世界を救った勇者が望んだ人生

地水火風

世界を救った勇者が望んだ人生

 病院で一人の老人が息を引き取ろうとしていた。男の名は田中一郎、名前も平凡だが人生も平凡だった。今の年齢も81歳で平均寿命である。ただ男は幸福感に包まれていた。


 自分の人生が走馬灯のように浮かぶ。勉学も運動も人並。ただ、いつも幸せそうにしているせいか友人には恵まれた。よく友人には、いつも幸せそうに笑っているな、と言われていた。


 一流とは言えないが、そこそこの大学を出て、中規模の会社に入社した。大きな出世はしなかったものの、上司や同僚にも恵まれ、仕事をすることが楽しかった。


 恋もした、初恋は実らないというが、初恋の相手と結婚することができた。決して美人とは言えないが、思いやりのある優しい女性だった。仕事が遅くなってもいつも笑顔で、おかえりなさい、いつもお疲れ様、と迎えてくれた。自分も子育てやパートや家事で疲れていたにもかかわらず、気遣いを忘れることはなかった。


 自分にはもったいない女性だった。自分はちゃんと彼女を幸せにできただろうか。ふと心配になって、自分の手を握っている女性に声をかける。答えを聞くのが怖いという思いもあったが、それ以上に彼女の気持ちが知りたかった


「私は、君と一緒に暮らせて幸せだった。私は、良い夫だったろうか」


「馬鹿ね。私は嫌いな人と、50年以上も連れ添ったりはしないわ。あなたは最高の夫よ」


 その言葉を聞いて、男は満足する。ああ、なんと幸せなんだろう。


 妻の後ろには3人の子供とその妻や夫、7人の孫がいる。みんな自分を心配しているのが分かる。


「おとぎ話を聞いてくれるかい。たあいのない話なんだがね」


 そう言って、男は静かに語りだす。


「あるところに勇者と呼ばれる若者がいた。勇者は人々の期待を一身に背負い、寝る間も惜しんで努力した。勇者と呼ばれていても、神のような力を持っているわけじゃない。何度も魔物に殺されかけ、それでも諦めず、何度も何度も立ち上がり、必死に戦い続けた。やがて信頼する仲間ができ、ついに魔王を倒し世界に平和をもたらした。勇者は国一番の美女とたたえられた王女と結婚し、末永く幸せに暮らしました・・・とはならなかった。


 勇者は魔王との戦いで疲弊した王国をたてなおそうと、税金を軽くしようとした。だがそれは大臣たちによって阻まれた。出費を少なくしようとして、王女に倹約を勧めたが、王女は聞くことはなかった。


 各地で起こる反乱。それを魔王以上の力で鎮圧する勇者はいつの間にか恐れられ、忌み嫌われた。


 さらに勇者は少しずつ毒を盛られ弱っていった。毒を用意したのは元の冒険者仲間の僧侶、そして毒をもったのは妻である王女だった。


 そして、ついに抑えられない規模の反乱がおき勇者は打ち取られた。倒したのは元の仲間の戦士だった。


 勇者の死体は野ざらしにされ、墓も作られることはなかった」


 そこで一旦男は話を終える。


「勇者様がかわいそう」


 まだ10歳にならない孫が、涙を浮かべて真剣に聞いている。もはや正気かどうかも分からない老人の話にだ。男は最後の気力を絞り、骨と皮だけになった、か細い手を伸ばし孫の頭をやさしくなでる。


「お前は優しい子だね。どうかその優しさをなくさないでおくれ」


 手を戻すと、また男は話し始める。


「大丈夫だよ。女神様はちゃんと見ていらした。そして、殺された勇者の魂に願いを言うように言ってくれたんだよ。


 勇者は望んだ。魔物の居ない世界で、平和に、平凡に暮らしたい、と。女神さまは勇者の願いをかなえてくださった。争いのない平和な世界ではなかったけど、その中で豊かで、平和な国に生まれ変わらせてくれた。


 そして勇者は平和に暮らし、本当の愛を見つけ、幸せに最後まで過ごしたんだ」


 そこまで話し終わると、老人は目をつむった。そして深呼吸を一度だけすると、笑顔を浮かべ、そのまま眠るように亡くなった。


 老人の葬儀は派手ではなかったが、たくさんの参列者が訪れた。それを上から見ている若い男女がいる。女性の方は背中から羽が生えていた。


「これでよかったのですか。世界に直接干渉することができないとはいえ、あなたには前回大変申し訳ないことをしたと思っています。あなたがお望みなら、勇者の力を持ったまま、元の世界へ戻すことも可能ですよ。今あの世界はこういっては何ですが、滅茶滅茶になっていますから。勇者の力があれば滅ぼしてしまうことも、世界を征服することもできますよ」


 羽の生えた女性は女神だった。世界を救うべく勇者を送り出したのに、その勇者を散々な目に合わせた世界に対し少々怒りを覚えていた。


「いや、いい。私は満足だよ。こんなにもたくさんの人が、私の為に泣いてくれている。前は唾を吐きかけられたのにね。貴女には、十分な報酬をもらえたと思っている。思った以上の人生だった。これ以上の報酬はいらない。それに、今の気分を壊したくないんだ」


 女神の横にいる、まるでゲームのキャラクターのような恰好をした、若い男が言う。


「あなたこそ、本当の勇者です」


 女神が男に微笑む。


「ありがとう」


 男も微笑むと、すうっと薄くなって消えていく。


 男が消えて行ったあと、女神は男の妻である女性の中へと入っていく。


「さあ、何時までも泣かないで。あの人は笑ってなくなったのよ。きっと天国で幸せにしてるに違いないわ」


 そういって空を見上げた妻の目には、幸せそうに笑っている若いころの夫の姿が見えていた。

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