第2話 呼ばれざる客人

 カーラは昨日の出来事ですっかり疲れきった心を休めようと、午前中はこだわりのネイルケアとお気に入りのベイシャル(背中のエステ)を受けた後、リラックス効果のある音楽を流しながらゆったりお気に入りの読書とラベンダーティーを愉しみ、午後は今夜主催のパーティーに向けての最終チェックに追われる。


 ライトグレーの壁にはアメリカンフットボールのポスターとラクロス部で優勝した時の写真などが並んでいる自室で柔らかなベッドの上で一服し終えたロミオは、自宅のタウンハウス近くにある公園で走ったり、ストレッチをしたり、手入れの行き届いた柔らかな芝生に寝転んだりしてのんびりと午前中を過ごし、たっぷりかいた汗を暖かいシャワーで流した後はサッカーの中継をチョコレートスナック片手に大画面とコンポで観戦しながら、パーティーまでの長い残り時間を満喫することにした。


 ニクラウスは午前中の間にコーヒーと香り高いトリュフとふわふわのスクランブルエッグとチーズで作られた簡単なサンドイッチを食べ終えた後、今夜のパーティーで着るマーク・ジェイコブスのタキシードの購入を済ませ、疲れを飛ばしリラックスをするためにフットケアに残りの時間を費やし、午後はソーシャルメディアで若者の流行をチェックすることに勤しんだ。


 ペネロピはインスタグラムで模様替えをしたばかりの自身の部屋を紹介する二四時間限定の動画と写真の投稿六コマ分と、四枚の自撮り写真を午前中に一枚ずつ時間を分けて投稿。午後はハイブランドから出ている愛用品のメイクグッズと一緒に同じブランドの新作のマニキュアのボトルやマーク・ジェイコブスのドレス、ジミーチュウのパンプスの写真と共に、今夜のパーティー開催時刻などをキャプションに記載したものを投稿した。スマートフォンから鳴る通知音が多ければ多いほどペネロピは心が満たされ、羨ましがる声や憧れを伝えてくれるコメントには安堵と喜びが混ざり合った。


 昨晩、カーラと別れた後閉店間際まで飲み続けていたエイプリルは、酷い二日酔いに苦しめられており、グラグラと揺れる脳味噌と視界に吐き気を必死に堪えながらようやく火照りの残る体を起こしたのは午後になってからのことだった。少し熱めのシャワーを浴びた後、着替えるより先にスマートフォンを手に取り最初に連絡を取ったのは昨日の朝一番に会ったロミオだったがいくら待っても返事は来ておらず、諦めたエイプリルがスマートフォンで時刻を確認したところ、今夜のパーティー開催時刻までおよそ三時間ほどある。


 エイプリルはオフホワイトのプッシュ式のクローゼットからお気に入りのシャンパンゴールドのシルクドレスを取り出し、同じカラーのシルクのハイヒールを履く。アイメイクにはアメジストの瞳が引き立つようにブラウンのシャドウとゴールドのパールを控えめに輝かせ、形のいい唇につやのある真っ赤なリップを施せば、さくらんぼのような愛らしさと女性的な魅惑が強調される。


 鏡で全身のバランスを見ながら、輝くブロンドを上げてみたり下ろしてみたり、指でカールを作ってみたりほぐしてみたりを繰り返す。

 数分間悩んだがエイプリルは特に何もせず、ざっくりとまとめたラフなポニーテールにし、黒色の細いリボンで飾り、スワロフスキーのヘアバレッタで前髪を左側に流して留め、それとなくパーティーらしい華やかな印象にする事にした。ヘアスプレーで崩れないように仕上げた後はトリーバーチのパーティーバッグを持てば準備万端だ。


 家を飛び出したエイプリルはパーティーまでの時間、とにかく、ひとりでいるのが嫌で、寂しさを忘れたくて、ロミオの住まいであるタウンハウスまで急いだ。インターホンを数回鳴らし、ノックするものの出てくる気配は一切なく、電話を鳴らしても電話に出る事がなかったためエイプリルはがっくりと肩を落とし、半分バッグを振り回すようにして自宅に戻ろうとしたが「ねぇ、君。落としたよ!」と言う青年の声に呼び止められた。


 慌てて出たためかバッグがしっかりと閉まっていなかったらしく、先ほど塗ったばかりの真っ赤なイブ・サン・ローランのリップスティックのケースを青年が顔の横で揺らしている。


