第18話

二十、

 シクマによれば、事の発端はひと月ほど前であった。前太守が崩御し、王の次弟じていアデル候が新太守となってから数日のち、宮城きゅうじょうにある風言風語うわさばなしが流れだした。

 話の出所ははっきりとしていないが、後宮を中心に広がったその風語風語うわさばなしは、あちらこちらで囁かれた挙句、やがて執政たちの耳にも入るようになる。その内容とは、前太守の死因は病などではなく、長期にわたってすすめられていた毒のせいだというのだ。

「ーー何か根拠のようなものはあったのですか?」

「まだなにも出てはおらなかった。この時点ではな」

 単なる風言風語うわさばなしで終わっているうちは、宮城の醜聞ですんだかもしれない。だがほどなくして、侍医団の一員であるハーリムが失踪するに及んで、囁き声は無視できないほどに膨れ上がってきた。

 声の内容は、失踪したハーリムが太守に毒を盛っていたという点では一致していたが、そのあとは、ハーリムは危険をさっしてみずから姿を消したという説と、ハーリムを裏から使嗾しそうしていた者に口封じに殺されたという説の、二説が続いていた。

 シクマら監察御史が、御史台の長官である御史ぎょし中丞ちゅうじょうドゥランに呼ばれたのは、ちょうどサラが父の死を知らされたのと同じころだった。

 けして他言いたすな、と念押しをしてドゥランは、宮城の驚くべき風言風語うわさばなしを語って聞かせた。

 ーー其方そのほうらは、今からハーリムの周辺を徹底的に洗うのだ。

 ドゥランは、そうシクマに命じた。

 ただし、ことは宮城をーーいやホーロンを揺るがす重大事であり、探索はごく秘密裏に行うこととされた。それは執政全員の意向であった。

 さっそくシクマは、ハーリム医院の周辺を聞き込みはじめた。その際、調べの便宜上、土地勘のあるアクバを金吾衛から借りうけた。

 ほどなく、ここ数ヶ月のあいだハーリムと頻繁に会っていた人物が浮かび上がった。

「ガイウス・アルサムよ」

 シクマは、サラをねめつけた。

「父が、ハーリム医師の元を訪れていたのは、病に罹っていたためです」

 サラは反論した。

「確かに表面上うわべはそう見える、だがまこと理由わけが奈辺にあったのかはわかるまい」

 シクマは、サラの前に顔を突き出した。

「ともあれ本官われらは、陛下暗殺の件にガイウスがなんらかの形で関与していると睨んだ。我らの見立てでは、ガイウスは暗殺事件の黒幕に口を封じられたのだ」

 それは、父の死に関して今までとはまったく異なる解釈だった。シクマの解説は続く。

 言うまでもなく、いち捕吏とりかたである父が単独で太守を暗殺しようとしていたとは考えにくい。父を操る牽線人くろまくが後ろにいるのだ、とシクマは言った。

 監察御史は、手分けして失踪したハーリムを探す一方、医院を張りこんだ。ザビネを訪ねたサラももちろん監視されていた。監察御史たちは色めきたった。

「なにせ、最も疑わしい人物の娘が現れたのだからな」

 だがこの時点では、決定的な証拠は見つかってはいなかった。そこでアクバが、ガイウスの旧友を称してアルサム邸第やしきを来訪した。目的は、父が事件に関与していた証拠を残していないか調べるとともに、サラの様子を探るためでもあった。

 サラがアクバに目をやると、アクバはきまり悪そうに頭をかいた。この人の好さげな風貌にすっかりだまされたのだ。

 ふと、サラは思いついて訊いた。

「ザビネの動きをみはっていたのなら、彼が何者かを強請ゆすっていたのに気づかなかったのですか」

「むろん気づいておった」

 馬鹿にするな、とシクマが目を剥いた。

「だが奴は根本的な間違いを犯していたのだ。奴はアシド家を強請ろうとしておったのだ」

 あっ、と思った。

 ザビネが、アシド家に出入りしていたというバシスの言葉が瞬時に浮かんだ。

「おおかたアシド家ならば、同じ侍医団の醜聞に銀子かねを払うとふんでいたのだろうが、そう甘くはない」

 アシド家の当主であるカリム侍医長は、すわ王家の一大事と、すぐさまお上に訴えでた。

「カリムの証言で其方そのほうの父親の罪状がはっきりしたわ。ザビネはの、ハーリムとガイウスが密談しているのを盗み聞いたのだろうさ。それで自分も甘い汁を吸おうと思ったのだ」

