サボタージュの定理

Doskoy Boys

サボタージュの定理

朝と夜は交代制である。

白夜も極夜も無限では無い。

それに似て、私達は常に1つの状態にあり続ける事はできない。


今から一生、豚肉しか食べられない生活では飽きてしまうだろう。

ん?

私は毎日同じ事の繰り返しだって?

それは違うんじゃないかな。

我々は絶えず変化し続ける、そして飽きやすいのだ。


人間は常に変化する生き物である。

昨日までの1週間を思い出してみよう。

毎朝同じ話題で挨拶したり、同じ数の米粒を胃に入れている訳ではないだろう。

三平方の定理を3つの教室で一斉に教えても、文言は微妙に変化する。

同じセットリストでもステージングはその日の心境で変わる。

毎日ボールペンで丸を描いても形は違ってくる。


それと同様に、幸や不幸と認識される心境も代わる代わるやってくる。

給食の配膳係が当番制で回る様に、起きていれば眠くなる様に。

栄枯盛衰、諸行無常、雨過天晴、無形流氷。

失礼、最後のは勝手に作ってしまった。


人生良いと認識できることばかりじゃないが、悪いと認識できることばかりでも無い。

酸いも甘いも噛み分けるとも言う訳だし。

だからそんなに落ち込まなk…え、無責任?

まあ、そうおっしゃらず。

前向きな話をすれば元気が出ると思うのだ。



多くの人が「現実は厳しい」と口にする。


しかし、彼らの目に映る現実とは何だろう。

彼らが口にしているそれは何だろう。

現実を悲観的に言葉にする人は、事実情報を元に主観を通して

自身へ負荷を与える情報のみを膨張させ、その意識で潰れかかってはいないだろうか。

限られた場所、限られた関係の中で。


現実には悲しい意味しか存在しないのだろうか。


現実には人が後付け出来るような良い意味も悪い意味も無いのだ。

人が調べ、見つけ出す前から「そこ」にあった膨大な情報と仕組みがあり、人にわざわざ語られる必要の無い意味がただある。


あなたが人との関係で悩んでいる、その同じ時間に、森の奥では葉の先から雫が滴り落ちている。

あなたが何もかも投げ出してしまいたくなっている正にその時、遥か遠くの山脈では、崖を行き来して生きる四足獣がいる。


なんとまあ、不思議なことだ。


でも、これは実際に起きている事実のひとつだ。


どうだろう、「今」「ここ」以外について、少し目線をずらしてみるのは。


目の前がずっと暗く寒いままでは、我々の歴史はここまで続かなかった。

太陽のように意識を昇らせ、変化を与えなければいけないのだ。


これは地球が日々行っているファインプレーに酷似していると言えよう。

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