 青年は耳にかかるほどの長さがあるダークブラウンにブラックの瞳、元の輪郭がわからないほど、しっかり頬や顎を覆うのび放題のヒゲ。清潔感のないヒゲ以外はどこにでもいそうな印象ではあるが、全体の雰囲気としては陰湿で、寡黙で、利口そうな青年といった風でありながらも、エイプリルを見つめるブラックの瞳から人の良さが滲み出ている。


 その独特な雰囲気を持った彼は、エイプリルが今まで出会ってきたどの異性とも当てはまる事がない、まったくのニュータイプ。その新鮮さに、エイプリルは一瞬にして引き込まれた。その衝撃は道に突然大きな穴があると思ったらトリックアートだったときの感覚だったり、友達や近くにいる憧れの人、通りすがりの誰かがしていたフレグランスがとてもステキで自分で試してみたらちょっと違った香りになってしまったときの感覚に良く似ている。


「やだ! ありがとう。私ったらほんと、何してんだろ」

「次からは、バッグなんて振り回したりするものじゃないよ。じゃ、僕はこれで」

「待って、何かお礼したいな。この後、何か予定があったりする? もし、何もないならちょっと付き合って欲しい場所があるの」

「悪いけど、君は有名人だからエイプリル・ブラウニングって知ってるけど、君は僕のことを知らないだろ? 君は知らないやつと出掛けるの?」


 呆れたような物言いで、自嘲的に笑う青年にエイプリルは白い歯を見せ、明るく笑ってごめんね、と謝罪をした後すぐにいたずらっぽく舌なんかを出しておどけた。エイプリルのその少女じみた無邪気な仕草は青年の目はすっかり釘付けになって魅了させる。


 美女の美しい笑顔も大変魅力的ではあるが、それよりも砕けた親しみやすい彼女の飾らない笑顔と、大人びた雰囲気に不釣り合いな子供じみた仕草のアンバランスさに青年は強く惹かれたのだ。


「じゃあ、自己紹介してよ。今は私のことを知らない人と、一緒にいたい気分なの。あなたもどうせ、名前と噂以外は知らないでしょ?」

「まぁね。自己紹介ならいいけど、僕なんかといても何の価値もないし、ただの時間の無駄だ。きっと、暇つぶしにもなりやしない」

「私が誘ってるんだから、いいじゃない。それに、退屈かどうかは私が決めるの」


 俯き気味に自信なく言葉を吐き出す彼の手から、イブ・サンローランのリップスティックを抜き取って、長身美女は自信満々に腰に両手を当てて好戦的な笑顔を浮かべる。


 エイプリルは返事を待ってみたが黙りこくる青年のことを待っていられず、彼の手をすくい取って、「ね、いいでしょ?」と半ば強引に今夜のパーティー会場である高級クラブへと向かった。


 *


 カーラは自室で有名デザイナーの母、エストレア・ロッドフォードが仕立てたドレスを何度も試着し、やっと決めた一着はクラシカルでエレガントな形でありながらも、スリットの入ったドレスでカーラの美しい足がより美しく映る。なにより、シルバーが彼女の肌を輝かせ、フォグブルーの瞳によく合っている。


 ウォールミラーで隈なくチェックし、残すはメイクとヘアアレンジのみだと思っていたところに、ノックの音と共に母のエストレアが部屋に入ってきた。


「カーラ。どう? 見せてちょうだい」


 カーラがステキでしょ、とでも言うようにくるりと回って見せるとエストレアはグリーンの瞳を見開いて「それにしたの? ママが用意した新作ドレスは?」と少し怒ったような強い口調で言うが、カーラが素直に聞くわけもなく「これがいい」とにっこりと笑って反抗する。


「こっちより、あっちの方がずっとエレガントよ」

「なんで気にするの?」

「あなたを想ってるからよ。カーラ、今が一番綺麗で輝いているのよ? それを存分に活かして欲しいの」


 優しく、落ち着き払った声で語りながら愛おしそうにカーラの肩や頭を撫でるエストレアに、カーラもわたしは愛されているのだと、自信のある笑みへと自然に変わり心も素直にエストレアの意見を受け入れた。


「そうね。時間もあるし着替えるわ」


 だが、その喜びは束の間のことに過ぎず、ブラッシングをしたばかりの髪に触れたエストレアの表情が強張る。


「髪もちゃんとして」


 後からちゃんとしようとしていたことを先に指摘され、イラついたカーラはエストレアが部屋を出て行った後、それを声には出さなかったが溜息として吐き出した。


 *


 ラルフ・ローレンのタキシードに身を包んだロミオは、カーラのペントハウス前でリムジンを停めさせて待っている間、今夜の彼女がどんなスタイルで来るのか、そんなことを考えるわけでもなく、ずっとエイプリルのことを考えていた。


