第7話 イブニング・パーティー

 女子にとっては、勝負の夜が今年も開催される。それは、カーラ・ロッドフォードのペントハウスで開催される恒例行事の一つで、カーラの用意した最高級のハンキーパンキーのスリップを着て参加する今シーズン一番のパーティー。


 秋恒例のこの行事は年々派手になり、費用も評判も右肩上がりのため、今朝のカーラはいつもより早起きをして大切なイベントに向けて念入りにチェックをしていた。


 カーラは毎年、最高級のベッドだけでなく、マニキュア、ペディキュア専用椅子、ブランド品ばかりの洋服をラックごと用意する。もちろん、お気に入りのラデュレとピエール・エルメを忘れずに。

 準備が整ったら、残すは大切なゲストを待つばかり。


 *


 カーラはお昼休みに中庭に集まっていた友人たちと食事を楽しんだ後、軽く手を叩き自身に注目を集めさせた。


「さあ、あなたたち。秋の一大イベント、お楽しみの日よ! カーラ・ロッドフォードの夜会より、大事な予定はないでしょ?」


 ティファニーブルーにホワイトのインクで作られた招待状をそれぞれに渡しながら微笑むカーラに、グレイスやトレーシー、レジーナたちは期待に目を輝かせ、今夜開催されるパーティーの話ですっかり盛り上がった。そこにたまたま通りかかったのは、インスタグラムのフォロワー八万人を誇る、新入生の中ではトップクラスのインフルエンサー、ペネロピ・イートンだった。


「あら、ペニー。ちょうど良かった。あなた暇でしょ? 夜会にいらっしゃい」

「あたし!? ホントに!?」


 グッドタイミングでいたばかりに誰もが憧れるカーラのお泊まり会という思いがけぬお誘いを受け、きゃっきゃっと新しいおもちゃを与えてもらった子どものようにはしゃぐペネロピに、カーラは満足げに微笑んだがグレイスとレーシーは信じられないと目を見開いた。


「うっそ! あたしでいいわけ!?」

「でも、覚悟して。ただ寝るだけじゃないの。ついてこれる?」

「平気よ。いくらでもついてく!」

「じゃあうちへ。七時きっかりね」

「オーケー! 後でね、バーイ!」


 カーラが手渡した招待状を大切そうに抱えて中庭を後にしたペネロピをカーラは笑顔で見送り、新しいゲストを不満そうに睨む友人たちに「さて、どうする?」と声を掛ける。


「特別な思い出を作ってあげなきゃ。最高なね」

「まず、どれくらいか賭けない?」

「私、二時間に五十ドル」

「じゃあ、あたしは一時間に五十ドル」

「そんなにも着いてこれるかな?」


 甘いものとフレッシュなフルーツ、ステキな服、リラックスできるサロン顔負けの空間、女の子にとって最高の贅沢を味わえる夢のような夜。


 そこにはちょっとしたスパイスも必要だということをカーラ・ロッドフォードは熟知している。


 みんなで上品に笑い合うが、その声はもう教室まで急いでしまったペネロピに届くことはなかった。


 *


 完璧なデートを演出しようとブリキの貯金箱から大量の小銭を用意し、銀行で両替した重さ三キロのずっしり気合の入った計画で、着慣れないスーツを着たルドルフはFJクルーザーをエイプリルの自宅前に停めて、彼女が姿を現すのを今か今かと心待ちにしていた。


 ルドルフは今までデートらしいデートをした事がなければ、彼女といえる人とも出会った事がなかったにもかかわらず、まさかの初めての相手がエイプリル・ブラウニングのようなパーフェクトな美女ともなると、余裕などあるわけもなく手に汗をびっしょりとかいて、ひどく緊張していた。


 少しでも落ち着きを取り戻そうと、何十本目かのタバコに火をつけてたっぷり吸い込み、ゆっくりと深く吐き出す。今日のデートのために洗車をしたばかりの車のダストボックスは綺麗に空っぽだったはずが、今では大量の吸殻と何十箱かのぐしゃりとつぶれた箱があり、そこだけが昨日にタイムスリップしたように見える。


 非常に渇いた喉を潤すのは、近場のコーヒーショップで購入したチープなコーヒーだったが、それはもう一滴も残ってはいない。


「ルディ。おまたせ」


 にこやかに登場したエイプリル。タバコの臭いが染み付いた車内には不釣り合いな上品な花の香りを身に纏い、フェンディのドレスにエルメスのバック。ポイントは彼女のお気に入り、ランバンのピンヒールでバッチリ決まっている。


