第37話 忌み子と神殿

 陽が昇る前に目を覚ましたわたしは、ゆっくりと時間を掛けて起き上がり、ほぅ、と息を吐きました。何とか時間通りに起きることができて、ほっとしたのです。


 と、扉をノックする音が聞こえたので、「どうぞ」と入室を促します。

 入ってきたのは王城に仕える侍女が数名。皆無表情で、わたしを警戒しているのがわかります。……どちらかというと、逆であるべきなのでしょうけれど。


「リリアーヌ王女殿下、おはようございます」

「おはようございます。起こしてくださって、ありがとうございました」


 それでも、笑顔で答えます。こんな時間に起きることができたのは、他ならぬ、彼女達のお陰なのですから。


 禁忌魔法行使者であることを公言したので、寝起きの悪さについても相談したのです。わたしとしては、旅の道中と同じようにフレッド君に頼んでも良かったのですけれど、誰にも賛成して貰えませんでした。

 代わりに提案されたのが、魔法具を使うという方法。

 溜めておいたわたしの魔力で簡単な魔法を発動させるという、あまり面白味のないものでした。


 ……今考えると、それで良かったのでしょう。

 昨日のことを考えると、また顔が熱くなってきました。同じ部屋にいたらきっと、寝付けなかったに違いありません。


 それにしても、人に着替えさせて貰うのなんていつ振りでしょうか。何となく落ち着かない気分で、飾り気のない白い服――神殿の、正式な儀式で着るための服に袖を通します。


 あまり良い思い出のない服です。忌み子の赤い髪が目立って、周りの、蔑むような視線が余計に増えるからです。けれども、今は……。


「……」


 鏡に映る自分は、当時と変わらない赤を、その身に纏っていました。あの絶望の日と同じ、夕焼け色の赤。

 けれども昔とは違い、顔の横で青い耳飾りが光っています。その輝きを強く感じるのは、わたしが彼を、昨日のことを、意識しているからなのでしょうか?

 その考えを振り払うように首を振ると、揺れる青が髪の赤と混ざります。それは、わたしに別の思い出を見させてくれるようでした。




 神殿へ向かうと、門の前でセレスタンお兄様が待っていました。男性とはいえ、さすがに許可が出ているようです。一緒に中へ入ります。特に話すこともなく、地下にある星空の部屋の前に到着すると、彼は足を止めました。


「ここから先は君一人だけだ。やることはわかっているな?」

「はい、大丈夫です」

「私はそこの部屋で控えている。何かあれば知らせなさい」


 そう言って、彼は下りてきた階段の横にある扉を指さしました。わたしはその言葉に驚きます。


「え……セレスタンお兄様が、いてくださるのですか?」

「当然だ。君を国王にと望んでいるのは、私なのだから」

「……っ!」


 喉の奥がぐっと痛みました。その痛みの理由がわからず、笑顔を作ることで飲み込みます。

 国王になりたくないという自覚はありますが、それは、自分には到底務められないとか、忌み子が国王になるなんて誰も望まないだろうとか、そういった消極的な否定なのです。……こんな、悲しい痛みを伴うようなものではないはずなのです。


 それでも、わかってしまいました。セレスタンお兄様のこの瞳。

 明日の朝を迎えれば、わたしはきっと――。


「……」


 ……深く考えないためにも、早速扉を開けます。


「あまりのんびりしていると、光と闇の逢見時が過ぎてしまいますね」

「そうだな」

「では、行ってまいります」


 星空の部屋は光属性の魔力に満ちていて、相変わらずよくわからない、魔法陣の欠片が浮かんでいました。

 その美しさを少しだけ堪能してから、壁際に置かれた布袋と水瓶、毛布に目を向けます。これから丸一日、星空の部屋で過ごすのです。袋の中には柔らかそうなパンがたくさん入っていました。