 それは、大切な予定の前日にできてしまったデキモノや、一度気になると存在を忘れられなくなる口内炎によく似ている感覚で、昨日の朝はあんなに冷たかった彼女から何度も連絡が入っていたからなのか、カーラに透明人間だと思って無視するよ、と告げたからなのか分からなかったがなかなか頭からエイプリルが離れていくことはない。


「待った?」


 どこか楽しげな声色で伺うカーラは、カシスピンクのドレスに身を包み、アイシャドウにもピンク色を咲かせて、愛らしさを出しながらも黒のキャットラインにカーラの芯の強さが表現されている。ショッキングピンクにダイヤモンドの装飾が施されたセットバックヒールを履きこなした様子でリムジンへと乗り込む。


「いや、待ってないよ。じゃあ、ニックたちを迎えに行こうか」


 当然、ふたりは付き合っているので、隣に座って腕を絡めたり手を繋いだり、バックシートに用意されているフルーツとシャンパンを味見してみたり、食べさせてみたり口移しなんてしながら愉しむ。最初は笑顔の耐えないロミオであったが、ニクラウスやカーラの友人たちと合流して、カーラの気がロミオ以外にも向けられるようになった途端、どこか上の空で会場に到着するまでリムジンに揺られていたが、リムジンが止まればおとぎ話に登場する王子さまのようにカーラを完璧にスマートな動きでエスコートする。


 ロマンチックなはじまり方に上流階級らしいさすがの紳士ぶりを感じ、うっとりするカーラだったが「何か飲み物を取ってくるよ」と言ったきり戻ってこないロミオに不信感が募る。エイプリルは招待していないし、仮に他の女の子と遊んだとしても、必ず自分の元に返ってくるという絶対的な自信と信頼を寄せていたが、もしもという思いに不安を拭いきれなかった。


 その様子を見ていたニクラウスはシニカルな笑みを浮かべて、近くで飲んでいたグレイスとトレーシーにそっと耳打ちした。


「ロミオはどうした?」

「さっき、どこかに行ったきり戻ってない」

「もう十分は経ってるよ」

「ドリンクを取りに行ったにしては遅いな」

「ロミオは紳士的で正直羨ましいけど、優柔不断だからね」


 グローブを嵌めた手を口元に当てながらくすくすと笑いあう二人の肩にそっと手を置いた後、二人分のグラスとシャンパン一本を持ち、ゆったりとした足取りでカーラに近づいた。


「いいパーティだ。さすがだな、カーラ」

「ふん。当然でしょ」

「なぁ、シャンパンに付き合ってくれ。頼む」


 一杯でいいからと言って磨き抜かれたフルートグラスとシャンパンを自慢げに目の前に差し出すニクラウスに、特に断る理由がなかったカーラが頷けば、照明の光を眩しく反射させるグラスにシャンパンが丁寧に注がれる。上に伸びる細かな泡を輝かせながらグラスを満たしていくその光景はいつ見ても美しい。


「ちょっと、話したい事があるんだ」

「何よ。改まっちゃって」


 にやにやと含み笑う彼にカーラは眉を寄せてめんどくさそうに鼻で笑った。カーラにとってニクラウスはあくまでもロミオの友人の一人という認識しかなく、どちらかといえば彼のことはよく知らないでいる。


 ただ、ロミオの話で聞いた事がある彼の印象だけで評価するならば、カーラにとってなぜか周りのことを何でも知っているニクラウスは少々気味が悪く、ニクラウス自身は謎が多いというのが特に苦手なところである。


「実はさっき、クラスのヤツのSNSに上がってたんだが・・・・・・」


 話し始めたニクラウスからグラスを受け取り、乾杯の言葉を口にした瞬間、会場がざわついた。大音量で流れている音楽に紛れて耳に届くのは招待していないはずのエイプリルの名前。


「どういうことよ。招待してないのに」


 眉間に濃いしわを寄せて、ニクラウスに一口も口をつけていないグラスを押し付け、怒りを露わにしながら人ごみをかき分る。見慣れた輝くブロンドヘアの長身美女を見つけたとき、ダイヤモンドのブレスレットをしたカーラの手首にぐっと力が加えられた。僅かな痛みに驚いて振り返れば、ずっと待っていた恋人の姿。