「それはすべて憶測にすぎませぬ。胡説でたらめです」

胡説でたらめかどうか、これからはっきりさせる」

 シクマは、冷酷そうな笑みを浮かべた。

 その日の詮議は、夜更けにまでおよんだ。

 たえまない恫喝と同じ質問のくり返しが行われた。直接身体に乱暴されることはなかったが、それはおそらく今後の愉しみにとっておいたに違いなかった。

 ようやく眠ることができたのは、日が暮れてずいぶんあとだった。突き飛ばされるように放り込まれたのは、御史台の暗い石牢だった。

 出入り口には太い鉄格子がはめこまれていて、壁の奥の高い位置に申し訳程度の小さな明りとりがついている。牢の隅に汚物を入れる壷があって、鼻の曲がるような臭いを発していた。だが今のサラには、眼を閉じて休めるだけで、何よりの安楽やすらぎだった。

(ジーナやジクロも、同じような目に合っているのだろうか)

 そんな思考が頭をかすめたのも束の間、寝藁ねわらに身体を横たえるなり、地の底に引き込まれるようにあっという間に眠りに落ちた。

 

 ガン、ガン、ガンと、頭蓋骨の中で鉄棒をかき回されているような耳障りな音で、目が覚めた。鉛のように重いまぶたを無理やりこじ開けた。

 格子の向こうで貧相な体格の獄卒ごくそつが、木杓子きじゃくしと鉄格子を打ち鳴らしている。

「朝メシだ」

 獄卒は黄色い乱杭歯をむきだして、嗜虐しぎゃく的な笑いを見せた。格子ごしに手わたされたのは、平焼きパンが一個と小さな肉片の浮かんでいる薄いスープだった。パンは日乾しレンガみたいに硬く、スープはやけに生臭かった。サラはほとんど手がつけられなかった。

 石牢は詮議中の者をひとまず入れておくためのもので、御史台の建物の奥まった凸部に、左右三つずつ計六つ並んでいた。いま使用されているのはサラのところだけらしく、周りからはこそりとも物音がしない。

