0-2 ガゼ辺境伯
滅びの都は迷宮である。
まったく普通の都市に見えるが、迷宮である。
都市として、人や物資、その他諸々雑多に動いて見えるし、街中で魔獣が湧き出ることもなく、何の問題もないように思える。
迷宮?
これのどこが?
と訪れる人々は口にする。
十九年前の反応はもっと酷い。
ガゼ辺境伯が発表したときだ。この都市が迷宮になってしまったと。
公国の大公にも素早く伝えられた。
ガゼ辺境伯は狂ってしまったと。
この情報伝達は悪意の賜物でしかないが、ガゼ辺境伯はやっかまれていたのだ。
三十年ほど前に敵対していた島国が一夜で滅びるまでのこの領地は、非常に広大で豊かだが、そもそも辺境と名の付き公都から遠く離れた、貴族たちにとっては戦争と隣り合わせの見向きもされない土地だった。
それが観光地として脚光を浴びると、公都にいる貴族たちは新たな娯楽に喜び、国外の貴族たちも遊びにやってくる。観光地化は彼と領民の尽力によるものだったのだが、貴族の一部には面白く思わない者がいた。
そして、さらに彼らにとって面白くないのが、ガゼ辺境伯が大公の娘、公女の婚約者に決まった。それを正式に発表したのが、迷宮発表事件の一年ほど前だった。
実は、大公に娘が生まれたときガゼ辺境伯は婚約者として内定していた。公女が生まれたのは偶然にも島国が滅んだ年。滅んだ影響の津波やら何やらでガゼ辺境伯領でも被害が出た。その復興の指揮をとっていたのはガゼ辺境伯その人本人である。
ガゼ辺境伯はすでにこのとき二十歳。彼は結婚もしておらず、婚約者もいなかった。貴族としては珍しい方だが、戦争もあり、辺境でもある領地を持つ彼に好んでお近づきになりたいと願う貴族はいなかったからだ。
二十歳差の婚約を大公から打診された。
彼はさすがに断った。
なのに、大公が婚約をゴリ押しした。
ガゼ辺境伯の力はオウトル大公国にとってなくてはならないものだった。ガゼ辺境伯領はオウトル大公国で唯一他国と小競り合いが続く土地である。
この国で一番強い軍隊を保持しているのが、ガゼ辺境伯。平和ボケしている大公家でも他の貴族でもない。
大公は見抜いていた。
そして、敵対する島国がなくなった。
敵国がなくなれば、彼の力はどこに向かうのかを。
彼は復興後、ある程度の軍を残して解体し、その人員を観光業へシフトした。屈強で陽気な彼らは建築現場からガイドに至るまで人気者になった。そもそもガゼ辺境伯領での軍人は自分たちを守ってくれる英雄たちだったのだ。
敵国がなくなれば、そこは青い空、青い海。リゾート地として出発するには最適な場所だった。もちろん、津波等で被害を受けている海岸周辺を整備するのは領民たちにとっても非常に根気のいる仕事だった。
けれど、彼らは浮かれていた。
だから、何でも熟した。
いつ何時攻撃を受けるかわからない土地で、その脅威が一晩でなくなったら喜びもするだろう。だが、津波等の影響でこの土地でも死傷者は少なくなく、喜びを前面に押し出せるかと言ったらそうではなかったが。
観光業での儲けが多いために税金は増える一方だったが、ガゼ辺境伯領は順調に発展していった。元々肥沃な土地であり、戦争さえなければ領地は荒れず、農地も耕す人員が増える。
大公も娘の婚約者の領地が発展していく様を頼もしく見ていた。公女が十歳になりガゼ辺境伯との婚約を発表したが、これは公女本人が望んだことだ。ガゼ辺境伯の外見は、白馬に乗った王子様だよと言われれば納得してしまう風貌なのだ。ガゼ辺境伯自身は公女が成人してから発表した方がいいという意見だったが、悪い虫がつかないように早めに公表するよう公女は父にお願いした。
公女は三歳のときガゼ辺境伯に会い、初恋に落ちた。それ以前にもガゼ辺境伯は赤ん坊の公女に会っていたが、覚えていなくても無理はない。とにかく公女はガゼ辺境伯が大好きだった。
公女との婚約が発表されて、ガゼ辺境伯領はさらに発展の一途を辿ると思われていた。
だが、そこにきてガゼ辺境伯の迷宮発言だった。
真偽を確かめるため大公自らガゼ辺境伯領を訪れた。危険だと止める声も多かったが強行した。
門から都市へ入ったとき、大公たちは大歓迎された。大勢の貴族を見慣れている都市の住民たちだが、何台もの連なる豪華な馬車と、それを囲む大勢の騎士たちの大行列は見応えのあったものだったらしい。