「カーラ。追い出すのか?」

「あなたが招待したの?」

「まさか、するわけないだろ」


 呆れたような表情を浮かべ、そう口にしてカーラを追い越し、エイプリルの立っている出入り口へ歩みを進めたロミオの肩をカーラはしっかりと掴み、自身と目を合わせさせる。


「やめて。話さないで」


 外の空気を吸うだけだと言ってその手を振りほどき、会場を後にするロミオの背中をエイプリルが眺めていると、カーラが目の前に来て睨みつけた。


「ごめん、カーラ。招待されてないのはわかるけど、私たち友達じゃない。それに、あんたに紹介したい人が・・・・・・」


 エイプリルのパーフェクトな笑顔を無視して、グレイスとトレーシーの呼びかけにも応えず、カーラは会場の奥へ奥へと進み、楽しげな流行の音楽は遠ざかり、カラフルなアルコールと煌びやかなスポットライトからも遠ざかった。裏口に出たことで喧騒から隔離されて一人きりになったカーラはあふれ出す感情のまま、声を押し殺して涕泣ていきゅうした。


「パーティーには付きものだ」

「またあなたなの? ほっといて」


 今一番傍にいて涙を拭って優しい言葉をかけてほしいロミオではなく、その友人のニクラウスが優しく声をかけてきたことにカーラの胸はさらに苦しくなる。


「俺は全部知ってるんだ。お前の努力も、望みも、夢も。あのクソ女とロミオが犯した過ちも知ってる。人生、そう上手くいくことばかりじゃないだろ」


 ニクラウスの言葉の意味をカーラの頭はしっかりと理解している。だが、心では自身の積み上げてきた努力とプライドがそれを認めようとせず、酷く傷ついた。


 困惑の表情を浮かべているカーラに、ニクラウスはまるで誘惑するように、自身のスマートフォンでエイプリルのソーシャル・ネットワーク。サービスのページを開いて見せた。


 二四時間限定で公開される投稿にはエイプリルと先ほどパーティーに同行していた、名前も顔も知らない男性とのツーショットと共に、楽しんでいるらしいキャプションが絵文字付きで添えられている。


 普通ならば、大切な友人の新しい恋人候補であれば応援したり、いい人なのか気になったりするだろうが、カーラとエイプリルの仲はエイプリルがロミオと関係をもった時点で破綻してしまっている。


「彼女。もう、消えてほしい」

「いや、それは困る」


 信じられないと言いたげに潤んだ瞳で睨んだカーラに、ニクラウスは薄ら笑いを浮かべて、「それだけじゃ、つまんないだろ」と言えば、カーラは仲間がいるということに安心したように笑った。


 ✳︎


 ヒロインチックにカーラ主催のパーティー会場を後にしたエイプリルの気分はすっかり盛り下がっており、新しい恋人候補とデートを続けるわけでもなく、帰り道のタクシーに揺られながら外の景色を見て時々会う視線に微笑むだけだった。


「ここで」


 エイプリルが運転手に声をかけると、ゆっくりと速度を落としながら止まった自宅前の光景にルドルフは絶句した。

 背の高い豪奢な細工の施された門構にどこまでも伸びた赤レンガの敷き詰められた長い坂道。両サイドには手入れの行き届いた庭がどこまでも伸びており、青い芝生にコニファーが並んでいる。


「ええと・・・・・・それじゃ」


 バッグを抱えてタクシーから降りようとしたエイプリルは、ふと思い出したかのように隣に座っているルドルフの方へ振り返った。


「ああ、おやすみ」


 ルドルフからの返事はそれだけで、エイプリルはすこし残念に思ったがあまり深くは考えずにタクシーから降り、静かな道へと進んでいく姿を見送った。


「まあ、これで良かったのかも。今は彼氏なんて要らないし」


 そう口にはしてみたものの、楽しくていい人で好きになりそうだという実感が深まっただけで逆効果でしかなかった。


 ✳︎


 ルドルフはひとり残されたタクシーの中で頭を抱えた。それはエイプリルの豪邸を見て自分とは住む世界が違うのだと思い知った衝撃だけじゃなく、夢にまで見たエイプリルとのデートをダサい別れ方をしてしくじった自分に嫌になってしまったからだ。


 一度しかないチャンスをフイにしたことに絶望を感じていたが、エイプリルに話さなくてはならないと考えた。野暮な態度を謝ってどれだけ好きか気持ちを伝える。そして、次のチャンスを掴もうと決めた。

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