11 逃走

「よくうちに来る冒険者と話しをするんだけど、ここは森の深くとは言っても、まだ人間の領域なんだ。普通はあんなに巨大なモンスターがいるはずがないのに!」


「……そういうことか。厄介なことになったな」


「何か分かったのかい?」


「仮説だが、奴らは魔石に引き寄せられたのだろう」


 魔石とはマナの結晶体であり、強力な魔法効果を帯びている。

 アルヴィ達は今、五種類全ての魔石を所持している。強力なモンスターが、遠くからやって来てもおかしくはないのだ。


「奴らの狙いが魔石というならば……ここで隠れているのも危険だろうな。ミハイロ。君も準備運動くらいはしていた方がいい」


「分かった。って、アルヴィは何をしてるんだ?」


「生き残る準備だ。この魔石はミハイロに使ってもらう。そもそも俺は魔法が使えないからな」


 アルヴィは鞄の中から、青く澄んだ色の魔石を取り出した。


「ミハイロ、風魔法は使えるか」


「いいや、使ったことはない」


「それでは今日、初めて使うんだ。俺が合図をしたら、強い風をイメージするんだ。そして〝風よ吹け〟と唱えてくれ。魔石の魔法の増幅効果を信じるしかない」


「わ、分かったよ」


 獣の足音はまだ近くにある。テントの周囲をぐるぐると回り続けているようだ。

 だが徐々に、しかし着実に近づいてきている。焚火の影が、いっそう大きく動く。


「ゴフ……ゴフ…………!!」


「テントを出るぞ。奴らが焚火に最も近づいた瞬間、焚火の中に風の魔石を投げる。ミハイロは、焚火に向かって風魔法を発動させて――――」


「ウオオオオオン!!」


 アルヴィが言い終える前に、モンスターが雄叫びを上げた。

 次の瞬間、テントが一瞬にして吹き飛んだ。ついに気付かれてしまったのだ。

 恐ろしく巨大なオークがその姿を現した。しかも三体もいる。さすがのアルヴィもその光景に背中が寒くなる。


「ミハイロ、躱せ!」


 オークが拳を二人に叩きつける。アルヴィはミハイロを突き飛ばした。ミハイロがいた地面が深く陥没した。


「ひ、ひええええ……!!」


「ミハイロ、作戦を思いだすんだ。俺が奴らを誘導する」


 アルヴィは左手に魔石を入れた布袋、右手にはナイフを持ち、オークから距離を取る。


「ゴフ……ゴフ……!!」


 案の定、三体のオークは魔石を持つアルヴィに狙いを定めた。アルヴィはジリジリと距離を取り、風上に移動する。そして袋をじゃらじゃらと鳴らし、挑発する。


「ほら、これが魔石だ。どうだ、欲しいだろう?」


「ゴオオオオオ!!」


 三体のオークは鼻息を荒くし、追撃の態勢を取った。

 次の瞬間、アルヴィは風の魔石を焚火の中に投げ入れた。


「ミハイロ、今だ!」


「風よ吹け!」


 ミハイロの詠唱によって焚火の中で微弱な風が巻き起こった。そこに風の魔石が反応する。微弱な風は一転して、暴風となる。魔石が魔力で生み出された風に強力に反応したのだ。

 風は焚火の灰や燃えかすを巻き上げ、オークの目を潰した。


「オオオオオオ!! ゴオオオオオオッ!!」


 オークの苦悶の声が暗い森に響く。

 致命的なダメージにはならないが、逃げる時間を稼ぐには十分だった。


「逃げるぞ!」


 アルヴィとミハイロは、夜の森に駆けだした。


  *


「はあ、はあ……なんてこった。まさかあんなに危険なモンスターに出くわすなんて……。それも三体も……!!」


「魔石とは中々に厄介なものだな」


 魔石は僅かな量で小さな風を暴風にするほどの効果を持つ。しかし同時に魔物も引き寄せる。やはり取り扱いには注意が必要なようだ。


「少し歩こうよ、アルヴィ。さすがに息が持たないよ」


「そうだな。作戦を立て直す必要もある。歩きながら考えるとするか」


 駆け足で村に戻ったとしても数時間はかかる。しかもただ逃げるだけでは、体力のあるオークの方に分がある。やはり何らかの策を考える必要があるのだ。


「魔石は世界の至るところに存在するはずだ。だというのに、魔物は俺達に引き寄せられている。……やはり一箇所に集中してあることで、魔物を引き寄せやすくなっているのだろうな」