 普通であれば“キレイだ”とか“最高だね”と声をかけたり“ゴージャスだよ”と褒めるところではあるのだが、ルドルフはそんな言葉一つも言わないでFJクルーザーから降りることもなく、タバコを吸うためだけに開けていた窓から「早く乗って」と言った。


 いままでそんな扱いを受けた事がなかったエイプリルは驚き、笑顔に陰りが出るほどがっかりしたが、これが彼のありのままなのだと思えば愛しくも思える。それほどまでにすっかりルドルフに惚れていた。


「今日はどんなデートをする気?」

「まずは、おいしいものを食べる」

「いいわね。私、もうお腹ペコペコよ!」

「それは大変だ。飢え死にはさせられない」


 ルドルフの冗談に笑いながら「急いでね、もう死にそうなんだから!」と言って、どれだけ空腹なのかを身振り手振りで伝えるエイプリル。彼女のその飾らない姿にルドルフは自然と緊張がほぐれた。


 *


 ルドルフの運転するFJクルーザーが到着したのは、その外装には不釣合いな高級レストラン。ここは最近ヤングセレブの間で話題になっており、味もおいしいといい評判がインスタグラムの投稿でも多く見かけたレストランであったため、“エイプリルの望むデート”を実現させたいルドルフには最高の場所だった。


 ルドルフの行き着けといえばファストフード店が多く、誕生日や何かのイベントがある日のみ、ちょっと背伸びをした高級レストランやホテルでのディナーを楽しむようなライフスタイル。


 その為、今回選んだレストランはそんなルドルフには超がつく高級店だった。周りは身なりのいい人たちばかりで、ルドルフのようなチープなスーツを着ている人など見当たらない。そんな住む世界の違う人たちのいる場所ともなれば、当然メニューも見慣れない言葉が多く、ウェイターを呼んでただ注文するだけのことでも一苦労でルドルフはそれなりに見せるだけでいっぱいいっぱいだ。


 しかし、エイプリルの前で素直になれず、背伸びをしていたい年頃のルドルフは見慣れた名前を必死になって探した。


「えっと・・・・・・じゃあ、僕は無難にチキンにしようかな」


 ルドルフのオーダーに男性ウェイターは「はい。そちらは」と微笑んで、今度はエイプリルにルドルフの眺めていたメニュー表とはまた別のメニュー表を「どうぞ」と差し出すが、どうやら来た覚えのあるらしいエイプリルはメニュー表を受け取る前に「ロブスター・ビスクとメインはラパン」とスマートに注文をした。


 オーダーを受けたウェイターはルドルフ同様、エイプリルにも微笑みながら「承知しました」と返事をし、奥へと戻って行く。


「もしかして・・・・・・ここに来たことある?」


 ルドルフに不安げに見つめられたエイプリルはどう接するべきか悩み、まともに顔を見ることができず気まずい空気が流れ始めたため、一度空気をリセットしようと「ちょっと席を外すね。メイク直ししなくちゃ」と微笑む。


 だが、気の利かないルドルフは「ああ、それは必要だね」と誤解を生みかねない言い方をするので、エイプリルは苦笑いを浮かべるほかない。


 *


 バッチリセッティングされたイブニング・パーティーの会場。


 先に到着していたグレイスたちはネイルのケアやフットマッサージを受けたり、可愛らしいカップケーキやシュークリーム、チョコレートクッキーを食べたり、香水のテイスティングをしたりと既に楽しんでいたところへ、約束通り七時きっかりに到着したペネロピ。


「あら、ペネロピ! 来てくれたのね」


 マカロンを食べながら友人との会話を楽しんでいたカーラが出迎えて、いよいよパーティーが開始となる。手始めに、カジュアルスタイルで来たペネロピの"お着替え"をする。


「これはどう?」


 ボヘミアン柄の丈の長いワンピースに鼈甲のフレームがポイントのサングラスというエキゾチックなスタイルで頭に手を当て、ポーズを決めるペネロピに香水のテイスティングをしていたカーラが首を左右に振って「ストリートミュージシャンっぽい」とだけコメントする。


 ペネロピが次に着替えたのは、シースルー素材のインナーとスパンコールたっぷりのドレス。投げキスをカーラに送りアピールするが「生まれてくる時代を間違えた?」と薄く笑って言うだけ。


