第15話「あれでも」

「まったく! とんでもないところに来ちゃったかしら」


 レナは、ウィルの農場の2階、自分のために用意された部屋のバルコニーに出て夜風に当たりながら、そう不機嫌そうに呟いた。


 レナは今、ウィルから貸し出された飾り気のないシンプルなネグリジェを身に着けたラフな格好をしている。

 ネグリジェはかつて農場で働いていた女性のもので、今日は外泊するつもりがなくて着替えを持っていなかったレナのために、ウィルがクローゼットの奥から探し出してきたものだった。


 ほとんど飾りつけのない衣装はおしゃれが好きなレナにとっては物足りないものだったが、長い間クローゼットの奥にしまい込まれていた割には状態が良く、着心地は良い。


 レナは今、お風呂上がりだった。

 夜風を浴びているのは火照った身体を涼しくするためと、湿気を帯びたレナの髪を乾かすためでもある。

 少年が1人、老人が1人という農場には、ドライヤーというものは存在しなかったのだ。


 数年前までレナにとっては当たり前だった、「高級ホテルのスイートルーム」という環境とは比べるべくもない状況だったが、思っていたよりも快適ではあった。

 何より、農場はウィルがよく働いて掃除が行き届いているおかげで、清潔であるというのが大きい。


 唯一の不満点は、すけべジジイがいたということくらいだった。


「お姉さん、入ってもいい? 」


 レナがバルコニーの手すりに体を預け、頬杖をいて夜空を見上げながら今後の予定について考えていると、借りている部屋の扉が3回、ノックされた。


「はーい、どうぞ」


 レナが振り返らずに返事をすると、ウィルが部屋の中に入って来た。

 その両手には、湯気が立つ飲み物が入ったカップが2つ。


「お姉さん、ホットミルクはどう? もう牛は飼っていないから、市販のミルクで作ったやつだけど」

「あら、気がきくじゃない」


 レナは体の向きを変え、今度は背中を手すりに預けるようにすると、ウィルからホットミルクの入ったカップを受け取った。

 ありふれた機能性重視の金属製のカップの中で、真珠のような色をしたミルクが湯気に包まれている。


「へぇ、美味しいじゃない」


 カップの縁(ふち)を軽く指で触って温度を確かめた後、少し口で吹いて温度を下げたホットミルクを口にしたレナは、感心した様な視線をウィルへと向けた。


「キミ、もしかして、ただミルクを暖めただけじゃなくて、何か入れてるでしょ? 」

「うん。砂糖を少々、それに、スパイスをいくつか。酒場のマスターに教えてもらったんだ」


 レナに褒(ほ)められて、ウィルは素直に嬉しそうだった。


「もしかして、ウィルくん、けっこうお料理上手だったりする? 」

「どうだろう。他の人の料理って、酒場のマスターのやつ以外、ほとんど食べたことがないから。でも、作るのは得意だよ。この家のことは、僕がいろいろやっているからね」

「お料理に、掃除に、お洗濯に、その上、働いているんでしょ? 大したもんだわ」


 レナは、ウィルの日々の頑張りを尊敬する気持ちになった。

 自分もすでに自立してから2年が経ってはいるが、ウィルの年齢、15歳と言えば、まだ学校に通っていて、大勢の大人たちに守られていた。


 レナはホットミルクをもう2口ほど口に運び、それから、また不機嫌そうな顔をする。


「ウィルくんばかりに頑張らせているのに、あのすけべジジイと来たら! ああ、なんだかまた、腹が立ってきたわ」

「あれでも、凄いじーちゃんなんだけどな」


 老人がレナにどんな狼藉(ろうぜき)を働いたかを知っているウィルは、レナの怒りに苦笑いした。

 そんなウィルの様子を見て、レナは少し興味を持った。

 ロクでもないすけべジジイであるアウスに育てられて、こんなに素直で真面目な少年が育つとはとても思えなかったからだ。


「凄いって、どんな風に? 」

「例えば、早撃ちとか。ああ見えて、じーちゃんすごいんだ。早いし正確だし。あと、MFの操縦なんかもできるよ。今はもう、身体が弱って来たからやらないみたいだけど」

「早撃ちに、MFの操縦? アウスさん、昔は何をやっていたの? 」

「知らない。あんまり話してくれないから。でも、もしかしたら、お姉さんみたいな賞金稼ぎをやっていたのかも」

「ああ、それ、あるかもね」


 レナとウィルはいったん会話を区切り、カップのホットミルクをごくりと飲み込んだ。

 少し温度が下がって、ちょうど飲み頃になっている。


「最初にお会いした時、物腰に隙が無かった。あれは、いくつか鉄火場(てっかば)を経験されてる方みたいね。手癖(てぐせ)は悪いけれど」

「あはは……。農場を始めたのも、僕の両親がキッドに殺された後、僕を引き取ってからだったし。それまでは、宇宙にいたらしいから」

「アウスさんが、育ての親なのよね? 」

「そう。死んじゃった両親の代わりに、僕を育ててくれたんだ。いろいろ教えてもらったんだけど、最近は身体が弱ってきて。今じゃ、ああやって、安楽椅子に座ってる時間が長くなっちゃった」

「それで、農場のことや、アウスさんの身の回りのこともウィルくんが全部やっているっていうわけね。……頑張り屋さんなのね」


 レナの言葉に、ウィルはまた恥ずかしそうに、嬉しそうに笑った。

 そんなウィルの様子を微笑ましそうに眺めながら、レナはカップに残っていたホットミルクを飲み干す。


「ごちそうさま、ウィルくん。……キッドについて教えてあげるっていう約束だったけれど、でも、今日はもう休ませてちょうだい。いろいろあって疲れちゃったの。キッドについては、明日、ゆっくり説明させてもらうわ」

「うん。分かったよ、お姉さん」


 ウィルは少し残念そうな顔をしたが、すぐにそう言ってうなずき、レナから空になったカップを受け取って部屋を出ていった。


「お休みなさい、お姉さん」

「ハイ、お休みなさい」


 最後にそう言ったウィルを、レナはにこっと笑って見せながら手を振って見送った。

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