「こんなにたくさん、食べられるでしょうか……」


 しょうもないことを考えながら、ずるずると部屋の真ん中まで引きずります。それから、毛布を広げて寝そべりました。

 天井へ向けた視界いっぱいに魔法陣の欠片が広がり、こうして見ていると、本当に星空みたいです。


 一瞬の迷いの後、左手を胸に当てます。


「……」


 大きく息を吸って、吐きました。それからもう一度吸って、言葉を紡いでいきます。



 光と闇の逢見時

 四つ森が東、その猛を賜らんことを

 四つ森が西、その情を賜らんことを

 四つ森が南、その技を賜らんことを

 四つ森が北、その知を賜らんことを

 我の祈りとともに、地の恵みをお返しいたします



 魔力を吸い取られていくのがわかりました。それはごく少量ずつでしたが、魔法陣の欠片はまるで生きているかのように、わたしの魔力を吸い込み、自らを満たしていきます。

 そして順番に、欠片の隙間を埋めるべく部屋の中を動き回り始めました。


「青き優美は流れるままに佇み、逆さの盃へと沈む――」


 続けて口にしたのは四つ森の詩。一行諳んじるごとに、わたしの血や魔力が、辺りの“気”が、ぐるぐると動き出すのを感じました。

 魔法陣の欠片は、しっかりとその番うべき対象を見つけ、次々と発動します。


 浮かんでは発動し、消える。浮かんでは発動し、消える――。


 寝そべっているわたしには、自分が地の底へ落ちていっているのではないか、という感覚さえありました。


 発動した魔法は勿論、光魔法です。この国を満たすための、根源の魔法群。

 けれども、わたしの魔力を吸い込み、何度も何度も発動する様子を見ているうちに、これだけでは国を満たせないと、魔法が足りないということに気がつきます。


「まさか……」


 けれどもそれは、あまりに突飛な考えで。確信が持てず、今はとりあえず、陽が沈むのを待つことにしました。


 勝手に流れる魔力と、発動する魔法。

 もはやわたしにできることは何もなく、空腹を感じたところでパンに手を伸ばします。




 うつらうつらとしながら、五の鐘の音を聞きました。

 それから少し経つと、吸い込まれる魔力が減っていくのを感じます。そろそろ陽が沈むのでしょう。


 光と闇の逢見時といえば朝の印象が強いものですが、実際には朝夕どちらも当てはまるのです。

 お父様からの指示には、暮れの逢見時についても記されていました。夕方に儀式を行うのは初めてで、何だか緊張します。


 完全に魔力の流れが止まったことを確認し、新しく言葉を紡ぎます。



 光と闇の逢見時

 四つ森が東、その猛を見奉らんことを

 四つ森が西、その情を見奉らんことを

 四つ森が南、その技を見奉らんことを

 四つ森が北、その知を見奉らんことを

 捧ぐ我の血に、地の恵みをお借りいたします



 ここで発動したのは、闇魔法でした。光の魔法陣の残骸に重なるような、そして包み込むような、美しい構造を感じます。


 とても優しくて、強くて、それでも無駄の一切ない、理想的な光。


 知らず知らずのうちに、涙を溢してました。

 ずっと求めていたこの魔法陣を、その意味を、知ることができたのです。


 それは、この世界の秘密。


「……こんなにも、簡単なことだったのですね」


 発動した跡に溜まり始めたのは、光属性の“気”でした。……このように溜まっているところを見たのは、今までに一度しかありません。


 この世界に足りなかったのは、闇魔法……!


 光魔法は闇属性の“気”を、闇魔法は光属性の“気”を生み出す――。

 “気”と魔力が延々に巡るという世界の認識、その真意は、ここにあったのです。


 思えば、このことに気づくための手掛かりには、とっくに出会っていました。


 あの洞窟で、光属性の魔力を求めていた、悪魔。

 土の民の村で歌われていた、不思議な魔法。

 そして、反復し続ける光と闇の構造。


 なんて皮肉な話なのでしょう。確かに闇魔法は危険なものが多いですが、こんなに大事なもの――光属性の“気”を生み出すもの――だというのに、ここまで避けられてきたなんて。薄く笑いながら、止まることのない魔法の発動を眺めます。


 それから、パンを食べたり、眠ったりしながら魔力を流し続け、わたしはようやく、二の鐘の音を聞きました。


 ……確かに、これは忌み子にしかできませんね。


 光と闇の逢見時の訪れとともに、全身の血が熱を持ち、試練を達成したことを実感します。

 それと同時に感じたのは、魔力の残量に対する呆れです。こんなに減ってしまっては、起き上がることすらできません。自然な回復力しか認められていないのですから、当然といえばそうなのですけれど。


 重い瞼をこすり、そっと開きます。と、その目に入り込んできた光景に、「へ?」と間抜けな声が出ました。


彝見子いみご――世界の常を知る者よ。根源たる光闇を廻せ。この地を巡る、生命の力を。強き魂を。四つ森の恵みと、天地の慈悲を以て、全てを満たせ。その声を、統べき者にもたらすことを』


 魔法陣の残骸が並び、このような意味を作っていました。試練とは関係なく、血の気が引きます。


 これは忌み子の、本来の役割……? 長い歴史の中で歪められてしまった、本当の、あるべき姿。本当に重要なことは。


 膨大な魔力によって、“気”を巡らせ、豊潤な土地と成すこと。

 世界の形を知り、それを統治者――国王に捧げる、ということが……。


 つまり。


「わたしが国王になる必要は、ない……?」


 たどり着いた結論に、寝そべった状態から、更に力を抜きました。セレスタンお兄様は、試練の達成についてあのように言っていましたが、それはほんの、表面だけで。


 二つの未来を思い浮かべます。

 一つは、セレスタンお兄様に望まれた、国王となる道。

 一つは、王女の地位を捨て、旅を再開する道。


 今そこに、新しい意味が加わろうとしていました。


「リリアーヌ?」


 と、部屋の外から、わたしを呼ぶ声が聞こえてきました。セレスタンお兄様です。

 心配するような声色に、二の鐘から随分と時間が経っていることに気がつきます。魔力が足りないのです、と言えば、彼はすぐに納得して部屋に入ってきました。


「セレスタンお兄様……」


 彼の顔を見て、わたしは実感しました。実感、せざるを得ませんでした。


 わたしが国王になったとき、後ろ盾として支えてくれるのはセレスタンお兄様でしょう。それはとても心強くて、彼の実力を知っている人からすれば、とんでもない贅沢だと言われるはずです。それでも。


「わたしに、フレッド君とお話をする時間を、くださいませんか?」


 後ろはフレッド君に任せれば良い。

 氷炎獣を前にしたときの、フレッド君の言葉を思い出します。いつの間にか、こんなにも彼を頼りにしていたなんて。

 ……いいえ。わたしはきっと、最初からフレッド君を頼りにしていました。そんなことにも、ずっと気づけないでいたのです。

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