 それでも諦めないペネロピは、ファージャケットに裾を折って丈を短くしたタンクトップとショートパンツを合わせ、得意げな顔をしながらくるりと一回転。あからさまなおふざけにカーラも「それじゃあ今にも歌い出しそう」と笑い、ペネロピにエストレアの新作に着替えるように言う。


 カーラの案内した部屋から出てきたペネロピはベアトリスに手伝ってもらい、無事に着替える事が出来たらしく、見違えるほど美しい女の子へと変身を遂げた。


「それなら文句なしよ! ほら、こっち」


 拍手で迎えたカーラは鏡の前へとひっぱり、ペネロピにも確認させるが、彼女自身もあまりの変わりぶりに驚いた。


「ドレスは凄くステキ! だけど・・・・・・何だかしっくりこないな」

「うちのママがよく言うの。ファッションで大事なのは着心地じゃない。どう見せるかよ。後はどんな顔を見せるかね。あなたの顔は、まだお子様ね」


 ペネロピの顔に手を当て、肌の質感を確かめるようにひと撫でし「下手したら小学生よ」と微笑む。


 普通の下級生であれば、カーラのコメントに涙を浮かべてもおかしくないが、インスタグラムのフォロワーを四百万人以上持つ彼女は学園の中でも一番と言っても過言ではないほどセンスが良く、おまけに世界的に有名なファッションデザイナーの母を持つという、モデル志望のペネロピにとってカーラのコメントは重要なアドバイスでしかなく、むしろありがたい限りなのだ。


「変身の前に――これを」


 そういってカーラは、まだ飲酒もした事がないようなお利口さんなペネロピにドライ・マティーニを差し出した。


「あまり得意じゃないの。それ、ウォッカよね」

「マティーニはジンだから安心して。パーティーなのよ? それを飲むか、今すぐうちに帰るか、決めて」


 エストレアのデザインしたエメラルドグリーンのIラインドレスは喜んで着たものの、目の前に差し出された酒にはためらう。


 学園という狭い世界でみんなの憧れのグループで生き残るかただの奨学生になるかの人生選択を迫られた彼女は、やっとかなった夢をフイにしたくなくてカーラからドライ・マティーニを受け取って、舌を濡らす程度に飲んだ。その行動にカーラとその友人たちは微笑を浮かべる。


「みんな、そろそろ“真実か挑戦ゲーム”の時間よ」

「やだ! あたしそのゲーム大好き! マシュマロ一袋食べたことあるんだ」


 無邪気に笑ったペネロピにカーラは忠告を忘れなかった。


「凄いけど、わたしたちの遊び方は違うの」

「じゃあ、どう違うの?」


 こういう場の定番真実か挑戦ゲームがスタート。 トレーシーとグレイスは“キスをしろ”とレジーナに命令されて本当にしてしまうものだから、ペネロピは度肝を抜かれた。


「あたし“真実”にするわ」


 二人のキスを見てカーラのメンバーは楽しげに笑ったが、ペネロピはなんだか見ていられなくなり思わず視線を外した。それはまるで家族のそろうリビングルームで甘い恋愛ドラマを見ていたら、突然主人公とヒロインが濃厚なキスをし始めてラブシーンへ突入してしまうときに感じるような気まずさを感じたからだ。


 *


 ルドルフのチキンが盛り付けられていた皿をウェイターが持ち帰るのを見送ったエイプリルは不安げにルドルフを見つめる。


「もういいの? それだけじゃ足りないでしょ」

「いや、うまかったよ」


 ギクシャクした雰囲気の中、先ほどのウェイターがまた二つのメニュー表を持って現れた。


「デザートはいかがです?」


 エイプリルは少し悩んだような素振りをして見せた後、男性ウェイターに「結構です」とにこやかに答える。


「本当に?」


 ルドルフは自身の質問にエイプリルが軽く頷いたのを確認するとウェイターに「それじゃ、会計して」と頼むが、ウェイターは気まずそうに視線を外してエイプリルを見つめる。


「あー・・・・・・支払いは私が先に済ませといたから」

「え? 何だって?」


 役目を終えたウェイターがテーブルから外れるとルドルフの問い詰めるような視線がエイプリルに向けられる。彼女としては彼のプライドを傷つけるようなことをしたつもりはないが、彼は今あからさまに不機嫌で、その機嫌を直すためのいい言葉が思いつかない彼女は焦った。


