第31話「時間が経てば目を覚ますでしょう」

 二人がバチバチと火花を散らしている間に、離れていた綾咲がスッとマコの側へとやって来た。

「綾咲ちゃん……?」

 マコが目を向けるが、綾咲は隣で壁に凭れて前を見るばかりである。

 マコが首を傾げていると綾咲は視線をそのままに──マコだけに聞こえるような小さな声でヒソヒソと呟いてきた。

(此処は選択の時だわ。貴方はどちらの味方をするの……?)

「え……?」

 綾咲からの問いに、マコは固まってしまう。


──どちらかを選ぶ?

──どういうこと……?


 マコが困惑し、動揺していることなどお構いなしに、さらに綾咲は言葉を続けた。

(マコだって、いつまでも傍観者の立ち位置に居ることはできないわよ。生き残るためにどちらを生かして殺すか……それを選ばないと)

「そんな……。そんなこと、できないよ……」

 マコは震えた。

 自分が生き残るために誰かを蹴落とし、罪を擦り付けなければいけない。目の前で繰り広げられている醜い争いに、マコはどこか一線を置いていた。眼鏡の男を見て酷い──清澄の振る舞いが酷い──第三者意見で、それは無関係な立ち位置からの言葉であった。

 しかし──実際はマコもその当事者の一人なのである。手にした刃を、誰かしらに突き付ければならない。

(永遠に、ここに居るつもり? 事件を解決していかないと此処から出ることはできないのよ? しかも、出られるのはただ一人……だったら、いずれにせよ清澄君か間石君……どちらかには犠牲になってもらわないといけないわ。それを選択する時が今なのよ。……それとも、貴方は犠牲になりたいの?)

 マコの頭の中に浮かんだのは、佐野や眼鏡の男の最期であった。モニター越しに殺害された彼らの映像が頭の中に浮かんで震えた。

──死にたくない。

──生き残りたい。

 それが、マコの本心であった。


(だったら、決めなければならないの……)

 綾咲は顔を上げ、天井からぶら下げさられたモニターを睨み付けた。その前に待機している警官の姿を思い、吐き気を催した。

 ここに居る人たちの命を生かすも殺すも、全ては警官に委ねられている。必ずしも、警官の言うとおりここから脱出できるとは限らないが、それでも信じて──希望を持って──犠牲者を出しながら事件を解決していくしか、生き残る術はないのである。

「やらない、と……。じゃないと、私は……」

──逆に食い物にされて殺させるかもしれない。

 今は清澄と間石が歪み合っていて気が付いていないが、明らかにこの中での弱者はマコである。二人して牙を向けられれば、すぐに陥落してしまうことであろう。

 そうならないために──自分を生かすために、ヤるならば今しかない。

──そのことに気が付いたマコは、絶句したものである。

 今ヤラなければ、次は自分が死ぬ。しかし──。

「……選べないよ……。どっちかだなんて……殺す人を選ぶなんて、そんなの……選べないよ……」

 マコは声を震わせ、涙目になってしまっていた。

 非道になれないマコに送った綾咲の目は冷ややかなものだった。

「……なら、間石君と清澄君と協力して、マコを犯人に仕立てあげようかしらね……」

 何を思ったのか、綾咲がクスクスと笑い、壁から離れて動き出した。

──それこそが、頭に湧いたマコが恐れていた事態である。

「や、やめてっ!」

 マコは慌てて綾咲の腕を掴み、清澄たちに近付こうとする彼女を止めた。

「お願い……! お願いだから、やめて! やめてよ……」

 マコは泣いてしまっていた。

 自分が死ぬのも怖かったが、唯一の親友である綾咲に裏切られて敵対されることも悲しかった──。

 綾咲は、そんなマコの手を無情にも振り解いた。

「いつまでも逃げてなんていられないのよ。……どっちみち、此処で犯人を挙げなければ虚偽通報で清澄君が処刑されることになるわ。それで次もまた残った四人で蹴落とし合うだけ……逃げ続けられるわけじゃないのよ!」