大歓声が辺りにこだました。
だから、
大公はガゼ辺境伯の手の込んだイタズラだったのかとさえ思った。
ガゼ辺境伯から事情を聴くまで。
大公はガゼ辺境伯と会えて話ができることにさえ感謝した。
迷宮化してすぐにわかったことは、この都市の住民はこの都市から出られなくなった。都市を囲む壁の外へ一歩も出ることができない。
だが、この都市以外の人間が観光に来ることはいっさい問題ない。むしろ来てもらいたいと大公は言われた。
大公はガゼ辺境伯にこの都市を訪れるルールを教えてもらった。
この都市の住民にならないこと。
この都市のものは何も持ち出せない。
持ち出そうとすると、消えてしまうこと。
この都市で食事はとれるが、栄養には一切ならない。
餓死したくなければ、食料を持参すること。
他にも細々なルールはあるが、ガゼ辺境伯が迷宮主から聞いたものを大公に説明していった。
この大都市は迷宮主から永久保存されたと、告げられた。
目に見える大都市も迷宮なのだが、この大都市の下には迷宮が広がっている。幾層にも重なる地下迷宮が存在している。
住民たちは迷宮の地下部分を遺跡と呼び、迷宮主を遺跡主と呼ぶ。
迷宮になった時点で住民でなかった者たちが、新しい住民になってしまうと、この大都市上にはいなくなる。迷宮主はあの時点を永久保存したのだ。
大公が来る前に、ガゼ辺境伯は役所にも届け出を受け取らないように伝えていたにもかかわらず、数人が住民登録されてしまったらしい。結婚して新たな住民になった人もいる。
住民になった翌日には姿を消した。
家族や近所の人に聞いたところで、遺跡の仕事に出かけた、としか答えない。
地下迷宮にはいるらしいけど確かなことは言えないと、ガゼ辺境伯は大公に伝えた。
地上部分の大都市は都市そのものだったが、迷宮の地下部分は魔獣や罠、宝物等も存在しているという、世界各地で探索されている迷宮と同質のものであるため、大公はガゼ辺境伯から冒険者の派遣を要請された。
辺境伯領はそもそも敵国との戦いが多く、魔獣の数は少ないため冒険者ギルドはこの大都市に一つあるのみで、それも小さい店舗に間借りをしていたぐらいだ。急な要人の護衛等の依頼もあったため辛うじて存在していたが、この場合、存在していたことが重要だった。
もし、あの時点で冒険者ギルドがこの都市に存在していなかった場合、「この都市のものは何も持ち出せない。」というルールが非常に厄介なものになっていたからだ。
迷宮での冒険者としての収穫物や報酬は、冒険者ギルドを通してデータという形にして持ち出せる。つまり、迷宮主は迷宮であるがゆえに例外をきちんと残してくれていた。
ちなみに、銀行は都市住民以外が利用する場合、引き出ししかできない。預け入れや振り込みができない。カジノ等で大儲けしてもこの地で使っていかないと、お金はこの都市から出ると消えてしまう。
もちろんこの都市に入る前に持っていたお金は消えることはない。が、食事やら宿泊やら観光やらで散財されて消えてしまうのは仕方ないことである。
では、お土産はどうするのかというと、壁の外にある土産物屋や、海岸のコテージが並ぶ高級リゾート地で買える。都市を囲う壁の内部が迷宮化したのであり、その外のものは持ち帰るのには影響がない。
基本的にこの地に観光に訪れるのは、貴族だったり、大商人であったり、金持ちが多いのだ。彼らは気に入った洋服やアクセサリー等を見つけてしまえば、高価なものでも都市で普通に購入する。彼らはその洋服がどんなに気に入ったとしても、普段から数回でも袖を通せばいい方だ。一度だけしか着ないことも少なくない。そんな彼らは特に問題はない。
だが、お付きの人たちはそうではない。家に帰ったら鞄から気に入って購入した高価な洋服が消えていたら悲しいどころの騒ぎではない。
ルールを確実に認識させることが重要だ。
大公はこの都市のパンフレットやガイドブック等に必ずルールを書き、この情報を広めることを約束した。
そして最後に、大公はガゼ辺境伯と話し合い、娘との婚約を解消した。
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