「支払ったって言ってもママのカードを使っただけだし、なんて事ないの全然。気にしないで」

「僕は払えるよ。金ならある」

「それはわかってるけど、でも、ここで使うことはないと思うの」

「分からないな。何か気に障った?」


 エイプリルはシャネルのゴールドブレスレットやリングで飾った両手をルドルフの右手にそっと重ねて、「そうじゃない。私、デートを楽しみにしてたわ。でも、こういうのじゃなくていいの。私に合わせたあなたのデートじゃなくてね、私はありのままのルディとデートがしたいの。だから無理しないで」と微笑んだ。


「分かった。なるほど、君が望むなら――ルドルフ・アンダーウッド流のリアルなデートをしよう」


 エイプリルの言葉に胸をなで下ろしたルディはデザートをつっぱねてエイプリルに手を差し出し、彼女が手を取るとレストランを出て、足取り軽くリアルなデートに繰り出した。


 *


 地下鉄に乗ってインディーズバンドの掘り出しをしたり、バイクに二人乗りをして夜景を見に行ったり、そんなカジュアルデートを夢見るエイプリルがルドルフとデートをやり直す一方、カーラ主催の夜会では開かれていた真実か挑戦ゲームはいよいよ佳境に入ろうとしていた。


「ママお気に入りのオートクチュールとルブタンっていうのがちょっと難しかったけど“挑戦”クリアね」


 カーラの命令をクリアしたゾーイにカーラが楽しそうに笑っているのを遠くからトレーシーとグレイスはシャンパン片手に楽しんでいるが、ペネロピはマスカットを頬張りながら不安げに眺める。


「あのスーツにヒールってもはや戦闘服だよ。お気に入りなのにいいの?」

「そんな心配しなくていいから。お酒が減ってないよ? 早くグラス開けて追いついて」


 鏡の前でジャケットとルブタンのハイヒールを試着していたカーラが意地悪く笑えば、逆らえないペネロピはテーブルワゴンに置いていたドライ・マティーニを手にとって口をつけた。その時、スマートフォンの軽やかな通知音がカーラの部屋に響き渡った。


「あっ、あたしのだ!」


 ペネロピはまずいといった表情でスマートフォンを手にしようとした瞬間、あっさりカーラに取られてしまった。


「なにこれ。支払い催促のメール?」

「えーっと・・・・・・今、ママにカードを止められてるの。買い物し過ぎって! この間もステラ・マッカートニーでバッグとお財布を買ったんだよね」


 ペネロピの目線は泳ぐことなくしっかりと合うが、カーラを伺うような表情や胸の前で組まれた手が僅かに震えたのをカーラは見逃さなかった。


「グレイス。みんなで“ヘドゥコッティ”に行ってて」


 カーラそう指示を出せば誰一人として怪訝な顔はせず、寧ろにこやかに退場していく。その光景はエイヴォン・シュティール女子学園に通う生徒なら見慣れたもので、ペネロピは自身に迫っている大きな嵐を肌で感じた。


 カーラはエイプリルと並んで誰もが憧れる存在で、誰もが嫌われたくないと思い、誰もが彼女の人生を望む。それほど大きな存在に目をつけられたら最後、楽しい学園生活など送れるわけが無い。


