第21話

二十三、

 〈とりかえばや〉ーー。

 魔神パーリ悪戯いたずらと言われるこの不可思議な怪異が、此ほど自分にーー自分の「第二の人生」にーー関わって来ようとは、サラは思いもよらなかった。或いはサラ自身がーー「守本沙羅」が「サラ・アルサム」であることがーー〈とりかえばや〉の所産であるやもと思いしてはいたが、つい先般、令人害怕ぶきみ人妖ばけものに襲われるまでは、具体的な事共ことどもを浮かべてはいなかった。それが今や、立て続けに、身近に現れてきたのだった。

「さすがに詳しいな」

 マルガのたなごころを指すような講釈に、ラムルが感心した口調で言う。

 ふん、とマルガはそっぽを向いた。

寨主おかしらのご命令だからね。けどこんなことは、そこの呆子まぬけが答えられなきゃいけないんじゃないかえ?」

 そういって、ボルを指差す。

「〈黒夜党〉の老三さんばんて、〈夢繰ゆめくり〉のボル様なら気付いて当然だろ?」

「元、老三さんばんてだ」

「〈夢繰ゆめくり〉とは?」

 ラムルが目顔で訊ねると、ボルは顔をしかめた。あまり話したい風ではなかったが、渋々説明をし出す。

 〈夢繰ゆめくり〉というのは夢魔むまと人の〈とりかえばや〉で、眠っている者の夢の中に入りこんで、夢を通じてその人を操ることができるという。

「ーーおれは〈夢繰り〉をつかって、〈黒夜党〉の引き込み役をしていた。家人かじんに、家の戸や錠前を開けさせてな」

「……」

 ラムルも、ボルの詳しい来歴は初めて聞くようだった。ボルは続ける。

小姐おじょうちゃんには話したがね、おれはガイウス様に心酔して〈黒夜党〉を抜けたんだが、そもそも〈黒夜党〉は捕まった者を許さない。どのみち〈黒嶺〉には帰れないんだ。お前らに背叛者うらぎりもの呼ばわりされるいわれはないぜ、〈聞耳ききみみ頭巾ずきん〉のマルガさんよ」

 マルガの異能力は、アクバから助けてもらったときの様子で薄々気付いていた。彼女は紅隼ちょうげんぼうと心を通わせることが出来るのだ。あの息の合った攻撃は、「二人」の共闘の賜物たまものだ。

背叛者うらぎりものには違いないさね。文句があるならあたしとタルガ大姐ねえさんが相手になるよ!」

 マルガが柳眉を逆立てて身構えた。タルガ大姐ねえさんーーあの紅隼ちょうげんぼうーーの戦闘力の高さは実見ずみである。

「もう沢山だ! そこまでにして貰おう。いがみ合っている間などないのだ」

 ラムルが割って入ったが、逆にマルガに食ってかかられた。

「偉そうにお言いでないよ、旦那。あたしの目当てはワルラチだけさ。あんたらの城市まち糾紛もめごとなぞ知ったこっちゃないね」

「口がすぎるぞ」

 ボルが気色ばむが、マルガの言辞ことばは止まなかった。

あたしに言わせれば、何もかもが胡乱うろんなんだよ。その太守陛下とやらの毒飼どくかいは事実ほんとうなのか? ただの黄死熱を逐鹿せいそうに利用しているだけじゃないの? そちらの小姐じょうちゃんおとっつぁんは本当にこの暗闘に関わりがあるの?」

 サラは思わず唸った。マルガの指摘は鋭いものだった。ラムルに聞いたのだが毒殺は本来、判別するのが困難な暗殺方法らしい。天然自然の毒物は、入手が容易な上に種類とその投与方法は多様で、いかなる種類の毒がどのような手段で用いられたのかを特定するのは不可能に近いのだ。そしてガイウスの死が太守ころし関連しているというのは、未だ推測の域を出るものではないのだ。

 ラムルが考え考え答える。

「アルキン殿に探りを入れてもらったところによるとーーアルキン殿には城内なかからの支援をお願いしたのだーー御史台ぎょしだいは、陛下の身の回りの物を徹底的に調べ上げたみたいだ。食事はもとより陛下が日常触れるもの、内衣したぎを含む衣類、鍵や書物、ご愛用の葉子戯カード、寝室の松明まで。だが確たるものは出てこなかった。その代わりハーリム医師の医院から、厳重に秘匿された剧毒もうどくが見つかった。そしてその毒物による症状と太守の病状が一致した、というわけだ」

