第22話

二十四、

 朝早く出立し、二手に分かれた。

 まだ公けには面の割れていないボルとマルガが、城内に戻ることになった。ジクロとジナ両名の様子や救出の手立てを探ってもらう。あるいは、マルガの狙うワルラチの潜伏先を求めて、アクバの周辺を嗅ぎ回ることになるだろう。

 一方、ラムルとサラは、ハーリム医師とおぼしき男を訪ねにバソラ邨に向かった。ボルの用意した鹿毛かげ芦毛あしげの馬に各々うち跨がると、二人は先を急いだ。流星馬はやうまとはいわないまでも、かなりの速度だ。ぐずぐずしていると、医師が姿をくらましてしまうおそれがある。

 砂漠を駆りながらラムルは、ハーリムがまだ邨にいてくれることを祈る。そして、昨夜ゆうべ話し切れなかったある疑問が、首をもたげてくるのを感じていた。

 ーーあの剣客ガイウスをたおすことができる遣い手とは何者なのか、と。

 

 人気ひとけのないバソラ邨を、騎乗したままラムルたちは駆け抜けた。目指すはリオ老の邸第やしきだ。

 白光はっこうがくすんだ色の毎家いえなみに降り注いでいる。流浪猫のらねこが馬に驚いて路地に逃げ込んでいった。

 邸第やしき楼門もんを抜け、前庭で馬を乗り捨てる。玄関に向かう。おとないを入れる間もあらばこそ、奥にずかずかと乗りこむ。

 老人の部屋になだれ込んだ。

「ひと足、遅うごぜました……」

 睡衣ねまき姿で椅子におさまった老人は、ラムルたちの来訪を予期していた口ぶりで言った。

「ハーリム先生は、今朝がた、ホーロンへ向かわれました……」

 入れ違いになったということか。サラが老人の傍らに立った。

「どうして教えてくださらなかったのですか」

 サラの口ぶりが、自然と詰問調になる。

 老人は目を伏せた。

「それがガイウス様との約束でごぜましたので……」

「ガイウス様との?」

 少し昂奮気味のサラを抑えてラムルが訊ねた。

 ハーリム医師を伴ってガイウスがリオ老のもとを訪れたのは、二十日ほど前のことだという。ガイウス自身の殺された日からだと、四日前になる。何も聞かずに、この御仁をあずかって欲しいーー。そう言ってガイウスは、老人に助力を求めた。

「やはりーー」

 バソラ邨に隠れひそんでいたということから、ハーリム医師はガイウスに伴われてやってきたのだろうと予測はしていた。

理由わけは、おっしゃらなかったのでしょうか?」

「ええ、なんも聞かんほうがええと。ホーロンではハーリム様のお命が危ういやも知れぬ、とだけ。ですからハーリム様ご自身が何と言おうとホーロンに戻してはならない、と仰られたのですが……」

 ラムルはサラと黙って視線を交わし合った。互いの言いたいことは察せられた。これでハーリム医師が太守ころしの実行犯という線は薄くなったと考えているのだ。それは二人ともがガイウス・アルサムという男の為人ひととなりをよく知っているからだった。たとえ挚友しんゆうとはいえーーというか挚友しんゆうなればこそーーあのガイウスが、大罪を犯した者をかばうとは思えないのだった。

 その日からハーリムは、邸第やしき孤房はなれ客分きゃくぶんとして寄宿していたのだ。以前せんにラムルとサラが邨を訪れたときも。

「亡くなる前ーー最後にガイウス様が邨にいらっしゃったときに、ガイウス様は老夫わしに、留言かきおきを託されました。自分に何かあったときは、これをハーリム様に渡すようにと……」

 父の亡骸なきがらが見つかったあと、老人はハーリムがどういう行動を起こすのか案じた。案の定、ハーリムはホーロンに戻ると言いだした。リオ老はそれを何とか押し留めていたのだ。

「ガイウス様が亡くなったとあっては、ハーリム様の危うさはよりいっそう増したんでねえかと思われたがです。ここでハーリム様をお返ししてはガイウス様のお心を反故ほごにしちまうと……」

 老人が父から預かっていた留言かきおきを渡すと、ハーリム医師はホーロンに戻るのを一時いっとき取り止めにしたようだった。

留言かきおきには、ガイウス様ご自身に万が一があった場合のお指図さしずが書かれてあったようでごぜました。おそらくその中に、軽挙かるはずみを慎むように書かれとったのでごぜましょう」

「その留言かきおきは、まだ残っていますか?」

「いんや、ハーリム様がお持ちになっていったようでごぜます」

「中身については?」

 老人は首をふった。ラムルは思わず唸った。留言かきおきには、一連の事件の詳細が記されてあったかもしれないのである。ラムルとサラが訪ねてきた先般とき、老人はよほどハーリムのことを打ち明けようか迷ったという。ガイウスが死んだとなっては、どうすればハーリム医師が安全なのか分からなかったからだ。だが、打ち明ける決心がつかないまま話さずじまいになってしまった。