「新入生のペネロピ・イートン。ちょっと怪しいとは思っていたけど、まさかわたし達に嘘なんて吐いていないわよね?」

「そんなの吐くわけないじゃん!」

「じゃあ、真実か挑戦か? “真実”は使ったわね」


 ペネロピは今まで普通に出来ていた呼吸の方法など忘れて、浅い呼吸を繰り返しごくりと固唾を飲んだ。


「“挑戦”は何?」

「今度のパーティーはあなたの家でしましょうよ」


 素直でいい子なペネロピは上手く嘘を吐ききれる自信などなく、笑顔で“いいわ”と返事が出来ずにいきなり言われても困るわ、という態度でカーラの名前を呼んだ。


「ちょうど、いいじゃない。あなたはわたし達の仲間に入りたいんでしょ。やるの? やらないの? 嫌ならそこまで」


 新顔ペネロピに与えられた女王カーラからの挑戦。ペネロピは挑戦を受けて一気にメジャーに駆け上がるか、優等生ぶってパーティーをシラけさせて終わるのか二択。


「やるわ」


 焦って上を目指せば転落の傷も大きい。着地に気をつけなければならない。

 いざというときには、ペネロピのドレスにパラシュート機能をつけないといけないかもしれない。


 *


 電球と街頭の電気、ドラッグストアやスーパーマーケットの灯りが車道を照らす。

 ルドルフがエイプリルとのデートに選んで入った店は赤レンガの壁にチカチカと点灯を繰りかえす切れかけの赤いネオン管が看板のビリヤードが置いてある場末のバー。


「おう、またか。悪いね」

「負けちゃったよ」


 ルドルフは店内を散策するエイプリルをかまわず、白髪頭にたっぷりのひげを生やし、ビールと肉で出来たようなふくよかな体にフィッシングベストと黒のティーシャツ、デニムジーンズを合わせた男性とゲームをしていた。


 エイプリルが輝くリボンカールのブロンドを揺らし、にこにこと楽しそうに表情を綻ばせながらルドルフの元へ歩いていくと、ルドルフが先ほどの男性から受け取ったドル札をエイプリルに差し出した。


「はい、七五ドル。ラパン代に当てて」

「ありがとう」


 食事代を受け取ったエイプリルがパーティーバッグに収めたことを確認したルドルフは「さて、次はどうする?」と次のデートを提案する。


「私が相手。勝負よ」

「君と?」


 自信満々に笑っているエイプリルをルドルフは訝しげに見て、眉を細めた。


「何よ、怖いわけ?」

「君のボロ負けがね。プライドがズタズタになるだけだよ」

「あら、ほんと? へえ、そう思う?」

「ああ、そう思うね」

「準備して。曲をかける」


 ジュークボックに向かう彼女の後姿をルドルフは微笑みながら見送った。


 *


 豪華なシャンデリアと黒色の革張りのソファー、大音量で流れるノリのいい流行の音楽。ライトで照らされたカウンターテーブルでベリーニを受け取ったカーラは先に待たせていたグレイスたちのいるソファーへと向かっていると、隣席では踊っている女の子たちを眺めながらどの子に声をかけるか話し合っている男たちがいた。


「何あのダサい男達。よく入れたわね」


 カーラの言葉に笑いあっていると、ペネロピが「次はあなたの番」とお酒も何も持たずにやってきた。


「“挑戦”は?」

「あの彼とキスして」

「かんたん」

「本気でね」


 その言葉にカーラ含め仲間達は笑いあった。ダサい人は人間だと思っていないあのカーラがダサいといった男とゲームとはいえキスをするのだ。


「よく見てなさい」


 カーラは指定された男の下へ近づくと肩を叩き、振り向いた瞬間に唇にキスをし抱き寄せた。カーラその大胆さにペネロピは驚いたが、このゲームの楽しさに惹かれていきグレイスたちと笑いあった。面食らっていた男は話し合いをしていた周りの仲間に歓声を上げられて拍手を送られている。


「おい、ブルックに怒られるぞ」

「誰?」

「別に、俺の彼女さ」

「バレなきゃいいわ」


 妖艶に微笑んだカーラに魅力にすっかりやられた男はだらしなく鼻の下を伸ばして言うわけないと言った。それを聞いたカーラは満足げに微笑み友人たちの待つソファー席へと戻ると黒いスマートフォンを見せびらかした。


「これはなんでしょう?」


 体をまさぐっていた間に抜き取ったスマートフォンにゾーイは飲んでいたニコラシカが口から零れそうになるのを堪えるため頭を下げ、ライトブラウンのバズカットを揺らした。


「彼女に電話して、名前はブルックよ。愛しの彼氏が今したことを教えてあげて」

「了解」


 無用心なのか面倒なのか、個人的な情報が無いのか男はスマートフォンにロックをかけておらず、すんなりホーム画面が表示された。ペネロピは迷うことなく電話のアイコンをタップし、ブルックの名前を見つけ出すとコールした。


「もしもし ブルック? ハーイ、あたしはカー・・・・・・カーリーよ」


“カーラ”とペネロピが言いかけるとベリーニの入ったグラスのふちを指でなぞっていたカーラが眉を上げて“本名を言うの?”と訴えかけてきたため、慌てて似た名前でごまかした。


