7章 過去と現実

第31話 四つ森の詩

 すぐに王都へ帰るものかと思っていましたが、送還されたのは拘束したピエリックお兄様の一行と、ルク君だけでした。

 セレスタンお兄様は、わたし達にこの街に残るよう指示し、役場の貴賓室に荷物を移動させたのです。


 幸いなことに、フレッド君の怪我は出血こそ多いものでしたが、深くはありませんでした。止血が終わる頃には目を覚まし、寧ろ、傷を縫うために多めに麻酔が必要になったくらいです。


 セレスタンお兄様は、何故かわたしの後ろに付き、その治療の様子をじぃっと眺めていました。彼に隠すことなどありません――というより、この状況で何かを隠せるわけがありません――し、気にせずに続けます。

 薬草を煎じている時は、興味津々といった様子で身を乗り出してきましたが、特に何かを聞かれることはありませんでした。


 覚えている限り、セレスタンお兄様がわたしに冷たく当たったことはありません。それはとても珍しいことで、異質、と言っても良いくらいでした。……まぁ、その筆頭であるわたしが言うのも、何ですけれど。

 現国王であるお父様はわたしに無関心でしたし、お母様には物凄く嫌われていました。それは他の姉弟や王城で出会ったほとんどの人も同様で、たった一つの拠り所を除いて、あそこに居場所など無かったのです。

 正直、セレスタンお兄様が何を考えているのかわからず、どう接したら良いのか悩んでいたくらいでした。


「お疲れ様、リリアーヌ。さすがだ」


 治療が終わると、セレスタンお兄様はそう労ってくれました。曖昧に頷きつつ、フレッド君の体内に残る麻酔薬を魔法で薄めます。「おはようございます」と声を掛けると、ふわりと視線をさまよわせたのも一瞬、勢いよく飛び起きました。

 ざっと姿勢を正そうとする彼を、慌てて止めます。


「駄目ですよ、フレッド君。傷を縫ったばかりなのですから」

「そう、言われましても……」


 丁寧な言葉遣いに、目を伏せてしまいそうになりました。それでも何とか堪えて微笑むと、セレスタンお兄様が小さく息を吐きます。


「フレッド。リリアーヌが悲しむから、彼女に対してはいつも通りにしてくれないか。私が、許可をする」

「承知いたしました、セレスタン王子殿下。……リル。ありがとう」

「いいえ。それに、本当に助けてくださったのは、セレスタンお兄様ですよ」


 フレッド君と一緒に改めてお礼を言うと、セレスタンお兄様は薄く笑いました。それからわたしの顔の横で目線を止め、少し驚いたように口を開けます。


「それは……フレッドからか?」

「えぇ、そうです。とても綺麗でしょう?」


 自慢するように耳飾りを揺らしてみせると、彼の表情が固まりました。何かおかしなことを言ったかしらとフレッド君を見ると、いつもなら絶対に溜め息をついているであろう呆れ顔で肩を竦めています。

 再び動き出したセレスタンお兄様は、どこか探るような視線でわたし達を見ました。


「セレスタンお兄様?」

「……あぁ、いや。気にしないでくれ」

「……?」

「それより、リリアーヌ。君には、手伝って貰いたいことがある」

「お手伝い、ですか」

「そう。資料館にはもう行ったのだろう? あそこに何があるのかも、知っているな?」


 随分と急な話に、わたしは首を傾げます。それでも肯定の意を示すと、彼はすっと立ち上がりました。


「なら詳しい説明は不要だな。さぁ、行こう。……フレッド。君はどうする?」

「お供いたします」


 フレッド君はそう即答すると、ゆっくりとベッドから起き上がりました。そのままこちらに手を差し出すので、その手を掴みつつ、尋ねます。


「無理、していませんか?」

「これが無理と言うなら、いつものお前のは何だろうな」




 閉館時間はとっくに過ぎていましたが、さすがは王族の力といったところでしょうか、館長さんは快く通してくれました。人払いをしたので、中へ入るのは三人だけです。

 常光石の照らす螺旋階段を上り、屋根のすぐ下、石板の前に立ちました。


「やはり、既に魔力を流していたか。なら、君が発動させる方が良さそうだ」


 セレスタンお兄様はそう言って、わたしの肩に手を置きました。

 フレッド君と繋いでいた手を離し、深呼吸します。朝とは違い、不安で胸がいっぱいでした。何か、とんでもないことが始まろうとしているのだと、直感が告げているのです。


「わからないところがあれば聞いてくれ。私も一緒に、このカラクリを解こう」

「頼りにしています、セレスタンお兄様」


 最初の内は、カシェカルの図書館にあった魔法具に似た、それよりも少し複雑な構造が続きました。けれども、魔力を流していくうちにその難易度は跳ね上がっていき、何度も行き詰まります。

