第36話 夕焼け色に染まる

 その命令が届いたのは、王都に帰還した次の日のことでした。一年ぶりの我が家――と言っても、王城の庭園に造られた小さな離れですが――で、フレッド君とお茶を飲んでいたのです。使いの人に渡された封筒は、王族にしか開けられない厳重な封が施されていて、首を傾げます。


「お父様から、ですね」

「……国王が?」


 フレッド君は警戒するように封筒を覗き込み、それから過ぎた行動だったと思ったのか、慌てて身を引きました。


「外した方が良いか?」

「今更ではありませんか。それに、これを一人で読むのは不安です」

「不安ってなぁ……」


 そう言いつつも、椅子に深く座り直す彼を見て、ふふ、と笑みを溢します。


「覚えている限り、お父様から接触してきたことはないのです。それに、この封。ただ事ではありませんよ」


 王家に伝わる魔法陣を使って開封すると、中には折り畳まれた手紙が入っていました。わたしはお父様の筆跡を知りませんが、綺麗に並んだその文字を見て、これが代筆ではないことを確信します。それ以前に、あの封を使っている時点で、代筆であるという可能性は考えにくいのです。


 書かれていたのは、長旅を労う言葉と、試練――それも、六つ目の正しき道についてのお話でした。……セレスタンお兄様が知らないのも無理はありません。というよりも、どのようにしてお父様がこの情報を知り得たのか、不思議なくらいです。


「……忌み子でなければ、達成できないものだったのですね。忌み子と神殿に、そんな関係があったなんて」


 他の五つを達成した後、忌み子だけが立ち入ることのできる領域なのだと、ここには書かれています。わたしは、既に自分がその条件を満たしていることに、薄ら寒いものを感じました。


「この、神殿の地下室っていうのは何だ?」

「フレッド君にも詳しく話すことはできない……いえ。そもそもわたし自身が、どういうところかわかっていないのですけれど。神殿には、魔法的に重要で、不思議なお部屋があるのです」


 ふーん、とわかっていないような顔で何度か頷いた後、フレッド君はぐっと口を結びました。


「それにしても、明日か……」


 そう呟いた彼は、どことなく焦っているように見えました。


 ――明日の朝、光と闇の逢見時に、すべてを終わらせなさい。

 その言葉を、指でなぞります。これは、国王の命令なのです。……わたしにだって、断ることなどできません。


「確かに、急なお話ですけれど。それに、本当にただ事ではありませんでしたけれど……。少しだけ、楽しみにも感じているのですよ」

「……?」

「あの部屋の魔法陣を、いつか発動させられたら良いと、ずっと思っていましたから」


 本当に楽しみだと思いながら微笑むと、フレッド君は呆れたように溜め息をついて、立ち上がります。いきなりのことに、「どうしましたか?」と尋ねると、彼は静かな目を向けてきました。


「少し用事を思い出した。……そうだな、五の鐘が鳴った後くらいに、また来る」

「はぁ、それは構いませんけれど……」

「話したいことがあるんだ。外に出るつもりだから、暖かい格好をしておいてくれ」


 その言い方が面白くて、わたしは、ふふ、と笑いました。


「わかりました。また夕方に」




 言われたとおりに服を着込み、わたしは本を読んで待っていました。五の鐘が鳴って少し経ってから、扉をノックする音が聞こえてきます。


「待たせた」


 扉を開けると、当然そこにはフレッド君がいて、わたしはしっかりと暖かい格好に着替えていることを確認されました。それから差し出された手を取り、外へ出ます。


「どこへ行くのですか?」

「行けばわかる」

「そうですけれど……」


 教えてくれても良いではありませんか、と口を尖らせると、彼は何だか得意げに鼻を鳴らし、口の端を持ち上げました。その意地の悪い笑い方は久し振りで、思わず頬が緩みます。


 北部領のように雪が積もっているわけではありませんが、冬の終わり、陽が傾き始める時間です。冷たい風に身を震わせると、繋いでいた手がぎゅっと握られます。


「悪いな。外に連れ出して」

「いいえ、部屋を暖かくしすぎていたのです。……あれ、この先は図書館ではありませんか?」


 王城から程近い路地、そこから続く石畳の階段。あまりにも見慣れた道に、首を傾げます。けれどもフレッド君は何も言わず、わたしの手を引きました。去年までと同じように図書館の中へ入り、階段を上ります。一般的な本が置かれている一階、専門的な内容の本が多い二階、そして管理が難しい巻物など、古い書物が保管されている三階……。


「まだ上に行くのですか?」


 この上には何もないはずです。足を止めると、フレッド君は少しだけ頭を傾けて、肩を竦めました。


「だから、外に出るつもりだと言っただろう?」


 一番上には、扉がありました。そこから外に出られるようになっているらしく、わたし達は建物の上に出ます。


「こんな場所があるなんて、初めて知りました」

「外で本を読む奴なんていないからな。俺は何度も来ているが、誰かに会ったことすらない」

「わたしに教えてしまって良かったのですか?」

「隠しているわけじゃない。それに……」


 欄干のところまで行くと、その景色は素晴らしいものでした。王都の、綺麗に区分けされた建物が並ぶ様子や、遠くの山々まで見渡せます。空は赤みを増し、もう少しすれば、わたしの髪と同じ色になるはずです。


