第7話 エピローグ

 佐野原幸江の葬儀はひっそりと行われた。

 親類家族と、十数人程度の弔問客。一般葬にしては少し寂しいような気もした。物悲しい静かな音楽が流れ、スタッフによって故人の生い立ちが朗読される。日本舞踊にひたすら取り組んだ過去が美しい思い出になっていた。彼女が北條小百合であったことには一言たりとて触れられていなかった。

 葬儀のあとはそのまま火葬場に送られるのだという。黒い車に乗せられる棺を見る佐野原アイは、ずいぶん気丈だった。何を考えているのかわからない。火葬の後は親族のみで初七日法要をするという。このまま帰ろうかとしたところに、声をかけられた。アイからの伝言だった。一週間後、家に来いという。ばっくれようかと思った。

 だが俺は結局、一週間後にアイの自宅にいた。


 佐野原邸はあいかわらずだった。

 一人の人間が死んだというのに、それがわからないほどに広い家。変わったところといえば、通された仏間に佐野原幸江の写真が増えていたことくらいか。写真は葬儀の時のものと同じだった。病で痩せ細る前の姿。写真嫌いだったという彼女が珍しく撮られた写真。そこにある控えめな笑顔には、確かに北條小百合の面影があった。

 当の佐野原アイは相変わらずだった。以前と同じように冷たい麦茶を出し、挑戦的な目で俺を見ていた。だが、あのときのような緊張感はない。あれは素なのか。


「あのとき、北條小百合の名前を出したんですか」

「ああ」

「そうですか。じゃあ、それがスイッチになったんですね」

「スイッチ?」

「過去を思い出すスイッチといいますか」


 ああ、と想像がついた。

 あのとき自分の名前を出されたことで、彼女は瞬間的に「北條小百合」に戻ってしまったのだろう。認知症になった人間は、自分が一番思い出深かった時代に戻るという。彼女の場合は北條小百合であった二年間だったというのか。度しがたい。


「恨んでるのか」

「まさか。……あの人も自分の寿命には薄々勘付いていたはずです。それに、北條小百合として死ねて、彼女も幸せだったでしょう」

「そんなものかね」


 こめかみを掻きながら応える。

 きっと俺の表情はなんともいえないものをしていたはずだ。


「前にも言いましたが、彼女はまだ十代の時に、小さな劇団に所属していたんですよ。その劇団も残っていません。当時の写真もありません。ただ、彼女はやはり家に縛られた身でしたからね。抜けなくてはならなかった」

「日本舞踊だったか。こっちは結構頑張ってたみてぇだが、それでも劇団のほうが楽しかったって?」

「未練があったんでしょうね。納得はさせてきたけれど、癌におかされて自分の死期を考えるようになってから、その未練を断ち切ろうと思ったようです」

「それで……アンタは、婆さんにアバターをかぶせたのか」

「それが彼女の願いでもありましたからね」


 アイはこともなげに言った。


「それに、アバターを纏うほうが簡単なんですよ。最近の動画サイトなんかでも大体そうでしょう?」

「それはそうだが。それにしたって」


 あれは生身の人間とほとんど変わらなかった。カメラを通してもまったくぶれないとは。ここまでの精度のものは無いに等しい。これは一度、アイの研究を洗い直す必要がある。それとも、いまなら見せてくれるのか。


「他の共演者は知ってたのか」

「さあ。映画の中でも直接肌に触れる機会はあったはずですけど、脳のほうが錯覚を起こしていたのかもしれないですね。視覚情報に騙されていたのかもしれません」

「……」


 しれっと言うアイに、底知れないものを感じた。

 それとも、佐野原幸江本来の体力や演技力のたまものだったのかもしれない。


「それより、原稿はどうなったんですか」

「え? ああ……」


 まさかアイから聞いてくるとは思わず、俺は答えに窮した。


「あんたは、それでいいのか」


 正直、どこからどこまで書いたものか悩んだ。本人が死んでしまった以上、一旦伏せておくのがいいのか。このまま暴露すればいいのか。そもそも八十過ぎた老婆がアバター纏って演技をしていなど、果たして信じるのかどうか。だが、まわされた仕事はきちんとやるべきだ。俺はこの事実を特ダネとして公表する権利と義務があるし、おそらくは一大スキャンダルになるだろう。いやスクープか。それを思うと興奮も冷めやらない。原稿も確かに進んだ。これ以上ないほどに。

 アイは驚くほど目を丸くしていた。


「驚いた」

「何がだ」

「あなたにも人の心があったのだな、と……」


 今度は俺があっけにとられる番だった。

 案外、アイはあっさりしているのかもしれない。ばれたらばれたで、その時だと。だからこそいままで隠し通せていたのかもしれない。


「よく言いやがる」


 俺はなにげなく庭に目をやった。

 あの時、公園には確かに北條小百合がいた。月に照らされる北條小百合が。美しいままの北條小百合が。その姿は、いまでも俺の目に焼き付いて離れない。

 庭は澄んだ空気に満ちていた。

 グラスの中の氷が溶けて、からんという清浄な音を立てた。冷たい風が吹き抜け、庭の木々を揺らしていった。

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バーチャル・アクターは眠らない 冬野ゆな @unknown_winter

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