したことで、何が足りないのか分かったであろう?」

「はい」

「そして妾と飛んだ時のことを思い出して、何が必要かを考えるのじゃ。自分で色々試して、その中から正解を見つけてみよ。危なくなれば先程のように助けてやる。質問があれば答えてやる」

「試し、考える」


 ディールは噛みしめるように言う。何をしたいかを考え、その為に何が必要かを考える。そして魔導師はその検証の為に魔法を使う。


「じゃが、いきなり飛ぶ必要はない。まずは風を生み留めること。それができるようになったら地面から少しだけ浮くこと。そして、その状態を維持できるようになること。これが最初の課題じゃ」


 ディールが嬉しそうにキュアリスを見る。彼女は本当に自分に教えようとしてくれている。それもただ知識を押しつけるだけでなく、導いてくれようとしているのがディールにも分かった。

 ディールは頷くと、最初の課題を成し遂げる為に魔力廻炉を展開した。


  

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