「そういえば王都には巨大な魔石があるけど、魔法で封印されているらしい。モンスターを寄せ付けない工夫がされているんだろうね……」


「であれば、俺達も魔石の効果を封印する魔法が使えればいいのだが」


「その手の魔法は、一流の宮廷魔術師が使うものだ。僕みたいな素人には、到底不可能な話さ」


「だろうな。やはり俺達はこのまま逃げなければならないという訳か」


 二人は相当な距離を走っていたので、オークの姿は既に見えない。

 が、敵は魔石を感知している。確実にこちらに近づいてきているはずだ。

 この暗い森の奥から、いつオークが現われてもおかしくはないのだ。


「オークの狙いが魔石なら、ここに置いて行った方がいいんじゃ」


「それでは書庫に入れない」


「君は何て頑固なんだ! まあ予想はしていたけどさ……」


「そもそも俺は、ディオレス先生の書庫に入るためにここまで来たのだ。あのオークどもが俺に大量の書物をよこすというなら魔石を渡してやっても構わないが」


「話が通じる相手に見えたかい?」


「暴力なら通じそうだったな。つまり俺達に選択肢は二つだ。戦い、オークを倒すか。逃げ切って村に辿り着くかだ」


「でも逃げ切った場合、僕らが村にオークを呼び寄せたことになる。村に災いを呼び寄せた罪で、間違いなく死刑になるよ。あのルガーは君が死刑になったらさぞ喜ぶだろうね」


「結論は出たな……つまりは戦うしかないという訳だ」


「あの三体のモンスターとか。考えるだけで寒気がするよ……」


 アルヴィは、さらに歩きながら考えを巡らせる。

 オークを倒すには魔石を使うしかない。

 だがあまり早い段階で魔石を使い切るのはまずい。

 オークを倒した後、他のモンスターに遭遇する可能性があるし、何よりも魔石がなければディオレスの書庫に入れない。


「ふむ……中々にやっかいな問題だな。だが何とかしてみよう。いわゆる最適化問題というやつか。最終的なゴールは、村に五種類の魔石を持って帰ることだ」


「あ、アルヴィ……さっきからぶつぶつ言っているけど本当に大丈夫なのか?」


「問題ない。問題とは、問いを立てた時点でほとんど解決したも同然だ」


「何だかよく分からないが、もの凄い説得力がある……これも前世の記憶のせいなのかい?」


「まあ、学生に講義をしていたこともあるからな。とは、言えそんなことはどうでもいい。もう一度走るぞ。またオークが近づいてきているはずだからな」


「ええ、またかい?」


「村までの距離と、魔石の残量、オークとの距離と倒せる条件を考えると、今は走るのが得策だ」


「やれやれ。僕が取れる選択なんて、最初から決まっていたんだ。君と村を出発することに決めた時からね……友よ。君を信じよう。だがこの借りは大きいぞ?」


「もちろんだ。いずれ倍にして返そうじゃないか。と言っている間に奴らが近づいてきたな」


 ――オオオオオオン!!