「今ね、あんたのカレと舌を絡ませてたところなんだけど、彼って最高にイケてるわ。取り急ぎ、ご報告よ。じゃあね」


 最高の返しをしたペネロピにカーラは声が電話口に入らないように声を押し殺しながら肩を震わせて笑い、ゾーイやグレイスたちも同じようにくすくすと笑い合う。


「今年の夜会に!」


 カーラの言葉に乾杯した女の子たち。すっかり打ち解けていった様子に人は変われるものだとペネロピは思い、憧れのグループに一歩入り込んだことに達成感を感じた。


 *


 女の子同士の友情が生まれている中、エイプリルとルドルフはピーナッツをつまみに出し、安価なビールしかないバーで、ビリヤードに夢中になって最高の楽しい時間を過ごしていた。


「ゲームオーバー! どっからどうみても、これで君の負け。それも、ボロ負けで俺の勝ち」


 壁に設置されている黒板にはエイプリルとルドルフ二人の名前とその下には勝負した回数が記されており、ルドルフの名前の下に新しい線が一本引かれた。


「やだ、私ってそんなにヘタ?」

「ああ、ヘタどころじゃないな」

「また負けたから教えてくれる約束よ」

「ああ、いいよ。教えてあげよう。アメリカ中の安酒場で通用する技だ」


 キューを壁に立てかけたルドルフは手球を片手に持ってビリヤード台を移動する。


「始めよう」


 エイプリルの腰に手を当ててエスコートをしながらビリヤード台の前に立たせ、ナチュラルに距離も縮まっている。


「ビリヤードの極意を教える。何より大事なのは正しい角度だ。打って」


 早速教えられたことを試そうとエイプリルがルドルフから手渡されたキューを構えるが、どこかぎこちない。


「腕を引いて、ここまで。待って、その姿勢を保つんだ。ゆっくり、慎重に突いてみて」


 結果はだめだったが、体が密着し、顔が近づき、いいムードになった瞬間、ようやくエイプリルがジュークボックスで選んだ曲が流れ始めた。


「私の選曲よ」

「こういう曲好きなんだ。意外な趣味だ」

「私のこと何にも知らないのよ」

「まあ、知ってることといえば、ビリヤードがヘタなこと。他は?」

「そうね。今、最高に楽しいこと」

「もう知ってる」


 顔が先ほどよりも近づいて、鼻と鼻が触れ合う距離になりキスをするかなと思ったエイプリルが瞳を閉じた矢先、ルドルフのポケットの携帯がブルブルと震えた。


「何なの?」

「ちょっと、連れて行きたいところがあったから予定を入れてたんだ」

「ダメよ。元の予定に変更なんてイヤ。このままのプランがいいの。角度を教えてくれなきゃ。ビリヤードがヘタなかわいい子忘れたの?」

「忘れようがない。覚えてるよ」


 誘惑するように手を握り締め、微笑む彼女を拒むのは気が引けたがルドルフにはどうしても最後はここだと決めていた場所があった。


「どうしても譲れないんだ。悪いけど予定変更だ」


 ルドルフは外に停めていたFJクルーザーに再び乗り、“ヘドゥコッティ”へと向かった。


 *


 クラブで踊ってるカーラ達は盛り上がり、ペネロピもすっかり楽しんでいた。でも最高の夜になるはずが、つい先ほどカーラがキスした男の彼女ブルックが現れた。


「女は?」

「なぜ君が? 女って・・・・・・男だけだよ」


 見ろよ、と仲間のいるソファーに腕を伸ばしたとき、ズボンのポケットに手が当たり、スマートフォンがなくなっていることに男は気が付いた。


「おい、俺のスマホは?」


 相当頭にきてるブルックとその彼氏がカーラたちに詰め寄ろうとしたところへ、ルドルフとエイプリルも到着し、ルドルフが今にもカーラに殴りかかろうとしている男を「やめろ」と抑える。


「引っ込め」

「スマホはテーブルの上よ。ベロベロに酔ってナンパしようとしてないでよく見て」

「殺すわ!」

「ああ。あなた、ブルックね。まさか、彼と結婚する気? ブタだよ」


 彼をブタ呼ばわりされて、すっかり顔を真っ赤にして青筋を立てているブルックは笑っているカーラの頭をもぎ取らんばかりの怒りよう。


「ちょっと、何するのよ。下がって」


 エイプリルが彼女の服をひっぱり二人が仲裁しようとしたが、カーラの口は休むことを知らない。


「余計なお世話。あんたたちに守ってくれなんて頼んでないわ」

「その“カーリー”だけど、電話したのはその子じゃなくて、あたしだよ」

「舌を絡めた女?」


 事情を知っているカーラたちはくすくすと笑うが、ルドルフとエイプリルは理解が追いつかず「舌? 夜会じゃないの?」と混乱し、ブルックは怒りのままに「キスしたの?」と男に詰め寄り、ドロドロの修羅場状態だ。


