9章 旅は終わらない

第41話 和解(前編)

「これより、王位継承についての決定事項を伝える」


 その言葉に、部屋の中に巡らされた緊張の糸が、ピン、と張り詰めたのを感じました。それでいて、ちらちらとこちらを窺うような視線。王族と、それに近しい人だけが集まっているこの場で、わたしとフレッド君は明らかに浮いていました。

 けれどもわたしは、真っ直ぐと、お父様の顔だけを見つめます。




「久しいな、リリアーヌ」

「……お父様」


 フレッド君に想いを伝えた後、わたしはお父様に呼び出されました。喜びに浸る間もなく、セレスタンお兄様に連れられて国王の執務室を訪ねます。

 実際に呼び出されたのはわたしだけだったようで、部屋の入口に立っていた護衛の人に頑丈そうな扉を開けて貰い、一人で中へ入ります。そしてそこで目にしたものに、わたしは落胆を隠せませんでした。


 お父様の周りには、強固な結界が張られていたのです。強固といっても、魔力や“気”だけを通さないもの。それはつまり、魔力暴走を、忌み子であるわたしを、拒絶しているということに他なりません。


 彼はわたしの入室を確認すると、軽く手を振って、傍にいた護衛を壁の方まで下がらせました。それからわたしとお父様が入るだけの大きさで、音を遮断する結界を張ります。滑らかで無駄のない魔法陣の発動に、彼は魔法が得意なのだな、と感じました。

 そんなことも知らないような仲ですから、気の利いた会話などできるはずもなく、すぐに報告を求められます。小さく溜め息をついて、わたしは旅の出来事を――主に試練に関係する部分に絞って――話し始めました。


「――ということで、“気”にまつわる世界の形について、わたしはかなりの部分を理解できたと思います。言葉で言い表せないことも多いのですけれど……」

「その感覚は、わかる」


 何も疑われることなく同意されて、すぐに納得しました。当然です。お父様がこうして国王として君臨しているということは、同じ試練を、少なくとも一つは達成しているということなのですから。……そうと知らずに達成していた最初の頃のわたしには、そのような感覚などありませんでしたけれど。


「いちばん大切なことは光と闇の循環で、四つ森の恵みはその土台を作るもの。と、いう表現が、近いでしょうか」

「ほう……」

「お父様が教えてくださった通り、確かに最後の試練は忌み子にしか達成できないようなものでした。けれどもそれは、国王の能力として必要とされるものではありません。国王に必要なのは、この土地を豊かにする術をもつ人達と、協力することなのです」

「そなたが、国王の在り方を説くようになったか」


 これまで肯定的な頷きしか返してこなかったお父様が、ここで初めて、冷たく、そして探るような視線を向けてきました。わたしははっとして、首を振ります。


「申し訳ありません。わたし、出過ぎた真似を……」

「いや、構わぬ。……つまりそなたは、セレスタンに協力する形で王族としての務めを果たしたいと、そう望んでいるのだな?」


 確認するようなその質問に、しっかりと頷きます。隠し事など無く、すべて真実であると伝わるように。

 嘘を言っているわけではありませんが、彝見子いみごとしての意味については伏せているのです。価値が暴走するのは避けたいですし、きっとあれは、あの場で見た者だけが知っているべき、そんな言葉に思えたからです。それでも、忌み子の重要さは伝えられますし、どうするべきかの提案もできます。


「はい。わたしには、それこそ忌み子の王族にしかできないような、そんなお仕事がたくさんあると思っています。たとえば国中を回って、神殿の環境を整える、とか」


 勿論これには、欲張りなわたしの願いも含まれています。けれども、丁度良い機会ですから、忌み子の境遇改善もしてしまいたいのです。光魔法を使いにくい土地が出てきている状況では、忌み子の力が役に立つとわかれば、捨てられたり、売られたりする子供も減るでしょう。それなのに。


「それは、セレスタンと話し合いなさい。忌み子に関わることは、私よりもあれの方が良いだろう」


 ……あくまでお父様は、その立場を崩さないのですね。どうして忌み子は、ここまで嫌われてしまうのでしょうか。


 と、お父様は深く息を吐きました。「これ以上は、無理か……」という呟きに、強い悲しみを含ませて。


「どうやら私達は、話し合う必要があるようだ」

「……何を、でしょうか」


 今更、とは続けられませんでした。首を傾げたわたしを見つめるお父様は、とても自嘲的な笑みを浮かべていたのです。


「リリアーヌ。そなたの魔力を、しっかりと持ち続けていなさい」


 そう言うと、彼は結界を解除しました。その瞬間に感じた“気”は。


「――っ!」


 不快さと驚きに立っていることができず、ストン、と床に座ります。忘れられるわけがありません。わたしの魔力と反発し合う、この不快な“気”の感触。


「お、お父様が、禁忌魔法の行使者……?」

「リリアーヌ。今度はそなたが結界を張ってくれるか?」


 歪めた表情で頼まれて、わたしは頷きながら結界を張ります。互いが纏っている死者の魂を感じなくなったことで、二人一緒に安堵の息を吐きます。ゆっくりと立ち上がりながら、お父様の顔を見つめました。今度はわたしが、質問をする番です。