「出来過ぎた話だな」

 ボルが言う。

「まさしく。だがいずれにせよ、それで毒飼いは事実だと判断が下されたわけだ」

「それじゃあ、それはいいとしよう。だが殺し方はともかく、アクバって奴はそんな大それた陰謀をめぐらす相手なのか? だって旦那たちを襲った〈飛頭蛮ぬけくび〉ワルラチもそいつの手下てかになるわけだろ? アクバをさらに操る牽線人くろまくがいるんじゃないのか?」

 ボルが訊く。

「そこが一番の難問だな。とにかく上つ方の利害関係は複雑怪奇だ。それこそ事情通のアルキン殿に聞かねば」

 茶碗をして、ラムルも頷く。

「前太守のちょうが厚かった赤獅子候は外してもよいかもしれん。が一方で、お二人は近ごろ犬猿の仲であったという噂もある。可能性だけで言えば、サウル候や他の執政たちも勿論捨て切れん。突飛なようだが、他国の刺客という線すらある」

可兌カタイね」

 マルガが、もありなん、という風に頷く。

「ザビネさんは、なにを知ってしまったのかしら」

 サラが口にした疑問に、ラムルが答えた。

「アシド家を恐喝していたのは間違いないようだ。そして殺された。それだとアシド家が牽線人くろまくということになるが……」

「アシド家は自らお上に訴え出ています。まさかあの家の者が殺したとも思えないけど」

 そうサラは言ったが、よもやそれすら詭計きけいかもしれぬと思い直す。次第に何が何だかわからなくなってきた。

 ボルがため息をついた。

「それでこれからどうするね、旦那」

「うむ。まずジクロとジナさん救出する手立てを考えるのがひとつ。アクバの身辺を洗う線がひとつ。あとはハーリム医師の行方をたどる線がひとつ。この三つを考えておる」

「ハーリムがまだ生きていると思う?」

 サラが訊く。

「確信はないがね。ただ、ガイウス様は剣によって害され、ザビネは飛頭蛮ぬけくびに殺された。ところがハーリム医師だけは失踪だ。一貫していない気がするんだ」

「やっぱり、ハーリム医師だけは自分の意思で逃げ出したということ?」

「ああ。だからハーリム医師を見つけることで多くの疑問の答えが出る、と思う」

 そこでだ、とラムルが懐を探った。折りたたまれた紙片を取り出す。

「これは、ハーリム医師の隣人の妻子おくさんに頼んだものだが……」

 ハーリム医師を探すにあたってラムルは、人相書きを描かせたらしい。

「ガスコン殿の紹介の町絵師に頼んだのだ」

 金吾衛きんごえいでは、人捜しなどの探索に用いるため絵師に似顔絵を描かせるのだという。ラムルは、ガスコンが常日頃から使っている絵師を医師の隣人のところに連れていき、ハーリムの似顔絵を描かせたのだ。あのつんけんした女性が協力してくれたのか、とサラが驚愕するとラムルは、ちゃんとお礼をはずんだからね、と笑った。彼女はみぼうじんで、暮らし向きが苦しく、その点を考慮して応対すると協力が選られたのだという。ラムルが存外に頼もしくサラは感心した。そして昨日、期せずして抱き合ったときのを温もり思い出して、少し狼狽うろたえた。

「それで、この絵の顔なんだが……どうも見覚えがある気がするんだ……何か思い当たることはないかい、サラ?」

 それは筆墨ひつぼくを用いて描かれた男の顔だった。眉は太く、顔立ちは彫りが深い。口髭が特徴的である。

 じっと見つめているうちサラの脳裡で火花が散った。目の前で、似顔絵の輪郭と記憶の中の人物の輪郭とが重なった。頭が熱くなり喉がカラカラになった。

「どうした?」

 ラムルが訊いてくる。

 サラはこの顔を何時いつ何処どこで見たか瞭然はっきりと思い出していた。特徴的な髭がなくなっていたためすぐには判別できなかったが、それは間違いなく、バソラ邨のリオ老の邸第やしきで出会った園丁にわしの顔だった。

「そうか!」

 サラの話を聞き終えてラムルは、強く頷いた。

「東門付近を迂回すれば、バソラ邨を目指せるなーー」

 道は決まった。

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