18

 レーゲンスベルグ傭兵団は現在、一番隊から五番隊までの陸戦部隊と、零番隊とも呼ぶべき都市防衛団の六部隊で構成されている。

 それぞれ構成人数はおよそ千人ずつ。レーゲンスベルグの有事には全軍を挙げて都市防衛を行い、平時には都市防衛団が街の治安維持。残り五部隊が隊ごとに傭兵徴募に応えたり、普請や護衛など様々な仕事を請け負い稼ぎをあげてくる。

 ルイスリールはすでに、マリコーン領主館の見取り図を手に入れていた。マリコーンの街の地図と合わせて広げ、俺は天幕に集った各隊所属の中隊長たちに命じる。

「四番隊は北部地区、五番隊は南部地区の制圧。三番隊はこの兵営にいる、他の傭兵たちを押さえろ」

 現在グリマルディ伯爵の徴募に応じた傭兵は、およそ八千。そのうち五千が俺たちだから、残りは三千だ。兵力的には敵が三倍にもなるが、夜襲、しかも味方と信じていた相手からの急襲だ。経験豊かな三番隊なら、やり遂げられるだろう。

「一番隊は俺の、二番隊はセプタードの指揮下に入れ。この二隊で領主館を制圧する」

 俺の指示に、隊長たちに動揺が走った。その不安げな表情が何を意味しているのかは明白。

 今の傭兵団の主力となっている二十代の団員たちは、師匠の下で俺たちとともに研鑽に励んでいたセプタードを見たことがないのだ。今の今まで、ただの酒場の親父だと思ってきた相手に、いきなり従えと言われても戸惑うしかないだろう。

 だが俺は表情も変えずに続けた。

「お前らが言いたいことは判ってる。だが案じるな。こいつは剣術でも用兵でも、俺やウィミィたちができることは全部、俺たち以上にこなせる」

「えっ……」

「レーゲンスベルグ傭兵団結成時の主要団員、現在の部隊長格全員の長兄だ。俺らの師匠が、子どもの頃から持てるすべてを叩きこんで育てたのは、実子だったこいつただ一人」

 憧憬を込めて、俺はその名を呼ばわる。

「それがセプタード・アイルだ」

 声に出せない動揺が伝わってくる。そんな配下たちに、セプタードは顔色一つ変えずに言い放った。

「信じられないなら、信じなくていい。俺を最前線に置いて盾にしてもいいぞ」

「そんな」

「前に立ち塞がる敵は全部片付けてやるから、お前らは後ろからついてくればいい。簡単な仕事だ」

 唖然としか言いようのない気配が漂った。どこまで傲岸不遜なんだ、そう思っただろうが俺は笑えない。

 ああ、これ冗談じゃねえな。本気でやる気だし、できちまうだろうな、と。

 俺は呆れるとともに観念のため息をこぼすと、気を取り直して続けた。

「目的はロスマリンの救出と、グリマルディ伯爵謀反の証拠探し。前者はともかく、後者が難題だ。物的証拠は、状況によっては見つからないかもしれん」

 隠滅のおそれもあるし、そもそも物として存在していない可能性もある。だから俺は、部下たちに命じる。

「よって明らかな戦闘員以外は、決して殺してはならないし逃がすな。特に伯爵以下、貴族とおぼしき輩は、命に別状ない程度で無力化しろ。くれぐれも口を封じられることのないようにな」

「困難ですねえ。それじゃあ戦利品漁ってる時間はなさそうですね」

 せっかく貴族の城なのに、と気楽にもらした一人に、場が和んだ。

 略奪は傭兵の本分。だが今回は、それにかまけている暇などないだろう。

「それに事が成れば、俺たちの依頼主は国軍になる。いくら謀反とはいえ、臣下の城で略奪を働いたとなれば、後々障りが出てくるだろう」

 苦笑して釘を刺した俺に、どこか楽しげに投げられたのは。

「とはいえ、いくら伯爵がケチだったとしても、妾の首飾りが何本あったのか、食堂に銀器をどれくらい持ってたのかなんて、把握してるわけもないんだよなあ」

 俺たちのやりとりを聞いていたルイスリールの言葉に、一同はどっと笑った。障りが出ない程度にほどほどでやれ、と暗に唆す言葉に、俺は内心で毒づく。

 それが当の国軍の頭が言う言葉か! と。

「それじゃ一番隊と二番隊だけがいい思いをすることになるだろ。あとで全隊に成果の報告をさせる。各部隊ごと、最もめざましい働きをしたと認めた中隊には、俺から褒賞を出してやる」