「彼女とした」

「ゲームよ」

「まだ子供ね?」


 ブルックはクラブでバカげたティーンの遊びをする子にすっかり惚れて成り下がってる男と口論を始めたが、「あたしは十四歳」「わたしは十六歳」と二人の年齢を聞いたブルックとその彼氏は顔を見合わせ「十四歳と十六歳!?」と声を揃えて驚いた。


「知らなかったんだ。だってエロいし」


 カーラたちが未成年だと知ったブルックと男は狼狽えた。いい大人が子供相手に本気で喧嘩をしただけでなく、未成年の子供を“そそる子”なんて言ったためブルックは男につかみかかった。


 その光景を見ていたクラブのガードマンが流血沙汰になってからでは遅い、とお子様たちは全員退場させられてゲームオーバー。


 エイプリルは頭にきていた。かわいい新入生ペネロピが仲間はずれから抜け出しただけならともかく、その手助けをしたのが元親友だったからだ。エイプリルがいくら謝っても許されることは無く、彼女はエイプリルにとって友達もかわいい後輩も奪う悪役で、大事な親睦会で“エイプリルがリハビリを受けてる”などと暴露をして、経歴と名前に傷つけ未来を奪われたのだ。


 だが、過去に傷つけたカーラの気持ちもエイプリルは痛いほど分かっている。だからといって、遊びで本気のキスをしたり上級生が新入生を危険な目に合わせる行為をしていいことにはならない。


「何考えてたの。無謀よ」

「退屈だって言うから、楽しませてあげたの」

「クラブよ?」

「悪いことはしてないよ。喜ぶと思って」

「なわけないでしょ!? 冗談じゃないわ、あんたがこんなことするなんて信じられない」


 二人で話しているところに、賢くて、優しい新入生のペネロピが“自分の意思で来たんだから、カーラを責めないで”と言いに来た。


「カーラのしたことは、親切だよ」

「ほら」

「どこが親切? 問題になるわよ」

「もちろん、分かってる。でも、その価値はあったよ! 夜の街に出て楽しめた。ママのつもり?」

「そう。その価値はあったのね」

「ほら、帰るわよ」


 今夜は予定外の出来事づくしで心身ともに疲れきっていたエイプリルは、カーラとエイプリルたちがタクシーを拾うのを見送った後、ルドルフとデートの続きを楽しむ気分にもなれず、歩いて帰宅することになった。


 *


 カーラのペントハウスへ戻る途中、“真実か挑戦ゲーム”が延長戦オーバータイムに突入した。カーラには勝てないとペネロピに教える気のカーラはペネロピにもう一つ“挑戦”を要求した。


 これを成し遂げたら、エリートの仲間入りということだが・・・・・・“エストレア・ロッドフォード”のブティックに入り、ジャケットを盗んで来いという内容だ。


「あのマネキンのジャケットを盗むの?」

「そうよ」


 マネキンが着ているのは今シーズンのデザインで、デニムジャケットのサイド部分にレザーがあしらわれている。


「あなたのお母さんのお店でしょ? 欲しいものはもらえるじゃん」

「やりたくないなら、いいの。別に責めたり見損なったりしないから」

「でも・・・・・・」

「嫌ならいいよ。まあ、ここまで来た意味はなくなるけど」


 ペネロピは少し考えた。ハイリスクだが、リスクよりもここで逃げては仲間入りできない現実が苦痛だった。


「ジャケットね?」

「ええ、ジャケットだけ」


 カーラはペネロピに鍵を渡すと、ペネロピが中に入るのを「行ったわ」と友達と一緒にニヤニヤ見ていた。ショーウィンドーのマネキンが着てるジャケットをペネロピが脱がし始めると、カーラは“五、四、三、二、一”とカウント開始。そして“ビーッビーッ!ビーッビーッ!”警報が鳴り出した。隠れようのないペネロピを店に閉じ込めたままカーラ達はダッシュで退散。