「綺麗な景色ですね。これを?」

「あぁ、お前はこういうの好きだろう?」


 頷くと、沈黙が降ります。……フレッド君は、話したいことがあると言っていました。


「リルは、国王になりたいのか?」

「……皆、そのことばかり聞いてくるのですね」


 ようやく切り出された話に不満の目を向けると、彼は申し訳なさそうな、それでも譲れないといった風な表情をしました。


「今ここで、お前の口から聞きたいんだ」

「答えは変わりませんよ。国王になるつもりなど、これっぽっちもありません。なりたく、ないのです」

「……だが、このままいけば確実に、お前は国王にさせられるぞ」


 溜め息混じりに呟かれた言葉に、うっ、と息を詰まらせます。明日、ただ一人、四つ森の詩の試練を達成するわたしには、返す言葉もありません。


「セレスタン王子があの場で言った言葉の意味を、わかっているだろう?」

「氷炎獣を討伐した時の、ですよね」


 はっきりと、わたしが第三王女であることを知らしめ、その実力を認めるような発言。それを第一王子であるセレスタンお兄様が言ったという事実を、その重さを、改めて認識します。

 フレッド君は息を吐きました。それは溜め息というにはとても長く、意図があるようにもとれます。


「……リル」


 次にわたしを呼んだその声は、とても低いものでした。けれども、ニースケルトの海での時とは違って、そこに怒りは感じません。これは、緊張して、いる……?

 珍しいと思いその目を見つめると、フレッド君も同じように、じっと見つめ返してきました。


「リル。俺は、お前が好きだ」


 ひゅっ、と息が勝手に吸い込まれ、胸が大きな音を鳴らしました。言われた言葉に理解が追い付かず、何度か瞬きをします。


「え……と?」


 何とか絞り出した言葉はそれだけで、わたしは情けなさに口を歪めました。


「……一応言っておくが、これは男が女に向ける意味だからな」

「わっ、わかっています!」


 さすがにわたしにだって、こんな誰もいないところで、あんな口調で言われれば、その意味くらいわかります。でも、それでも……! 恥ずかしくて、熱く、赤くなっているであろう頬を両手で押さえます。


「考えたら、ずっとそうだったんだ。……自覚したのは、旅に出てからだが」


 フレッド君はそう言うと、何かを思い出すかのように目を細め、自嘲気味に口の端を持ち上げました。


「自分の置かれている状況なんて気にせずに、好きなことに熱中する姿。強くなるために、こちらが引くような努力を続ける姿。誠実であろうとする考え方。……実は、優しいところ」

「実は、って」


 少しだけ口を尖らせると、彼はその反応を楽しんでいるかのようにこちらを見ます。


「旅をしている時だって、平民を装っているはずなのに、お前はいつもこの国に、国民達に、心を砕いていた。この国はお前に、何一つ優しくないのにな」

「……」

「あぁ、それに何より。……お前が楽しそうに笑う姿が、好きだ。ずっと見ていたいと、守っていきたいと――」


 そこで言葉を切り、フレッド君は遠く、陽の沈み始めた空に目を向けました。


「旅を続けてさえいれば良いと、そう思っていた。実際お前は、元々帰るつもりなんてなかっただろう?」

「……そう、ですね」

「だから、言わないつもりだった。そもそも、元エストが王女に抱いて良い感情ではないしな。……だが状況は変わった」


 彼が視線を落とした先に、わたしの手が、その指にはめた指輪があることに気がつきます。静かに息を吐いたのは、わたしでしょうか、それともフレッド君でしょうか。


「お前の心に、ダンフォースがいることはわかっている。だから俺は、その気持ちごと守るつもりでいる」

「……フレッド君?」


 言葉とは裏腹に、明らかに寂しさを滲ませている声色。胸が痛みました。わたし、わたしは――


「今は答えなくて良い。気づいたら国王にさせられてたなんてことにならない限りは、な」

「怖いこと言わないでください!」

「割とあり得る話だぞ? だから、困ったら俺を使えよ。……俺と一緒になれば、絶対に国王にはなれないんだから」


 はっと目を見開きます。確かに、貴族でない人間が国王の伴侶になることはあり得ません。その逆だって、同じなのです。今は答えなくて良いと言いながら、それとなく退路を断とうとしてくるやり方に、苦い笑みが零れます。本当に、フレッド君という人は……。


「ず、狡いです……」

「今更だろう?」


 そう笑った彼は、いつもの意地悪い表情に戻っていました。いつもと違うのは、その顔が少し、赤みを帯びているところでしょうか。……それだって、この広い夕焼け空を映しているだけ、なのかもしれませんけれど。


 行きと同じように、フレッド君に手を引かれて王城へ戻りましたが、今度は終始無言でした。……こんなに緊張したのは初めてです。身体中を流れる血がどくどくと音を立てていて、指先のそれがフレッド君に伝わってしまわないか、心配になります。

 けれども彼は何も言わず、最後まで送り届けてくれました。ぽん、と頭に置かれた手は、そのままくしゃりとわたしの髪を撫でます。


「じゃ、明日は神殿、頑張れよ」

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