 闇の奥から雄叫びが響く。炎と風の魔法で目潰しをされ、怒りが溜まっているのだろう。

 アルヴィ達はさらに先を急いだ。

 やはりオークは遠く離れても、魔石の位置は感知できているらしい。どこまで進んでも、雄叫びが遠ざかることはなかった。


「よし……この辺りにするか。ちょうどいい地形だ」


 アルヴィは立ち止まり、オークがいる方向を振り返った。


「あ、アルヴィ。本当にやるつもりなのかい? というか、どうやってあんなでかいモンスターを倒すんだ」


「大丈夫だ。俺が言うとおりにやれば確実に勝てる。まずは土の魔石だ。あそこに川があるだろう。川の真ん中に巨大な壁を作るんだ。流れをせき止め、水を溢れさせる。細かい詠唱はいらない。ただ大量の土をイメージして唱えるだけでいい」


 アルヴィは土の魔石を大量に川の中に放り投げた。そして同時にミハイロが呪文を詠唱する。


「わ、分かった……〝溢れよ、土〟」


 魔石が反応し、一瞬で川の中に大量の土が生成された。行き場を失った大量の水が流れ出していく。ちょうどアルヴィ達が逃げて来た方向だ。


「これくらいでいいだろう。土の魔石は多めに採っておいて正解だったな。中々良い感じではないか」


「でも、これで奴らにも僕らの位置がばれただろうね」


「恐らくはさらに加速してくるだろう。だがそうでなければならない。この地形が来るのを待っていたのだからな」


「地形……?」


「気にするな。すぐにその意味が分かる。ミハイロ、次の魔法の準備だ――来たぞ」


 狙ったとおり、オークの足音が加速した。

 もはや数十メートルにも満たない距離まで詰められている。


「俺が合図をしたらまずは水だ。その次が雷だ」


 三体のオークが月の明かりに照らされた。爛々と輝く目は、怒りに満ちていた。敵の目的が魔石を手に入れるだけでなく、アルヴィ達を殺すことも加えられているようだ。

 だが、それもアルヴィの狙いどおりだった。

 敵には確実にこちらに来て貰う必要があるのだから。


「オオオオン――!!」


 三体が突進してくる。大地を一歩蹴るたびに、背筋が冷たくなるような勢いで加速する。

 アルヴィが想定していたよりも、オークの移動速度は速かった。しかし大した問題ではなかった。


「魔石が欲しいんだろう。ならば、これをくれてやる!!」


 アルヴィは水の魔石をオークめがけて投げつけた。


「今だ! やれ!」


「水よ、包み込め!」


 巨大な水の膜がオークを包むように生成された。

 次の瞬間、びしゃあ! と水の膜がもの凄い勢いで弾けた。

 溢れ出した川の水も加わり、オークの巨体はずぶ濡れになる。


「ほらどうした、まだまだあるぞ!!」


 次にアルヴィは雷の魔石を大量に投げつけた。同時にミハイロが詠唱する。


「〝奔れ、雷!〟」


 ――パァァァァアン!!

 夜を貫くような閃光が疾った。

 雷は水を伝い、オークの全身を貫いていった。

 オークは一瞬で全身が黒こげになり、断末魔の叫びを上げることすらなく、地面に倒れ込んだ。

 水と土の魔石でオークを十分に濡らし、雷の魔石で感電死させる。

 それがアルヴィの作戦だった。シンプルだが、強力な攻撃だった。


「や、やったのかい!?」


 ミハイロは恐る恐る問い掛ける。

 オークはぴくりとも動かない。


「一つ良いことを教えてやろう。敵を倒した時に『やったか?』というのは禁句だ。俺がかつていた世界では、それは蘇生魔術、あるいは因果逆転の神秘魔術に該当する。『やったか?』と言うと、その言葉は因果を逆転させ、どういう訳か『やってなかった』ことになる」


 アルヴィは冗談めかして言う。フラグというやつだ。

 もちろんミハイロにそんな冗談が通じるはずもない。真顔になって飛び跳ねて、オークから離れる。


「ええ!? 嘘だろう!?」


「本当だ。今からでも訂正した方がいい」


「や、やったぞ! アルヴィは、間違いなくオークを倒したぞ!」


 オークはやはり再び動くことはなかった。それどころかあふれ出る川の水に巻き込まれ、遠くの方へと流れていった。


「ところで、俺からも君の発言を一つ訂正させてもらおう。オークを倒したのは、ミハイロと俺だ」

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