第32話 わたしの指輪(前編)

「指輪の話をするためには、まず、騎士団長の息子さんについて、説明しなくてはいけませんね」

「……息子? 娘じゃないのか? 手合わせしたことがある」


 フレッド君は訝しげにそう言いましたが、それには答えずに続けます。


「ダンフォース・シャ・アントゥラス。わたしは、ダン君、と呼んでいました。彼はわたしと同い年で、生まれてすぐ、わたしの婚約者となった人です」


 彼の表情が固まったことに気がつき、目を伏せます。その先にあったペン先型の指輪が、霞んで見えました。


「フレッド君が知らないのも無理はありません。ダン君は生まれつき病弱で、そう、騎士団長の、アントゥラス家の子供としては、外に出せなかったのです。そんなダン君と、忌み子として疎まれていたわたし。周りからはお似合いだと、よく言われていました」

「……酷い話だ」

「ふふ、そう思うでしょう? けれどね、わたし達はとても上手くやっていたのですよ。ダン君が婚約者で良かったと心の底から思うくらいに」


 表情の読めないフレッド君に、わたしはダン君との出来事を話し始めました。神殿を出た後、わたしがそれなりに魔法を上手く使えるようになってからのお話です。




 ダン君は熱を出すことが多く、基本的に部屋から出ないで過ごしていました。ですから、わたしは城の図書室から本を持ち出しては、彼の部屋に遊びに行くことを日課としていたのです。


「ダン君、ごきげんよう! 今日は兵法の解説書を持ってきたわ」

「おはよう、リル。また随分と、難しそうな本だね」

「ふふ、それでも君は簡単に読んでしまうでしょう? それに――」

「うん。父上のお役に立つためには、これしかないからね。リルも、手伝ってくれる?」

「勿論よ」


 それから二人で本を読み進めては、騎士団の動かし方について、あれやこれやと意見を交わしました。と言っても、魔法の勉強ばかりをしていたわたしには難しいことばかりでしたし、本当に、ままごとの延長みたいなものだったのです。

 けれども、元から頭の良かったダン君はいつも真剣で、自分ができることを真面目に伸ばしていこうとしていました。……剣を持つことができなくても、ペンとその頭脳で、騎士団の、この国のために働くことができるように。わたしはそんな彼を尊敬していましたし、婚約者として、これ以上ない素敵な人だと思っていたのです。


「……リル、また魔力暴走したんだって? 駄目だよ、リル。無茶したら」

「あら、無茶なんてしていないわ。魔法の練習をしていただけよ」


 ある日、いつもと同じように本を読みながら勉強をしていると、ダン君はそう話し掛けてきました。わたしが無茶をしたときは決まって、「駄目だよ、リル」と怒るのです。


 その頃のわたしは、とにかく難しい魔法を覚えようと必死になっていました。ダン君の役に立ちたいというのもありましたが、何よりわたし自身が、自分の身を守るために必要だと、そう感じていたからです。フレッド君も知っているでしょう? 王城庭園の外れにある、わたし専用の小さな離れ。この頃から使っていたのですよ。


「あのね、僕が心配なんだ」


 けれどもダン君はわたしの肩に両手を置いて、真剣な顔でそう言いました。それとなく視線を逸らすと、彼はその先に回り込んできます。あまりダン君を動かしてはいけないと思い、観念して目を合わせると、まるでそのことがわかっていたかのように微笑むダン君。とても恥ずかしくて、わたしはつい言い訳をしてしまうのです。


「だ、ダン君だって、具合の良くない時まで勉強をしているじゃない」

「頭を使う分には問題ないから。知ってるよね、リル?」

「わ、わかっているわよ……」

「だから、ね? 本当に無茶はしないで欲しいんだ。……この前なんて、飛行魔法で飛び回りながら、庭園中の花に水をやっていたでしょ? 空中で暴走させたらどんなに危険か……」

「ここから見られていたのね。でも、考えてみて。大勢の騎士団が負傷した時に、上から治癒魔法を掛けられたら素敵じゃない? それから、魔物の群れが来ても、空から大魔法を使うことができれば、一気に終わらせることができるわ」




