脱出劇


 飯田淳と言う男はずいぶんと貧相な顔立ちの男だった。小さい耳に小さい鼻、細い顎、身体でも悪そうな青黒い顔色をしている。

 彼は田沼勇二らに仕える半グレの一人だ。飯田の役目は雑役で、今は望月と学生二人の食事係みたいなものだった。なにしろやくざ社会で落ちこぼれたような男だったが、どんな危ない仕事でも平気で引き受けるような所があったので田沼が目をつけ、いいように使っているのだ。


 その飯田が、囚われの身である須藤研一と伊藤理香の様子を見ておけと言われて、夜中に地下の階段を下りて面倒くさそうな欠伸をして牢獄の前に行くとどこか様子が違う。束の間、少し目を擦っていたが「ああ?」と最初言ってから「あれーっ!」と声をあげた。


 そして今までスローモーだった動きを極力速めて鉄の格子にかじりついた。なんと伊藤理香が突っ伏して床に倒れているのだ。それに須藤健一の姿が見当たらない。

 そんな訳はないのである。この堅固な牢獄のような部屋から鍵なしで出られるとしたら蛇か、蟻ぐらいなものだ。いったいどうしたというのか? 


 飯田は不思議そうな顔をして鉄格子に顔を押し付けるようにしてもう一度中をよく見たがやはり、須藤研一の姿はない。


「おい!! どうした?! 男は何処へ行きやがった!」


 叫んだが床に突っ伏している理香は倒れたまま、蒼い頬のまま何も言わない。もしかして死んでしまったのか、さもなければ完全に気絶でもしているようなのだ。

 不安にかられた飯田は腰にぶら下げている鍵の束から目当ての鍵を取り出すとガチャリと大きな南京錠を外し、閂を横に移動させて扉を開いた。そして中に入りしゃがむようにして理香の顔を覗き込んで肩に手をかけた。


「お、おいどうした?! どう……」


 その時である、いきなり背後に気配を感じて身構えたのだが、その時には研一の手に持ったベルトが首に巻き付いて思い切り締め上げられたので、まるで頭を棍棒で殴られたようなショックを感じて気が遠くなった。

 そして大の字にのびてしまったのである。研一は透明人間になったのだろうか?  


 いやそうではない。彼は牢獄の一番奥のちょうど角の所に着ていたグレーのジャケットを頭からかぶって潜んでいたのだ。牢獄の奥の一角はどこからも光の当たらない影の部分があり、そこに上手く隠れていたのだ。これは研一の機転もさることながら飯田が間抜けだったと言った方が当たっているのかもしれない。まあでもそんな訳でこの窮地からなんとか脱出できる光がさしたことは間違いがない。


「すっごい! 須藤さんやったわねえ、ところでこの人死んだの?」


 いきなり理香が起き上って心配そうにそう言った。


「さあ、僕も無我夢中だったから、でも死んではいないと思うよ」


「怖かったわ、心臓がバコバコしてた。でも良かったこのままコンクリート詰めになんかされたくないもの」


「とにかく逃げよう、そして警察に連絡だ」


「でも、出口がわからない!」


「しっ、静かに。とにかくここは地下だから、地上に出るんだ」


 まだ体が震えている理香を促すようにして研一は廊下にでて階段を恐る恐ろる上り始めた。不安いっぱいである。いつ何処から田沼の配下たちが飛び出してくるかもわからない。運を天に任せるようにして狭い通路の階段を一歩一歩踏みしめていく。

 階段を三段上がったところでドアがあり、それを開けると広い踊り場にでた。やはり薄暗いが視界は広がり、尚も進むと上から光が射していた。今度はスロープがあってそこを上ると明るい窓が見えた。地上へ出たのだ。手前に見えてきたドアを開ければ外に出られる。そう思って理香が心に喜びを噛みしめようとしたとき、後方から声がかかった。


「ほう、よくあそこからここまで出てきたじゃねえか!」


 たちの良くない連中が後ろに忍び寄っていたのだ。天運は彼らを見放してしまったのだろうか? 二人は振り返ったが手に武器一つ持っているわけではなかった。チンピラらは四人、ひょうきんな三白眼、坂田をはじめ、大男の村上、小太りの小早川、痩せぎすの土田たちだ。


「ここから逃げ出すなんぞ、不可能だぞ。廊下と階段にはすべて監視カメラが取り付けてある。俺らは田沼さんたちと管制室に居て、おまえらの脱走を見ていたんだ。しかしあの飯田の間抜けにも恐れ入ったよ、飯田はもうおしまいだ。田沼さんが本気で怒っちまったからなあ」


 大男の村上が機嫌の悪そうな声を出した。


「……」


「それでなあ、君たちに悪い知らせだ。田沼さんが一思いにお前ら二人を始末してしまえとおっしゃる。生きていられたら面倒らしいんだな。お前らを死体にしてから体をばらばらにしてコンクリート詰めということらしい」


