第5話

四、

 剣を振るって汗をかくと、鬱とした気分が、少しは晴れたようだった。叔父に礼をいって、修練場を後にした。

 邸第やしきの厨房ではジナが、茹で上げたカブト豆の皮をむいていた。

 卓子テーブルのうえの籐笊とうざるから片手で豆をつまみ、要領よく皮をむいて、中身は木椀の中へ、皮は床に置かれたもうひとつの籠に落としてゆく。

 サラはこっそりと近づき、ジナのとなりに座った。

「お嬢さま……」

 サラは知らん顔で、自分も皮むきに取りかかった。ところがこれが意外に難しい。もともと細い作業が苦手なのだ。

 皮がうまくはがれずに、やわらかくなった実がつぶれてしまう。段々むきになってきて、籠に手をのばした。

 その手をジナの手が包んだ。

「こうやってまず、つめの先で切れ目を入れるんです」

 視線を上げるとジナが笑っていた。

 サラは照れながら小さく、ごめんなさいと言った。ジナはうれしそうにもう一度、微笑んだ。

「いいですか、切れ目を入れたらここをやさしく押さえてあげるんです。そうすれば自然に実が出てきます」

 ジナはお手本を見せてくれた。

 帰ってきたジクロが「今夜はクチャ(カブト豆とひき肉の煮込み)かあ」と子どもみたいな声をあげた頃には、二人で木椀に豆の山を作っていた。


五、

 エフリア祭の当日は、賑々にぎにぎしい祝い事にふさわしい好天だった。

 サラが、神苑に設営された臨時の大天幕についたころには、境内はすでに人々でにぎわい始めていた。

 ここ数日で一挙に季節が進んだみたいだった。気温はますます高まって厳しさを増していたが、オアシス都市ホーロンでは、噴水のしぶきが一番心地よい時期として、珍重されてもいる。

 見上げれば雲ひとつない青空が、広がっている。

 どこかから、鉦や笛をふきならす音がながれてくる。

 士族たちの、政治的な会合という意味合いが強い秋の〈大集会〉と異なり、エフリア祭は、士族スキュロ平民ゾックも入り雑じって楽しむ。まして奉納仕合は、神事という本来の性格をいささかはずれて、ナリン砂漠の民びとの大きな娯楽のひとつなのだ。

 人の群れを横目にみながら、サラは大天幕の入り口をくぐる。大天幕は、丈夫な木でできた骨組みに、幾重にも布をまとわせたものだった。内部は、ひだのような幕扉でしきられ、祭壇にぬかずく列や、守り札をもとめる人々の列などに分かれていた。

 サラはそのうちのひとつ、仕合に出場する者たちの列に並んだ。やがて剣士たちの集まる小部屋に入った。

 出場者は、見渡したところ、ほとんどが三大修練場の剣士たちのようだったが、中には見慣れぬ装束の西方の騎士や、破落戸ごろつき然とした傭兵くずれ、旅の武芸者といったいでたちの老人などが混じっている。

 仕合では、四人まで褒賞が出るため、賞金目当てで参加する者も多い。ただし、それにはまず一本勝負の予選を勝ち抜いて、本選出場の八人の中に入らなくてはならない。

 列の先には頭巾で顔をおおった女官がいて、参加の手続きをしていた。ホーロンにおいて先祖祭祀を担っているのは、太守妃陛下を頂点とする女官たちだ。

 サラが列の一つにつこうとすると「あの……」と背後から呼びとめられた。

 ふり返ると、同い年くらいの人物がひとり立っている。

「少々お尋ね申し上げますが、奉納仕合の申込はこちらでよろしいでしょうか」

「はい、この列で……」

 よそ行きの声で、登録手続きの説明をしかけてサラは、ポカンと口を開く羽目になった。

 声をかけてきた人物がーーそれはそれは、たいそうな美貌の持ち主だったからだ。しかも格好からして男性であるというのが、さらに信じられない。

 その人物は、察しよくサラの行く手をみやって、

「なるほど、列にならんで、待てばよいのですね。かたじけなく存じます」

 と微笑んだ。その鮮やかな、紅い唇ーー。

 あまりの妖しい美しさにサラが、ヘドモドと口ごもっているうち、その少年はさっさと別の列に並びにいった。つい茫然と後ろ姿を見送ってしまう。

(きっと……)