 キツいような綾咲の言葉が、マコの胸にグサリと刺さる。

──いつも他人の背中に隠れ、現実から目を逸らしていたマコ。しかし、ここでは当事者の一人である。自発的に動き、強くならなければ取って食われてしまう──覚醒しなければならない時が来た。

 それは即ち非道になり、自分が生き残るために他人を欺き、蹴落とすということである。

 マコの中で、何か邪悪なものが沸々と湧き上がってきていた──。

 その行為自体は、この場においては決して『悪』ではない。

 生き残る為には必至──仕方のないことである。そうしなければ、先に待ち受けるのは──『死』であるのだから──。


「……そうだね。分かったよ、綾咲ちゃん……」

 冷淡にマコは笑った。

 そんなマコの目を見た綾咲は背筋にゾッと冷たいものを感じたものだ──。

 顔を上げたマコの瞳から色は消えていた。

 感情のない、くすんで黒く淀んだ──そんな闇の奥底へと落ちてしまったような色へと変わってしまった。


「ありがとう、綾咲ちゃん。私、今なら誰でも殺せそうだよ……」


 漆黒の闇に飲まれたマコは、言い争う間石と清澄に殺意の篭った視線を向ける。

──殺す、殺す。

──殺してやる……!

 憎しみが──怒りがマコの中で膨張していった。

 二人を抹殺すべく、マコは前に踏み出した。


──ギュッ!

「え……なに?」


 そんなマコの背中に、唐突に綾咲が抱き着いてきた。

 驚いたのはマコである。

 マコを蛇の道に先導し、覚醒させた綾咲が──まさか、そのような行動を取るとは思いもせず、マコは困惑していた。


「うん。今のマコなら、これから一人でも生きていけそうだね」

「え……? どういうこと?」

 綾咲が何を言っているのか──何をしているのか──何がしたいのか──マコには何一つ分からなかった。


「このままだったら、マコは必ず誰かに食い物にされて地に落ちるだけだったもの。誰の助けも……人に頼ることもなく、自分で行動をしていけるようにならなければ……」

「助け? 人を頼る? 何を言ってるの、綾咲ちゃん……んっ!?」

──不意にマコは口を塞がれた。ハンカチのようなものを口元に押し付けられ、呼吸が苦しくなる。

 身悶えするが、綾咲は離してはくれない。

 マコは一瞬、死を覚悟したものである。

「マコには死んで欲しくないわ……」

 穏やかな綾咲の声が耳元で聞こえた。

「……だから、最後まで一人でも生き残れるように強くなって欲しかったのよ……。良かった……それで良いのよ、マコ……」

 綾咲の声は震えていた。

 ポタリと地面に何かが落ちる。


──ふと、綾咲はマコを解放してくれた。

 マコから手を放した綾咲は横を通り抜け、振り返った。その目には涙が浮かんでいた。


「綾咲……ちゃん……?」

──急に、マコの視界はぐにゃりと歪んだ。

 立っていることが困難になり、その場に膝をついてしまう。


「お、おい、城田君! 大丈夫かね!?」

 マコの異変に気が付いた足達が慌てて駆け寄ってくる。

 マコの目は虚ろで、意識は混濁しているようであった。足達が呼び掛けても反応はない。

「これは……」

 驚く足達に、綾咲は手にしたハンカチをヒラヒラと掲げて見せた。

「……持ち帰ってきた証拠品の薬品が塗りつけてあります。安全性は一応確認していますから、時間が経てば目を覚ますでしょう」

 人知れず、証拠品を持ち帰っていた綾咲はその安全性を警官に確認していた。麻酔薬だか睡眠薬だかは知らないが半日程眠れば意識は戻るという話であった。

 そう言われても余りマコ相手に使いたくない代物であったが、勝負を決めるならここしかない。

 綾咲は決意したのだ──。


 綾咲はマコの上着のポケットから証拠品を取り出すと、自分の懐に移して忍ばせた。

「足達さん……マコのこと、宜しく頼みますね」

「あ……ああ……」


 足達にマコを託し、綾咲は戦場へと向かって歩き始めたのであった。

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