 セレスタンお兄様が驚くのにも構わず、わたしはその場に座り込み、壁に身体を預けました。そうしないと、魔力を操作することもままならなくなりそうだったのです。


「ここは、風属性と土属性をこう、交互に……」

「もしかして、エステリーチェの地理と重なるのでは……」

「その記号の組み合わせはできなかったはずだ……」


 その挑戦は、七の鐘がなってもまだ、続きました。

 二人が持てるだけの知識を総動員し、ようやく最後の仕掛けに辿り着いた時には、わたし達はへとへとになっていました。いつでも王族らしさを失わないセレスタンお兄様までその様子なのですから、いかにこの魔法陣が複雑だったのかがわかります。


「これで最後ですね」

「まさか、ここまで大層なものだったとは。正直、私一人では発動できなかっただろう」

「それはわたしも同じです。えっと、それで……うーん?」


 その仕掛けに、わたしは唸り声を上げました。今までとは明らかに毛色が異なる構造だったのです。


「円……ではなく、二つの弧、でしょうか。このような記号は、見たことがありませんね。……セレスタンお兄様は、何かご存じですか?」

「いや、知らないな。ここまで単純なものなら、見たことがあってもおかしくはないはずなのだが……」


 と、今までずっと黙って見ていたフレッド君が、手を挙げて発言の許可を求めました。セレスタンお兄様が頷くと、彼はわたしの顔を見てから、階下を指さしました。


「弧と言ったら、あの資料に書いてあった話じゃないのか? 二つの弧……今流れている“気”の形と、この盆地の形、とか」

「……」


 一瞬、沈黙が流れました。


「それです!」


 立ち上がろうとして、バランスを崩し、その場に転びました。手を中途半端に伸ばしたセレスタンお兄様に苦い笑みを返し、座り直します。


「ひっくり返す、反転の魔法ですよ! 考えてみれば、あの“気”をこちらに流すような構造はこれまでにありませんでした。さすがです、フレッド君!」

「なるほど。『逆さの盃へと沈む』……か」

「……え、と?」


 小さく呟いた言葉がよく聞き取れずに首を傾げると、セレスタンお兄様は優雅に口の端を持ち上げました。


「リリアーヌ」


 それが発動の合図だと気づき、頷きます。


 ……反転の魔法。これまでの構造を繋ぐように、包み込んで。

 すべてを、ひっくり返すように。


「あっ」

「ぐぅっ」


 “気”が降りて来た――そう感じた瞬間、全身の血がかぁっと熱くなり、痛みました。それはセレスタンお兄様も同じだったようで、二人で蹲ります。

 けれども、フレッド君が駆け寄って来てくれた時にはもう、その熱さと痛みは引いていて、セレスタンお兄様は「大丈夫だ」と言いながら立ち上がりました。そして、役場の部屋に戻ろうと促します。




