第18話「今よ! 逃げましょう!」

「ふ~っ、いいお湯だね……ブクブクブク……」

 マコは湯船に顔をつけると息を吐いてブクブクと泡を発生させた。


 綾咲はボディーソープで泡だらけになった肌を手で擦りながら、シャワーで洗い流していた。

 至福のひと時であった。


「アイツら、いったい何者なのかしらね……」

 それでも、頭からお湯を浴びた綾咲の口から出たのはそんな話であった。気分転換も兼ねて此処へと来たのだが、どうしても話題はそちらの方に向いてしまう。

 実際に今置かれている状況がそれなので、そもそも目を逸らすことは不可能であるのだが──。


「もしかして、本物の警察関係者が手を引いているのかなぁ……」

 マコは薄々感じていた考えを口に出してみた。

 警察学校三百三十六期生の面々が、こうもまとめて施設内に閉じ込められているのである。警察学校──あるいは警察組織が裏で糸を引いて、こんな凄惨な監禁ゲームを行わせているとは考えられないだろうか。

 そんなマコの呟きに、綾咲は「どうかしらね?」と首を傾げた。

「マコたちだけならそうかもしれないけれど、私とマコは兎も角として……他の人たちとは面識すらないのよ」

「そう言えば、そうだよね〜」

 綾咲は警察学校とは無縁の一般人である。

 マコたちだけなら兎も角、どうして警察組織とは関係ない綾咲が同様に監禁され、同じ様に生存を賭けて争わなければならないのか。

「でも……」と綾咲は顎に手を当て、考えながら呟いた。

「一個人の仕業ではないことは確かなようね。それにしては大掛かりですもの。あちらサイドには複数人居るようだしね」

「それは、そうよね……」

 こんな施設を一個人で使用するには、どれ程の膨大な資金が掛かるのだろうか。余程の金持ちでなければ、そんな桁違いなお金を調達することは不可能である。

 それに綾咲の言う通り、動物のお面をつけた人物は複数人居た──。

 大人数で、膨大な資産を使ってマコたちにこんなデスゲームみたいな真似をさせているのである。犯人たちの目的すら、マコには見当もつかなかった。


「……まぁ、拉致監禁されるだなんてあり得ない状況だけれども……それでも楽観的に考えればまだ良い方かもしれないわね。拘束具で縛られる訳でもなく、こうして自由に動き回ることが許されているんですもの」

 気休めとばかりに、綾咲もマコに倣って楽観的な思想を浮かべてみた。

──しかし、それには流石のマコも賛同し兼ねるようだ。

「そりゃあ、不幸中の幸いかもしれないけど……不幸なことには変わりないわよ……」

 頭の中に、無惨に葬られた佐野の姿が浮かんでマコは身震いをした。

 決して、幸いなどではない──。

 自分たちも、あの様な酷い目に合うかもしれないのである。

「……ごめんなさいね」

 マコの表情が曇ったのを見て、綾咲は少しフザケ過ぎたと反省する。

「そうは言ってもこの先どうなるか、お互い分からないわ。健康体でいる内にやれることはやっちゃわないとね……」

 一応元気付けるつもりで綾咲は言ったのだろうが、今後の不幸を予期しているかのような言葉にマコの表情は引き攣ってしまう。

 綾咲はどんどん泥沼に嵌っていってしまうので、頭を抱えたものだ。


 その時であった──。

──ガラガラガラッ!

 浴室の引き戸が開いた──。


 マコは体が固まったものである。

 ここに閉じ込められている女性陣は、マコと綾咲しかいない。

 となれば、此処に入って来た相手は異性でしか有り得ないのである。

「きゃぁああああっ!」

──マコは反射的に悲鳴を上げ、手で体を隠した。


「貴方、何者よ!?」

 綾咲の気丈な声が聞こえてきたので、マコも侵入者に目を向ける。──そして、驚愕してしまった。


 扉の前に立っていたのは──顔をガスマスクで覆った謎の人物である。

──しかも上半身裸で、唯一身に着けているのは白色のブリーフのみであった。


 そんな男が入り口の扉から浴場に侵入してきたので、マコの思考はパニックに陥った。

「えっ!? え? な、なに? 誰!?」

 普段は冷静沈着な綾咲も何も身に着けていない全裸の状態で強気にも出られず、動揺を隠せない様子だ。


 ガスマスクの男は堂々と土足で浴場に足を踏み入れると、洗い場の中央で腰をクイックイッと怪しい動作を始めた。

──マコたちは、呆気にとられたものである。

 それより何よりマコの羞恥心は限界に達していた。

「出て行ってよ!」

 マコは叫び、近くにあった風呂桶を拾ってガスマスク男に投げ付けた。

 マコも女性とはいえ警察学校で訓練を積んできた身であるの端くれである。柔道や空手の心得もあるので、例えガスマスク男が逆上してきたとしても打ち負かせる自信くらいはあった。

──勿論、ガスマスクの男が犯人グループの一味であったとすれば、手を出せば我が身が危なくなるだろうが──羞恥心と怒りが頂点に達していたマコにはそんなことを考える余裕すらなかった。

 ただ、目の前の覗き魔を追い払うべく投擲を放った。

 ところがガスマスクの男は華麗なバックステップで風呂桶を躱すと、体を隠すように丸まっていた綾咲の後ろを取った。そして、隙あり──というように、唐突に抱き着いたのだ。

「ぎゃぁあぁあああぁああ!」

 思わず綾咲は悲鳴を上げた。


「やめなさいよっ!」

 マコもさらに怒り心頭である。

 友人を痴漢から救うべく湯船から飛び出ると、浴場備え付けの洗面器やプラスチックの椅子を手に取ってガスマスク男と対峙した。

「変態! 離してっ!」

 綾咲がガスマスクの男に蹴りを入れる。

 腹にまともに蹴りを受けたガスマスク男はよろけて綾咲から離れた。それをチャンスとばかりに、マコはありったけの物を投げ付けた。

 ガスマスク男は手を前にガードをして、飛んできた物から身を守る。


「今よ! 逃げましょう!」

 綾咲の叫びを合図にマコも動き出し、二人は浴場から飛び出した。

──更衣室を駆け抜ける。

 振り向くと、よろけたガスマスク男が顔を上げて追跡すべく一歩を踏み出したところであった。

 ふと、視界の片隅に貼り紙が見えた──【覗き常習犯】。

 追い掛けて来るガスマスク男に恐怖を感じたものである。自分たちが裸であることも忘れて、マコと綾咲は廊下を夢中で疾走した。


「あ、おい……。何をしているんだ……」

 途中で教官らと擦れ違ったが、それどころではない。

 振り向けば──ガスマスク男が後ろから追ってきている。

 助けを求める声すら上げられず、マコと綾咲は夢中で走った。


──そして、二人はマコの部屋の中へと逃げ込んだのであった。

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