「ちょっと待て。飛び回るってお前、そんな簡単に飛行魔法を使っていたのか?」


 もっともな疑問に、フレッド君が話を遮りました。確かに、今のわたしにそんな芸当はできませんからね。にこりと笑ってこう答えます。


「そのことについても、これから話しますよ」




「……リル。やっぱりまだ、ピエリック王子殿下のこと、気にしているの?」

「……何のことかしら」

「誤魔化さなくて良いよ。酷い無茶をするようになったの、ガブリエラのことがあってからだって、わかってるから」

「……」


 ガブリエラというのは、ピエリックお兄様の婚約者、だった人です。彼女は、少し前に亡くなったのです。……わたしの、魔力暴走に巻き込まれて。

 今でも思い出します。目の前で奪ってしまった命が、消えていく瞬間を。死者の魂が、ゆっくりと“気”に溶けていく感覚を。


「リルは自分が悪いのだと言い張ったけれど、どうかな? 知ってるよ。リルは、近くに人がいるときは大きな魔法を使わないって」

「……」

「だから、目の前に人がいるような状況で魔力暴走を起こすなんて、僕はおかしいと思っている。何か、あったんじゃないの?」

「何があったとしても、わたしの魔力暴走に巻き込んでしまったことに、変わりはないわ」

「……だから、無茶をしてでも練習を続けるんだね。もう、魔力暴走を起こさないように」


 わたしは、口をぎゅっと結んで、小さく頷きました。

 彼が、ダン君がわたしの良き理解者であったことは言うまでもなく、そのことに、安心しきっていたのもまた、事実でした。


 ダン君の調子が良い日には、庭園を散歩することもありました。それは本当に稀なことですが、「騎士団長の息子が、動けるのに動かないなんて、みっともないからね」、そう言ってダン君は笑うのです。

 けれどもその日は止めるべきだったかしらと、わたしは今でも考えることがあります。……どちらにしても、それを知るのが早いか遅いか、それだけの違いなのですけれど。


「聞いたか? 第三王女と団長の息子、城から出されるらしいぞ」

「あぁ聞いたぞ。大臣も、穀潰しが二人ともいなくなるのは助かると言ってたな」

「違いない。国王は本当に、聡明なお方だ」

「確か東部領の、小さな山に離れを作るんだったか。これを最後に無駄な金が使われなくなるなら、良いものだ」


 それは、生け垣の向こうから聞こえて来た騎士達の言葉でした。本来なら王女に対する暴言を吐いたとして捕まるようなことですが、何しろその王女というのは、忌み子として忌避されているわたしです。忌み子に対しては何を言っても構わないと、そんな空気が王城には流れていました。この時はよく落ち込んでいたものです。その度に、ダン君に慰められて。……けれども、これは。


「……城から、出される? 僕達が?」


 その話は、ダン君にとっても辛いものでした。彼はお父君――騎士団長の、そしてこの国の役に立とうと努力してきたのですから。あの貧しい東部領に住むことになれば、その頑張りが報われません。今でこそ、何かできることがあると考えられますが、その時は二人とも、絶望したのです。


 それからしばらくの間、わたし達はすっかりやる気をなくしていました。ダン君は寝込むことが増え、わたしも魔法の練習を休む日が続いたのです。図書室で本を借りることもなく、ぼぅっとダン君の部屋で過ごす日々。

 しかしある日、その無気力状態は突然終わりました。手ぶらでダン君の部屋を訪れると、彼は久し振りに明るく笑ってわたしを待ち構えていたのです。


「リル。僕達は、旅をしよう!」

「……旅?」

「そう」


 思わぬ提案に、一瞬戸惑います。そしてすぐ、一番の問題点に気がつきました。


「わたしは良いけれど、君はそんなに動いたら駄目でしょう?」

「東部領にいたって同じだよ。聞いたでしょ? 無駄なお金を使わないようにするんだから、きっと自分達だけで何でもすることになる。どうせ追い出されるなら、旅の方が良いよ。綺麗な景色をたくさん見て、美味しいものをたくさん食べるんだ。どうかな?」


 ダン君の言葉が、すっと心の中に入ってきました。


 その提案は、とても魅力的でした。何しろ、わたし達が見てきたのは、いつだって殺風景な部屋と、美しいとはいえ、とうに見飽きた城の庭園。わたし達が食べてきたのは、豪華でも、後回しにされたことがわかる冷え切った食事だったのですから。

 そしてそれが、大好きなダン君となら、どんなに楽しい旅になることでしょう。


「そう……そうね。良いわ。わたし達、旅をしましょう」

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