第11話 過ぎたもの(冴吹稔さんからのお題「あとしまつ」)


 出来上がりを左右するのはあとのしまつだから手を抜かず丁寧にするんだよ――そういって教えてくれた母も今はいない。


 母はこの街では割と有名なお針子でわたしが生まれる前までは仕立て屋をしていた。

 貴族のお嬢様のドレスを仕立てたことだってあったらしいが、母にとってその仕事は屈辱と後悔しか残らなかったようで、わたしがお腹に宿った後はきれいさっぱり身を引いてただのお針子として雇われる側になった。


 母一人子一人の生活は裕福でないながらもそれなりに楽しくて、母が作り上げる美しい衣装の数々をうっとりと眺めているのがわたしはとても大好きだった。


 一枚の布が様々な型紙と共に裁断され、平面だったものが立体的に繋ぎ合わされ変化していく様はまるで魔法のようで。


 その魔法に魅了されたわたしが母と同じ道を選んだのは至極当然のことで、運命なのだとさえ思えるほどだった。

 母の手解きから始めたお針子としての人生。母から師へと変わった母はとても厳しく、仕事に一切の妥協も甘さも許さなかった。

 その一途さが母の強さであり、誇りであったから私もそれを受け入れ必死で応えようと足掻いたものだ。


 その母が突然帰らぬ人となったその日。


 訪ねてきた老紳士がパトロンとなるので店を出さないかといってきた。話を聞けば仕立て屋として華々しく活躍していた頃の母に娘のドレスを作ってもらったことがあったらしい。

 そのドレスを着て出たパーティでとてもいい縁談が舞い込んできたのだと。


「彼女のドレスには幸運を呼びこむ力があった。強く、美しく、そして品がある……あんなドレスを作れる者はそうそういない」


 手放しでほめられてわたしは鼻高々になり、そうだろう、そうだろうと内心で頷いていた。


「あなたにもその才能がある。ぜひ力になりたい。あなたが作るそのドレスで淑女たちを幸せにしてやってほしいのだ」


 正直わたしには母のようなドレスを作れるだけのオリジナリティやアイディアはなかった。それでもぜひにと乞われ、あなたのドレスは素晴らしいとほめそやされて。


 愚かにもその気になってしまったのだ。


 今まで触れたれたことのないような上等の生地、レース、リボンに絹でできた刺繍糸や宝石たち。夢見心地で作り上げたドレスを磨き上げた美しい娘や女性が着て社交界に彩を与えている。


 そう考えるだけでわくわくした。


 だけれども。

 わたしには過ぎた世界。

 過ぎた仕事だったのだ。


 仕事は丁寧で綺麗だけれど面白みがなくどこか古臭さが滲み出ている。もっと斬新なドレスを。もっと沸き立つような情熱的なドレスを。


 求められたところでわたしの中にあるのは母から教えられた昔ながらの図案やパターンしかなかった。


「残念だけれど」


 そういって断られるたびにしくしくと胃が痛んだ。仕入れ業者に支払う金に困るようになり、ついには家賃すら払えなくなったわたしはあの老紳士に泣きついた。


 それしか方法がなかったからだ。


「もう十分夢は見させてやっただろう?彼女の娘だというからほんの少しばかり期待していたが。所詮は貧しいものを相手にしかできぬだけの技術しか持たずにいた己を恥じなさい」


 まさか母を褒めたたえた男に母から教わった技術を貶められることになるとは!


「まあ器量は悪くはない。そこは彼女から受け継いでいる……ふむ、悪くない」


 ぶるぶる震えるわたしを抱き寄せ紳士は薄い笑みを浮かべた。いやらしく触れてくるその手から逃れようと身を捩るが、老いたとて相手は男である。

 長椅子に押し倒され与えられた屈辱をわたしは一生忘れないだろう。


 ああ。

 わたしはなんてバカな女なのか。


 母が仕立て屋を辞めた本当の理由に気づかなかった。

 同じ目にあってようやく。


 生理が止まってからひやりとした日々を過ぎ、つらい悪阻に襲われて。少しずつ膨らんできた腹を見て思うことはただひとつ。


「出来上がりを左右するのはあとのしまつだから手を抜かず丁寧に」


 鋏を手にわたしは布を断つ。

 小さな、小さなその断片を丁寧に繋ぎ合わせて。


 あとのしまつを怠らぬよう慎重に赤ちゃんのための衣服を作るのだ。



 



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