 けたたましいサイレンの音と共に警察が来て尋問が始まった。


「規則ですので、身分証はありますか?」

「今日は持ってないの・・・・・・」

「夜遅くに何を? 名前は?」


 ペネロピは悪びれもせず“あたしはカーラ・ロッドフォード”と名乗った。“ここはママのエストレア・ロッドフォードの店。ママの店に置き忘れたコートを取りに来ただけ。ママはぼんやりした人間が嫌いだから、ジャケットを忘れたことを知ったら私に幻滅しちゃう”とまくしたてる。


「それじゃあ、お母さんに連絡しよう。自宅の電話番号は?」

「あ、うちにママはいないんです。木曜までパリよ。今早朝だけど、向こうに掛ける?」

「作り話じゃないって話の裏づけを取らないと」

「ブティックの鍵はちゃんと持ってるから戸締り一緒に確認して」


 警察を丸め込んだペネロピは盗んだジャケットを着てロッドフォード家へタクシーで向かった。


 *


 静かな夜の街を特に何か話すこともなくふらふらと歩いていると、ルドルフが少し掠れた声を出した。


「今日のデート、悪くなかったよ。まあ、ハプニングは多かったけど」

「ええ、パーティーにハプニングは付きものよ。楽しかったわ」

「そう? 分かってるんだけど――心配になるんだ」


 耳にかかるほどの長さのダークブラウンを撫で付け、心配げにブラックの瞳を揺らす恋人はエイプリルにとって放っておけない年下の男の子のようで、思わず「あら、かわいい」と口から感情が零れた。


「週末に夜遊びなんて、今までの俺じゃあ想像がつかない世界だよ。高級レストランに話題のクラブに出かけ――こんな美人とデートしてるなんて」

「そうよね、あなたが少しでも遊ぶ気があれば、もっと早く私と知り合えた」

「確かに」

「そしたら、とっくにキスしてたかも」


 エイプリルの誘うような口ぶりにルドルフは歩みを止めて、しっかりとエイプリルを見つめる。エイプリルも真っ直ぐにルドルフも見つめている。お互いの瞳に写っている表情はあたたかな微笑み。


「五つ星のレストランもリムジンもない」

「煙たいプールバーのビリヤードも八十年代のロックもない」

「やっと気が合った。ここが二人の場所だ」


 そして、二人が首を長くして待ってたことがついに実現した。ルドルフとエイプリルのキス。このカップル――そう呼んでいいかは分からないが――はマウンリッシー市街のど真ん中で、とてもロマンチックなファースト・キスをした。


 ルドルフとエイプリルは相性が良く、ここ数週間でお互いの気持ちも盛り上がっていた。もちろんエイプリルが誰かとキスしてるのを目撃されるのは初めてではないが、今夜のは彼女にとって忘れられないキスになった。


 *


 手錠も囚人服もつけてない彼女にカーラはフォグブルーの瞳を丸くした。


「キャッチして」


 ペネロピはカーラに鍵を投げ渡した。


「ペネロピ、クリアできたみたいねおめでとう。ベッドに入って。その資格はあるわ」

「いいえ、うちに帰る。呼んでくれてありがとう、楽しかったわ」

「抜けるなんて許されないのよ」

「これまではね」


“よければ、ジャケットはいただくから”と言い放った。そして“月曜日、階段でランチね?”とつけ加えると、カーラはただ笑って頷いた。


「オーケー。了解よ」


 カーラ・ロッドフォードの夜会はペネロピ・イートンの一人勝ちになった。カーラ以来の大物ぶりで圧巻のデビューを飾った。


 *


 カーラは背後に気をつけなければならないが、エイプリルはハートに用心が必要だったが既に盗まれた後。一年前のエイプリルは、バーのカウンターで踊ったり、男を泣かせたり、ハチャメチャだったにもかかわらず、今は一人しか見えない。


 あのエイプリル・ブラウニングが一夫一婦主義になるなど、誰が予想できただろうか。ルドルフ・アンダーウッドに至っては、一年前は女の子と話もできない、歩行者が行きかう街なかで女の子とキスするなんて考えられないような男の子だったにもかかわらず、今では人目など気にせずキスに夢中になっている。今の二人には愛こそはすべてだ。


 世界一素敵なこの街で“奇跡は起きる”と証明された夜になった。

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マウンリッシー 佐藤まどか @satoh_madoka

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