 苦笑しながら俺が告げると、場が沸いた。だがその時、静かな声が響く。

「団長。俺たちにそんなものは必要ありません」

 声を上げたのは、一番隊所属の中隊長の一人。名前はジリアン。

 いずれ大隊長、部隊長と重責を担うことを期待されている若手の一人だ。

「俺たちにとってこの戦いは、やっと巡ってきた、貴方への恩返しの機会だ。稼ぎのことなどどうでもいい。貴方のために戦える、それで十分だ」

 不意を衝かれた。そして何を言われたのが、判らなかった。

 けれどもジリアンの一言は、場に共感をもたらしたようだった。そうだそうだ、という同意の声を、俺は不思議に聞く。

「恩返し?」

 オウム返しに問うしかない俺に、ジリアンは憤慨したように問い返す。

「今ここにいる連中、十四年前の大飢饉と戦争の時、何歳だったと思っています?」

 現在の中隊長たちは、大体二十代から三十代前半。その十四年前とは、すなわち。

 皆、ガキだ。

 だがそれが意味するところは?

「ここにいる奴の多くが、貴方が拾ってくれなければ飢死してただろう、捨て子やみなしごです。貴方は覚えていないでしょうけれども、俺たちはこの十四年で、こんなに大きくなったんですよ?」

 何人もの隊長たちが、ジリアンの言葉に大きく頷いた。だがその言葉は、俺には意外に過ぎた。

 俺は十四年前、レーゲンスベルグの独立に伴い、傭兵団の早急な大規模拡充を迫られた。新兵を調達するにあたり成人も多く雇い入れたが、同時に身寄りのない子どもも数多く拾った。

 当時のレーゲンスベルグには孤児があふれていた。大きい空き家をいくつか買って収容施設とし、そこに集めた子どもを傭兵団の戦力として育てた。それは事実だし、今も続いている。みなしごや捨て子は、内戦や飢饉が終息しても決してゼロにはならない。

 だがそれを『恩』だと言われることに、俺は戸惑う。行き場のない子どもたちを縛りつけ人殺しを強いている、人買いだ奴隷商人と変わらないと批難されるのは当然のこと。俺がやったことは、そういうことだ。

 お前らに感謝される謂われなどない。いっそ憎まれてもいいくらいだ。

 俺はお前らを利用したのだし、お前らも生き延びるために俺らを利用すればいい。傭兵団にはすべき仕事が山のようにあり、大きかろうが小さかろうが人手は必要だ。食わせてもらう代わりに働く。ただそれだけのことだ。

 傭兵としてのし上がって、前線で大金を稼げるようになるもよし。後方で自分に向いた仕事を見つけて、地道に働くもよし。どうにも合わないと思うのなら街から出ていくもよしと。

 沢山拾い上げた中から何割かが傭兵団の戦力になってくれれば、養育費は経費として十分織り込んでいける。そういう計算の下に回していた事業で、それは慈悲では――孤児たちを救うという慈善心から行っていたことではない。

 ガキの頃からずっと、こいつらにはそう伝えてきたはずだ。

 こいつらが俺に恩義を感じる必要など、一欠片もない。

「覚えているさ。だがお前たちが、今の自分があるのが俺のおかげだとか考えているのならば、それは間違いだ」

 そこは俺も譲れない。俺はジリアンを、そしてその背後にいる団員たちを、真っ直ぐに見る。

 お前たちの人生は、お前たちが自分の足で歩んだものだ。

「お前たちが今の自分に満足しているのならば、それはお前たちの努力で勝ち取ったものだ。俺は何もしていない。感謝などする必要はない」

「だからあなたのその自意識の低さと、自覚のなさが頭にくるんですってば」

 だが奴は一歩も引かなかった。苦笑して頭をかきながら、さらりとこぼす。

「いい加減、自覚してください。レーゲンスベルグ傭兵団総員六千人、その全軍に貴方がどれほど慕われているのかを」

 青天の霹靂、とはこういうことをいうのか。あまりにも思いがけなさすぎる言葉に、俺は反論が出てこない。

「我々は貴方に惹かれたんです。好きになる、という気持ちは当人だけのもので、止めようがないものでしょう? 違いますか、団長」

「お前……」

「我々にだって、目も耳もあります。我々はこの十四年間の貴方を見ていました。貴方がどれほど痛みを堪えながら、激務をこなしていたのか。重いものを一人で背負い続けてきたのか。自分一人が矢面に立って、批判と偏見から俺たちを守ってきたのか。貴方が直面してきた困難を、我々は子どもの無力を噛みしめながら、ずっと見てきました。きっと強くなりいつか貴方の力になる、そう誓いながらここまで大きくなった」

 そうだ俺もだ、と上がる同意を、俺は受け止められない。

「貴方が恩義を感じる必要がないというのなら、恩でなくとも構わない。それでも俺たちは、貴方を慕っているんです。それは貴方自身とは関係ない、自分たちの気持ちの問題だから、自分で決着をつけます」