「リリアーヌ。悪いが、強力な結界を張ってくれないか。魔法的にも、物理的にも内外の行き来を遮断するものだ」


 わたしとフレッド君が滞在する貴賓室に入るなり、セレスタンお兄様は真剣な口調で言いました。使用人にお茶の用意だけ頼み、人払いをします。

 その様子で、とても重要な話があるのだと、そしてそれが先程の魔法と関係があるのだと、理解しました。


「あの、私は……」


 居心地が悪そうにフレッド君が問いかけると、セレスタンお兄様は意地悪い笑みを浮かべます。


「ここに残って話を聞くか、首を刎ねられるか、どちらかを選んでくれ」

「ちょっと――」

「残ります」


 ……一体、何が始まるというのでしょうか。


「これから話すのは、王位継承に関わることだ」


 わたし達の表情をじっくりと見つめながら、セレスタンお兄様はそう切り出しました。


「最初に聞いておくが、リリアーヌ、君は国王を目指しているわけではないのだな?」

「えぇ、勿論です。そんなこと、考えたこともありませんよ」

「……そうか。では、この詩のことは知っているだろうか」


 そう言って彼が諳んじたのは、このような詩でした。



 青き優美は流れるままに佇み

 逆さの盃へと沈む

 割れぬ鏡に映る姿は

 深淵を包む恵みの環 


 悪しき道にその身を置き

 常なる道理を指し示せ――――



「聞いたことがありません」

「王家に伝わる、『四つ森の詩』だ。と言っても、これ自体は極秘ではない。王城でそれなりの地位に就いている者なら、知っているようなことだ」


 ……それを知らないわたしは、余程疎まれていたのでしょうね。


「重要なのは、その中身。これは、国王の素質を測る、試練のようなものなのだ」

「国王の素質……試練、ですか」

「神殿にいたなら、さすがに知っているだろう? 四つ森の恵みと、それらを司る神の話を」


 それならと、頷きます。この国の土地の性質になぞらえて、それを神様からの贈り物とした話は、何度も神殿で聞かされました。

 飾り気のない言い方をすると、知識と技術、優しさと強さによって悪を排し、正しさを求める、といった内容です。


「国王の血を引く者は、この詩を読み解き、その試練を達成することで、素質を高めることができるのだ。……その血に、取り込むという形で」

「……」

「気づいたか? 『逆さの盃へと沈む』……これは、先の魔法具を発動させる知識――正確にはその知識を使い、あの場で降りてきた“気”に触れることで達成条件を満たす。あの熱は、その証だ」


 鼓動が速くなるのを感じます。あの全身の血が熱くなる感覚、それが証というのなら、わたしはこの旅の中で……。


「その様子なら、他にも達成しているな」

「土の民の村……」

「あぁ。四行目、情にまつわる試練だ。一行目は技術、南部領の特別な花から、その蜜を取り出すこと。三行目は強さ、東部領の氷炎獣を討伐すること」


 一行目の『青き優美』。おそらく、タックスの丘に咲いていたフレニアの花のことでしょう。わたしは、あの蜜を飲んだ時のことを思い出して、溜め息をつきました。


「リリアーヌ。……私は、君こそが国王に相応しいと思っている」


 はっとしてセレスタンお兄様に視線を向けると、彼はわたしと同じ紫色の瞳に熱を孕ませて、こちらを見ていました。その表情に、フレッド君が息を呑む音が聞こえます。


「わ、わたしは……」

「勿論私も努力をしている。だが、現時点で国王に一番近いのは君だということを、忘れないでくれ」


 そう言うと、セレスタンお兄様はお茶を口に含みました。有無を言わせないその雰囲気に、おずおずと頷きます。

 わたしは口の渇きを潤すために、同じようにお茶を飲みました。


 ――これで、話が終われば良かったのに。


「あぁ、残りの話をしていなかったな。悪しき道と正しき道の試練についてだ。後者は、そもそも試練を受けられる条件が厳しいらしく、私もその内容までは知らない。だが、前者は……」


 彼はそこで言葉を止め、またこちらを見つめました。先程の熱は引き、代わりに映るのは、暗い、悲しみの光でした。


「悪しき道を知ること。それはすなわち……禁忌魔法の使用、だ」


 どく、と胸が大きな音を立てました。

 震える手を押さえ、ぎゅっと目を瞑ります。


「リル?」


 心配そうなフレッド君に、笑顔を向けます。それがぎこちないものであると、自分でもはっきりとわかりました。


「出発は明後日だ。明日はゆっくり休みなさい」


 そう言い置いて部屋を出て行くセレスタンお兄様を見送り、わたしはフレッド君に向き直りました。……もうこれ以上、黙っていることはできません。


「フレッド君。わたし、お話があるのです。大事な、過去の……この、指輪に関するお話です」


 絞り出すように、何とか切り出しました。

 左手の人差し指にはめた、ペン先型の指輪。それを、ゆっくりとなぞりながら。

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