 ところが数日前のこと。バソラ邨に、ホーロンを通って来たという江湖芸人たびげいにんの一座が立ち寄った。バソラのような辺鄙な邨にとって江湖芸人たびげいにんたちは、見知らぬ土地の見知らぬ話題を提供してくれる貴重な情報源だ。その一座が、近ごろホーロンで起きた人殺しの話題を邨人にもたらした。話の内容を聞いてハーリムは、すぐにそれが自分の弟子のことらしいと言い出した。老人は医師がまたホーロンに戻る気になるのでは、と警戒したが、医師はとくにそのような素ぶりを見せなかった。安心する一方、医師は塞ぎこむことが多くなった。

「それが今朝、シナハが食事を運んだときに、孤房はなれが空になっていることに気がついたのです」

「医師は、危険をおかしてまでどうしてホーロンに戻りたかったのでしょう?」

 ラムルの質問に、リオ老が答えた。

「ハーリム様にゃ、ホーロンに心を残されたお人がいらっしゃるようでした。お弟子さんがあやめられたと知らされて、よもやその方にまで危害が及ぶのでは、とお思いになったのではねえかと」

 と言うことはーー。

(今度はハーリムの身が危ない!)

「大変。早くホーロンに戻らないと」

 同じ結論に達したサラがラムルを見遣みやる。待て、とラムルがサラを制した。

「ハーリム医師も自分の立場は存じておるはず。おそらくホーロンに入るのは、日が暮れてからになる。まだ少し時間ときがある」

 ラムルはリオ老に顔を向けた。

「ご老人、孤房はなれを見せていただけますか」

 老人は頷いた。シナハに案内されて、リオ邸の孤房はなれに足をふみいれた。孤房はなれは土壁の頑丈そうな造りの平屋だった。房室へやは二つあり、ひとつは起居いま、もうひとつは臥室しんしつだった。内部はきれいに整頓されていて、医師の几帳面な性格をうかがわせた。

 とりあえず手分けして物色してみることにする。ハーリムがホーロンに置いてきた相手とは、アシド家の青年医師リユンが言っていた、ハーリムの「情侶いいひと」のことだろう。調べながらもラムルの頭は回転していた。それについては、ラムルはすでに心当たりがあった。似顔絵を描くのに協力してくれた、隣家のみぼうじん嫂夫人おくさんだ。

 あのときは謝礼につられて渋々といったていに見えたが、それにしては似顔絵作りに熱心に協力してくれた。それは彼女もまたハーリム医師の行方を知りたかったからではないか。

 元々、大して家具もない房室へやで、これといったものも出ないまま、調べはあっという間に終わってしまった。

「ハーリム医師は、必要なものはすべて持って出ていったようね」

 サラがため息をつく。手がかりらしいものは、何一つ出てこなかった。

「すぐにホーロンに引き返そう」

 主房おもやにもどりながらラムルは、自分の推測をラムルに話した。みぼうじんの家は、ハーリム医院の隣で、およそいちばん物騒なそこに、医師がなんの考えなしに近づくとも思えないが、いずれにしてもあの界隈に姿を現すのは危険極まりない。ハーリムは太守ころしの実行犯とみなされているのだ。

「もちろん、わたしも帰るわよ」

 サラが先回りして断言した。

 ふいをつかれてラムルは、口をつぐんだ。

 このままサラを邨に置いて、自分だけホーロンに潜入すベきではないかーー確かに一瞬、そう考えたのだ。しかし見透かされていたようだ。二人の視線が絡み合った。ラムルはそっと息をついた。

「分かったよ。サラはおれが守る」

「わたしがラムルを守る、の間違いでしょ」

 サラは嫣然にっこりと笑った。

 主房おもやに入ると、すぐにその奇妙な気配は察せられた。

 薄暗い邸内は、しん、としていやに静かだった。そこにいるものを落ち着かなくさせるような不穏な気配が、辺り一面に張りつめていた。空気中の微細な粒子が色づき、常とは違った色を見せているかのようだった。森の中の暗がりで獣がじっと息を潜めているような、不自然な静寂。

 かたわらのサラは、ラムルより強く何かを感じ取っているようだ。

 ラムルは呼吸をゆるくとり、心を鎮めるようにした。腰に手を回して、いつでも鞘を払えるように構えると、気配の流れてくる奥へと進んだ。

 老人の居室の前でシナハが、今にも卒倒しそうな表情で震えていたが、サラたちを見つけてすがるような眼で、室内を指差した。

「お久しゅう御座る。サラ・アルサム殿」

 房室へやに入るなり、涼やかな声がサラたちをでむかえた。

 椅子に腰かけた、睡衣ねまき姿のリオ老。

 その喉元には、鈍く輝く刃が突きつけられている。

 剣を握っているのはーー黒獅子候の第六公子アガム・ライゴオルだった。

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