 これこそ〈とりかえばや〉というものにちがいない、と幕扉にまぎれる少年に、サラはひとりごちた。

 ナリン砂漠には、こんな言葉がある。


魔神パーリの気まぐれだけが、砂漠の掟」


 魔神パーリというのは、ナリン砂漠の民びとにもっとも身近な怪異、超自然の存在だ。至高神エフリアの子どもとも、冥府王アラーラの眷族ともいわれているが、その正体は、はっきりしない。

 適当な喩えが浮かばないので、「守本沙羅」は、はじめディズニー映画からとって「魔神」と呼んだが、じっさいのところはよくわからない。もともとは土着の信仰であったのだろうが、年月の経つあいだにガドカルの民のエフリア信仰ともまじりあったようだ。

 パーリはいたずら好きの性格で、人類に火をさずけたとか、法螺と嘘しかしゃべらないとか、子どもをだまして地獄へ連れていくとか、さまざまにいわれている。精霊、妖魔、悪霊、鬼をごったにまぜた道化神だ。

 そのパーリのいたずらの最たるものが、〈とりかえばや〉だ。


 女性の心をもつ男性や、男性の心をもつ女性。

 恋人の突然の心変わり。

 物狂い。

 生まれつき体の一部が動かせないもの。

 身分違いの恋。


 こうしたことどもはすべて、パーリの仕業ととらえられている。

 あるいは、


 ブリル大湿原のいやらしい犬頭けんとうじゃ

 かかとのない虎人こじん

 レン内海の蛟人みずちひと

 ゴラン高原の双頭そうとうわし


 などの異形のものどもも、元はパーリの〈とりかえばや〉によって、生まれたという。

 またまれに、人と、それ以外の化生けしょうとの〈とりかえばや〉もある。〈異腹はらちがい〉と称される特殊な力をもった者たちがそれで、全身に鱗がはえていて水に潜れるとか、角をもっていて剛力であるとか、人並み外れた跳躍力を有しているとか、未来を予知するなどといわれているが、〈異腹〉があるとわかると、身分の上下にかかわらず、棄民として城市まちから放逐されてしまうので、城市の人間の目に触れることはあまりない。

 その多くは、死んでしまうか、運がよければ人の通わぬ地にあるという泥小屋の集落に身をよせてそこで暮らすのだという。また〈異腹〉をねらう専門の人買いの賊があるともいわれ、その賊ばらにつれさられ、売りはらわれてしまう者もいるという。

 ともあれ〈とりかえばや〉に法則などないし、目的も、理由もない。起こってしまった出来事、不可思議な現象、納得のいかない結末、世の不条理のあらゆるものを〈とりかえばや〉のせいにしておさめているーーおさめたことにしているーーといってよい。

 そしてーー。

 以前よりサラは、己もまた〈とりかえばや〉によって生みだされた異形ではないかという疑いをぬぐえないでいた。

 パーリによって、とりかえられた、守本沙羅とサラ・アルサムの魂。それこそが、いまのサラなのだとしたら、奇跡のような美貌の少年も、神話の美姫と少年の〈とりかえばや〉であってもおかしくあるまい。

 沙羅はいまでもときおり、上州のからっ風のなかで必死になって自転車をこいでいるサラ・アルサムが元の世界にいるのではと妄想する。それがいいことなのか、お気の毒なことなのかはわからないけども……。

 ぼんやりともの思いにふけっていたサラは、ふと、そのときになって初めて、少年がまったく気配を感じさせずに自分の後ろに立ったことに思いあたった。

 かりそめにも、相応の剣士であるサラの背後に。そして言葉にまじっていた、可兌カタイ風の発音にも。

 

 大天幕の外は、さらに大勢の客でごった返していた。あちこちから、肉を炙る香ばしい匂いや、焼き菓子の甘い香りなどがただよい、境内に充満している。手作りの装飾品を台に広げる露店や、軽妙なかけあいの二人組みの大道芸人もいた。

 士族、商人、旅人、農民など、雑多な階層、職業の人々で神苑は埋めつくされ、祭りは活況を呈していた。

 奉納仕合が行われる舞台は、神苑の一画につくられている。

 神殿の正門をくぐり抜け、横手に回り込んだ先が方形の広い空間になっていて、その内院なかにわの中央に、一段高くなった四角い檀が造られていた。檀の周囲は敷布がしきつめられ、観覧席になっている。

 すでに、場所とりをして、屋台の食べ物をほおばりながらお喋りをする女たちや、家族連れがいた。無礼講をいいわけに、酒盛りをはじめた男たちは、女官たちに厳しくたしなめられている。