 食事がすむと、すぐに別の獄卒が二人、鍵束をジャラジャラさせながらやってきた。

「手を後ろにだして、奥をむけ」

 指示通りにすると、木のかせで後ろ手にいましめられた。

 出ろ、と年嵩としかさの獄卒が無表情にいった。若い方がわずかに好奇心ののぞく目で、うら若い女囚じょしゅうのサラを見やる。

 若い獄卒が先にたち、年嵩が後ろについた。逃げようとしても無駄だという事だ。連れて行かれるのは昨日と同じ房室へやらしい。陰気な石壁を思い出して、げんなりとなる。

 ふと前の男が足を止めた。廊下の真ん中で人だかりができ、場が騒然となっている。獄卒たちが集まり、誰かと押し問答をしていた。

「サラ!」

 人ごみの中から、聞きなれた響きが届いた。獄卒の肩ごしに、声の主を目で追う。いた。

「ジクロ!」

 胸が熱くなった。前に出ようとしたサラの肩を、後ろの獄卒ががっしりとつかんだ。若い方がふり向き、サラの肩を捕まえる。振りほどこうと、もがいた。

「ひかえろ!」

 低い、厳しい声が飛んだ。

 ジクロもまた、羽交締はがいじめにあっていた。

「サラ!」

 ジクロが三人がかりで押さえつけられていた。とうてい獄卒たちをふりはらうことはできない。いや悪くすれば圧死するかもしれない。

 サラは懸命に、近づこうとした。必死だった。しかし結局、二人に引きずられるようにして、昨日の房室へやに放り込まれた。

 無常にも扉が閉ざされる。扉に駆け寄り、肩で力の限りぶつかる。びくともしない。サラーーと叫ぶジクロの声が、遠ざかっていく。

「ジクロ……」

 己の口からもれた呟きが、思っていた以上に弱弱しかった。


 放りこまれた房室へやに、人がやってきたころは、朝からだいぶ時間が過ぎていた。

 監察御史のシクマと右府捕吏アクバ、それともう一人、みしらぬ顔の男が加わっていた。

 壮年のその士族スキュロは、上等な身なりと、落ちついた挙止ものごしで、かなり上つ方の人間であるとしれた。

 男が、穏やかな声で名のった。

「ヨン・ベルデラントである」

 シクマとアクバ、そして一度立たされたサラは、あらためて男にたいして、片膝をついて跪礼きれいした。サラは、内心、混乱でいっぱいだった。

(これが、赤獅子候ーー)

おもてをあげよ」

 サラは、浅黒く日焼けして顎のしまった、精悍な口もとを見て、ふたたび目線を落とした。

(ーーでもいったい、なぜ?)

 御史台が宰相直属の機関なことは知っているが、長官である御史ぎょし中丞ちゅうじょうドゥランならいざしらず、ひと足とびに、国の政務を総攬そうらんする百官の長がやってくるとは、いかなる事態なのか。

(それほどの重大事なのだ)

 戦慄で、背中に冷たい汗がつたう。

そちが、陛下を弑逆しいぎゃくせしめし賊の一味か」

 赤獅子候ヨン・ベルデラントは、穏やかであるが有無を言わせぬ調子で、そう言い放った。

わしが直々に参ったのは、これがホーロンを揺るがす秘事であるからだ。わしの言葉を太守陛下のお言葉、いや天神エフリアのお言葉とおぼしめし、嘘偽りなく申すのだ」

「それはーー」

 誤解でございます、と言上ごんじょうしかけたサラの口が、凍ったように固まった。もう一度、声に出そうと試みる。やはりできない。舌が自分の意思で動かせない。口だけでなく、体も動かせなかった。全身が痺れたようだ。四肢の感覚が鈍麻し、指一本動かすこともままならない。

 それどころかーー。

 まったく思ってもいないことを、サラの口は勝手に喋り出したのだった。

「……いかにも、わが父は、主上おかみを弑逆せしめた」

「おお、なんと……」

 アクバが目を剥く。

「こやつめ」

 シクマが、腰の剣に手をかけた。

(違う! わたしがしゃべっているんじゃない!)

 サラは必死に抵抗しようともがいた。が、もはや何者かに支配権を奪われたサラの体は、操り人形のように、意思とは無関係に動いている。非礼にも立ち上がると「サラ」は、驕慢きょうまんな態度で一同に話し出した。

「医師のハーリムは銀子かねにつられ、太守に毒を供していたのだ。ハーリムに毒飼いをもちかけたのは、かねがねハーリムと懇意にしていた父だった。二人は共謀して方策を練り、必要な資金は父がハーリムにわたしていた……」

(嘘だ! 嘘だ!)

 しかし当然その言葉は、外に発せられなかった。

「わたしは、そのことを知り、また、ザビネが毒飼どくかいの事実に気がついたことがわかったので、アルサム家のためにザビネを殺したのだ……」

「なんという……」

 アクバが、痛ましげな視線をサラに向けた。

「では、あらためて問う。ガイウス、ハーリム、これら逆賊の首魁しゅかいとは誰だ」

 赤獅子候が、告白し大罪人となったサラを、厳しく詰責きっせきした。

「吐けい!」

 シクマが、剣を抜いてサラの喉元に突きつける。

「そ、それは、く、黒し……」

(いけない!)

 またもや開きかけた口に、サラは最後の抵抗を試みた。満身の力を込めるのではなく、逆に全身を一気に脱力させたのだ。それは身体操作としてはむしろ高度な技術わざである。膝を曲げ、一瞬にして重心を落としたのだ。

 制動の利かなくなった身体が転がって、椅子を倒した。派手な音がして、房室へやの外の獄卒どもが駆けつけてくる。雪崩れ込んで来た獄卒たちに、たちまち取り押さえられた。しかし逆にサラは解放感を味わっていた。不可解な呪縛が解けていたのだ。これ幸いとサラは、その場で抵抗した。

「この瘋子ものぐるいめ!」

 無理矢理で枷をめられたサラは、獄卒に引っ立てられた。

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