「これ、は……」

「そなたら兄弟の争いよりもずっと、私達のそれは激しく、汚かった」

「……まさか」


 わたしの、「ステラ様……?」という小さな呟きを、やはり、お父様は拾いました。目だけで頷いてみせたその表情は、こちらが苦しくなるほどに憂いを帯びています。

 彼は服の中にしまっていた首飾りを取り出すと、ぎゅっと握りしめました。きっと、そこに……。


「四つ森の詩について私が詳しいのは、ウォルメッツ家の人間である、ステラの協力があったからだ。私の魔法はほとんど、彼女の受け売りだ」


 セレスタンお兄様と、第二王女のヴァイオレットお姉様。二人の母君が、ステラ様です。聡明で美しい魔法使いでありながら、王妃となる前に亡くなった、悲劇の女性として知られていました。


「ヴァイオレットを産んですぐ、彼女が命を落としたことはそなたも知っておろう? 我々の争いに巻き込まれたのだ」

「……」

「魔法使いとして尊敬するとともに、私の妻として、ステラを愛していた。……だが私は、その死すらも、自分が国王になるための駒として、利用したのだ」


 翳りのある表情で、ふっと笑ったお父様。大切な人であったステラ様だけでなく、色々な死を見届けたのでしょう。わたしに、掛けられる言葉はありませんでした。


「そなたは、ダンフォースの一件から私が会わなくなったことを、見捨てられたと感じていたかもしれぬ」


 わたしは小さく頷いて、何とか「……はい」という声を絞り出しました。


「幼い子供に禁忌魔法の真実を伝えるなど、むごいと思っていたのだ。ましてや、我々は王族。そこにかかる意味は、通常とは桁違いであると。……だが、今のリリアーヌを見る限り、それは間違いだったのかも知れぬな」


 眉根を寄せたその表情には、何故か、国王としての威厳を感じませんでした。それが、わたしの胸をぎゅっと締めつけます。

 わたし達は今、初めて、ただの父親と娘として向き合っていました。


 軽く震えている口を、ゆっくりと開きます。


「わたしは、ずっと、勘違いをしていたのですね……」


 ダン君がいなくなってしまってから、わたしはひとりでこの悲しみを背負っているつもりでした。フレッド君に打ち明けたとはいえ、本当の意味では誰にも共有できないのだと、諦めていたのです。


 いつの間にか胸に当てていた左手を、強く握ります。わたし達は、もっと早くに向き合うべきだったと、気づきました。


「ピエリックの婚約者の件も、ダンフォースの件も、私はそなたを糾弾しようと思ったことはない」

「……はい」


 過去の間違いがなくなるわけではありませんが、お父様の考えがわかったことは、良かったと思っています。……けれども。


「ですが、ピエリックお兄様は……」


 当事者となれば、話は別です。ピエリックお兄様は今も、ガブリエラのことでわたしを殺したいくらいに憎んでいるのです。


「あれは少し、事情があるのだ。改めて話すことにしよう。……今後はそなたにも動いて貰うことになるだろう」

「……?」


 瞬きをして首を傾げます。まさかガブリエラの話が、当事者ではないお父様にとってもまだ続いている話と認識されているなんて、思ってもいませんでした。

 それに何やら、きな臭い話のようです。これからは本当に、王族として動くことになるわけで、今になってようやく、その責任がのしかかってくるのを感じました。気を引き締めなくてはいけません。


「そなたらが熱心に勉強していたことは知っていた。本来なら、その力をいつか、東部領の活性化に使って欲しいと思っていたのだ」

「――っ!」


 また一つ、わたしは自分の勘違いを知りました。……わたし達の旅は、ここから始まっていたのです。

 一瞬だけ違う未来を想像し、首を振ります。今となっては、大事な、大事な勘違いです。これからもずっと、そう思い続けるでしょう。


「ともかく、だ」


 わたしも、お父様も……それからセレスタンお兄様も。この国を豊かにしたいという気持ちは同じだったのです。ただ、そのやり方や、できることがそれぞれ違っているだけで……。

 他の兄弟達ともきっと手を取り合える、そんな風に思えました。そのためにまず、わたしがやらなくてはいけないことは。


「私やセレスタンはそなたを認めているのだ。同じように、自分の力で。あの場にいる皆を納得させてみなさい」


 謁見室がある方向を顎で示したお父様に、笑顔で頷きます。


「えぇ、必ず」

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