 晴れやかに笑い、突きつけられる宣告。鞘ごと捧げられる剣と決意。

「貴方のために戦うこと、それは俺たちの悲願です」

 俺は反論したかった。否定したかった。けれども、否定の言葉を――その権利を、何も持ちはしなかった。

 ああ、判っている。俺の理性は判っているのだ、こいつの言うことが正しいのだと。けれども感情がついていかない。なぜならそれは俺の歪みそのものだからだ。

 俺は、他人の好意を受け止めるということに、とことんまでに慣れていない。

 どうやって受け止めていいのかが、判らないのだ。

 憎まれること、蔑まれること、嘲笑われること、それらは全て慣れている。悪意は全て受け流してきた。

 いや違う、悪意だから受け流すことができた。けれども好意は受け流していいものじゃない。だから俺は、それを「ないもの」にした。

 俺に好意が向けられるということ自体を、受け入れようとしなかった。

 俺は幼い頃から今まで、人の感情を――俺へ向けられた思いを、受け止められなかった。それが悪意であっても、好意であってもだ。

 けれどもそれは、どれほど人を傷つけたのだろう。どれほど人を蔑ろにするものだったのだろう。

 俺はどれほどロスマリンを、セプタードを傷つけたのだろうか。

 ふと傍らで声もなく笑う気配がして、俺は横を見た。俺の内心を読んだはずもなかろうに、セプタードは唇に握った人差し指を当てて、柔らかく笑んでいた。

「大丈夫だ、いい加減お前は俺らを信じろ」

 その言葉に、俺は瞑目した。

 こいつは俺を子どもの頃から見ている。そしておそらく、出会う以前に何があったのかを、師匠から聞かされているだろう。

 だからきっと、こいつは気づいている。

 結局は俺が他人に、自分の心に触れられることを拒んでいるだけなのだと。

 十五年前、カイルワーンに「俺らのことを信じろ」と言った当人が、本当は己も他人もまるで信じていないのだということを。

 俺の問題、その何もかもが、結局はそこに辿り着いてしまうのだということを。

 どうしてこんな身勝手な俺を、こいつらは慕うというのか。気持ちを寄せてくれるのか。正直に言えば判らない。だがその思いで好意を否定したら、ただの堂々巡りだ。

 俺は変わらなければならない。

 それはこの一件が起こって以来、ウィミィにセプタードにマリーシアに、そして何よりカティスに突きつけられたこと。

 それが果たせなければ、俺は再びあいつを、そしてロスマリンを泣かせることになる。

 だから俺は目を開けると、手を伸ばした。捧げられた剣を受け取ると、額に押し当てた。

 願いを込めた。

「すまない、お前たちの力を借りる」

「はい」

「ただし俺のために命を捨てることは許さない。もしお前たちが俺に尽くしたいと願うのなら、俺のために生き、そして勝ってみせろ」

 これだけは譲れない。たとえ何があっても。

「ここまで強く育ったお前たちは、傭兵団の財産、傭兵団の宝だ。それが俺のために喪われることを、俺は嬉しいとは思わない。それだけは決して忘れてくれるな」

「必ず。必ず生きて、これから先も貴方の力に。親愛なる我らが総領」

 俺が差しだした剣を押し戴き、ジリアンは感極まった風情でそう宣した。

 この時こいつが、なぜ俺をこう呼んだのか。なぜ突然その呼称を使ったのかは判らない。

 この時の俺は、自分が遠くない未来でそう呼ばれるようになることを、まだ知らない。

 だがこの言葉は、俺の胸の中に不思議な感慨をもたらした。ふつふつと湧き上がる温かく力強い感情に、俺は小さく嘆息した。

 そうか、俺は本当は。自分で思っていた以上にちゃんと他人を愛していたし、他人に愛されたいと、愛されることが嬉しいと思っていたのか。

 ならばきっと俺は、変われる。

 こいつらの敬愛も、愛しい人たちの愛情も、きっと受け止められる。

「判ったろ。お前のこの十四年は、決して無為じゃない」

 この十四年、決して見捨てることなく俺を待っていてくれた――黙って支えてくれていた友の言葉に俺は、ただ頷く。屈託も卑下も自己否定も不信も怨恨も、何もかも力ずくで振り払って。

 体を満たしていく高揚のままに、呼ばわる。

「行くぞ、野郎ども」

 抜き放った短剣が、灯火に煌めいた。

「アルバ王国一の姫君は、俺たちがいただく」

 十四年前、片手で抱き上げ手を引いた子どもたちは、誰もが俺に精悍に育った顔つきを見せて大きく頷いた。

 それは紛れもなく俺にとって、嬉しいことだった。

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