 奉納仕合は、ナリン砂漠にあって、かなり独自な発達を遂げてきたホーロンの剣術の特質を、よく表している。

 もともと遊牧騎馬民であるガドカルの民の武術は、馬と一体で弓を扱う弓馬術が主体であった。剣は矢が尽きたときに使うもので、その繰法そうほうも、騎馬の機動力をいかすため片手でおこなっていた。剣は平民の使う得物として、軽んじられてすらいた。

 それが、統治者としてオアシスに定住するようになると、徒歩かちの状態で効力を発揮する武器として、腰刀が取り入れられるようになった。伝統のくびきより、実利性、合理性を重んじるガドカルの民らしい転換である。繰法も力まかせの素朴なものから、両手を使い、より素早く、強い斬撃を目指すものに変化していった。

 こうしてナリン砂漠に、類をみない、馬術と無関係な高度な剣術が生まれた。そして神事にも執り行われるようになったのだ。

 観覧席に、待ち合わせをしていたジクロとジナを見つけた。サラが近づいていくと、別の方向からやって来るラムルにバッタリ出会った。

(ーーやられた!)

 仲を取り持つため、ジクロとジナが仕組んだのだ。ほくそえむ二人を軽く睨みつけながら、仕方なくサラも毛氈の敷布に座る。

 もっとも、見るからにラムルが動揺しているので、彼も知らずにいたのだろう。そう思うと、少し気の毒である。何であれ、粗相をしたのはサラの方なのである。

「お久しぶりです」

 サラが堅苦しく挨拶をすると、ラムルもぎこちなく微笑む。互いに言葉を探しあぐねていると、

「いやいや、お招きに預かっちゃって。ジナさんのポルト酒が呑めるのは嬉しいな」

 と、もう一人、叔父のアルキンが加わった。それで、どうにか場が和んだのだった。

「そうか、アガム様が戻られたか……。いや、ジナさんのポルト酒は、やはり美味い。ナリン砂漠いちだね」

 叔父が、酒盃を干しながらニコニコと笑った。

「まあ、ありがとうございます」

「アガム様というのは、どちらの?」

 おかわりのポルト酒を舐めながら、ジクロの質問に、アルキンが答えた。

「黒獅子候の六番目のお子だ。数年前に可兌カタイへご遊学されたと聞いている」

 ホーロンにも国子監こくしかんをはじめ教育機関はあるが、大陸屈指の文化大国である可兌カタイには、周辺諸国から多くの学者や留学生が集い、大学や私塾が賑やかだった。ホーロンでも身分の高い士族では、子女を遊学に向かわせていた。

「アガム様はとりわけ俊才の呼び声高くてね。しかも学問だけでなく、剣術にも秀でているらしい」

 アルキンが諸処しょしょの事情に通じているのはいつもの通りであるが、それ以上に、あの華奢な体つきの少年が剣術に長けているとは驚きである。しかし考えてみれば列にならんでいたということは、出場するにちがいない。帰国早々、腕試しということだろうか。

「でも、今この時機に帰ってくるなんて、なんだか暗示的ですね」

 ジクロが言う。

「そうだね。おそらくは、ライゴオル候のほうで呼び戻されたのだろうけど」

 確かに、このような政局が不安定な時期に、剣も頭も切れる息子がそばにいてくれれば、黒獅子候も心強いに違いない。

「先日の衛士令の件といい、穏やかでないからね……」

 刻を報せるかねの音がして、サラは慌てて立ち上がった。

「大変、行かなくちゃ。予選が始まっちゃう」

「応援は任せといてくれ」

 ラムルが笑う。

「そうだ」

 ジクロが思い出したように、懐から何かを取り出した。それは、碧玉へきぎょくのついた、ごく控えめなかんざしだった。

「これ、安物だけど、勝利祈願の御守りだ」

 ジクロが照れながら、手渡してくれた。

「おやおや、まるで花招しばいの一場面だね」

 アルキンは特に底意なく茶化しているだけだったが、サラは自分の鼓動が周りの人間に聞こえているのでは、と気が気ではなかった。受けとるサラの手がわずかに震えていることに気づかれるのではないかと。

「……ありがとう」

 思いがけない贈り物に、胸が一杯になる。この簡素で素っ気ない簪は、一生の宝物になるだろう、とサラは思った。

「お嬢様、ご無理はなさらないでくださいまし」

 ジナが、心配顔で、胸の前で手を組んだ。

 サラは皆に手をふって、急ぎ足に大天幕に戻った。簪をしっかりと握りしめて。

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