 まったく凶悪な言い草であった。


「そ、そんなことをしたらすぐに足がつくぞ、僕は車でこの洋館のそばまで来たんだ。ここの近くに駐車してあるから僕らが行方不明になったら警察がここに来る」


 研一が上擦った声でそう言った。


「なあに、そこは頭のいい田沼さんがちゃんと考えているだろうぜ。俺らの知ったことか!」


 理香がもう顔面蒼白で失神しかかっていた。研一も同じ心境だった。


「さあ、おとなしく死んでもらおうか」


 三白眼のふところからナイフが引き抜かれると、理香が膝からくずおれた。だがその時、その中の土田が思いも及ばない台詞をはいた。


「なあ、こんな若い二人を殺すなんてあんまり可哀想じゃねえか、二人ともこれからの日本をしょって立つ前途のある若者ですぜ。このまま逃がしてやりましょうよ」


「……な、なんだと?」


 坂田は一瞬驚いたが、他の二人も当然おどろいて土田に視線が集中した。


「おい、土田どうしたんだ? 正気かおまえ、これは田沼さんの命令なんだぞ」


「ええ、もちろん承知してますよ」


「だったら黙って従え!」


「いやねえ、実はその田沼さんとかいう人が俺は大嫌いなんです」


「お、おいっ土田、口を慎め!」


「嫌だね、俺は生まれつき嘘が嫌いなんだ!!」


「こ、この野郎、とうとう気でも違いやがったか!」


 三人は恐ろしい形相になって土田を睨みつけた。と、その途端に土田が狂ったように笑い出した。


「ふふふふふふっ、あーはははははははっ おーほほほほほほっ!!」


 なんとも薄気味の悪い、ふざけた、奇妙で底の知れない笑いだった。研一も理香もただ黙って事の成り行きを見守るより仕方がなかった。


「ちょっ待て、こいつおかしいぞ。だいたい声が土田の声じゃねえ!」


 小太りの小早川がこの中では一番土田と親しかったので真っ先に不信を抱いた。


「てめえ、誰だ!!」


 小早川がだみ声でさけんだが、その男は動ぜずに尚も大きな声で笑い続けた。


「あーはははははははっ!!」


「てめえ、こっちにきて面を良く見せて見ろ!」


 そういえば土田は今まであえて薄暗い場所に突っ立ったまま、顔さえ良く見せなかった。土田は言われた通りこちらに近づいてきたが、服装はまったくいつもの土田と同じだった。紺の作業ズボンに革のジャンパーという格好である。土田は俯きかげんのその顔を光の中に立ってはっきりとさらした。


「お、おめえ……」


 三人が反射的に後方に距離をおいてさがった。三人が三人共信じられないと言う表情で身構えた。驚きを通り越して恐怖につかまれたようだった。

 それに引き替え研一と理香の表情はなんとも嬉しそうだった。歓喜さえもが瞳に輝いていた。


 そうだ、その男は望月丈だった。精悍で頼もしい望月丈に間違いなかった。しかしおかしいではないか? 彼はあの最強金属ロンズデーライトで拘束されていたはずだ。作者がでたらめを書き始めたのか、いや、ここは望月自身に事の真相を語ってもらう事にしよう。


「そんなに驚くな、俺は幽霊でも忍者でもないぞ! どうした、俺が怖くて仕方がないか?」


 望月の声は意外な程に落ち着いていた。


「や、野郎どうしてあそこから出られたんだ!」


 三白眼の坂田が吠えた。


「実は俺は黒豹だけじゃなく他の物にも変身できるんだな、田沼にいじめられた末にそれに気づいたんだ。ははっ、何に変身したかわかるか? 俺は黒猫に変身したんだ。だから簡単に拘束から解放されたってわけさ、そしてすぐに人間にもどってあの密室のドアを思いっきり叩いたってわけだ。そこに土田が通りかかって慌ててドアを開けて入ってきたんだ。奴は慌ててた。拘束されている俺がドアを叩けるはずがないからな。俺はわざわざ鍵まで開けて入ってきたお客様を丁重におもてなししたって訳さ。今頃土田は俺の代わりに拘束椅子に座っていい夢でも見てんだろう」


「ち、ちきしょう! この化け物野郎!」


「化け物野郎? それは少し言いすぎじゃないか」


 望月が不敵に笑った。


 研一と理香の二人は何が何だかわからず、様子をじっと見守っていた。それに気づいた望月は彼ら二人に声をかけた。


「二人とも、この俺を探して良くここまで来てくれたな。うれしいよ、須藤君、よく俺のGPSを覚えてたな。それでここを探し当てたのだろう、ふふっ、こりゃあ、バイト代は三倍ぐらい払わないといけないかなあ」


 望月の目にやさしい輝きがあった。


「望月さん……」


 二人が同時に声を詰まられせて言った。その一瞬のすきをついて坂田の鋭いナイフが望月の胸のあたりに炸裂した。しかし彼はまるで風のようにそのナイフをかわし、坂田の右手首の関節をとって逆に締め上げた。

 およそ人間離れにした速さだ。ナイフがカシャーンといって床に落下した。そして坂田を手前に引き寄せるようにして強烈な膝蹴りをお見舞いした。坂田が「うおっ!」と言ったきり蹲って動けなくなった。


「おいっ!! おまえらじゃ俺の相手にはならねえぞ」


 そう言っておいて研一と理香に逃げろと目で合図した。そしてドアをけ破る。


「逃げろ! そして警察に連絡しろ!」


 二人が夢中で駆けだすと、逃がすものかと大男の村上が追いすがろうとした。しかし望月の回し蹴りを膝にくらってその場に無様に転倒した。望月はまるで格闘技の達人のようだった。


「あの二人を逃がすな! 田沼さん達を呼べ!!」


 小早川がそう叫ぶ少し前に洋館の裏庭に既に田沼勇二の姿があった。いや勇二だけの姿ではない。背後にはなにやら大きな体躯の男達が十人近く控えていた。彼らは黒い体に密着するような戦闘服ボディスーツを着込んでいた。彼らは兵頭に仕える直属の戦闘員たちだった。みな肩から自動小銃を引っ提げている。彼らは研一と理香の姿を見止めると容赦なく自動小銃で発砲してきた。間一髪、二人は地面に這いつくばってそれをなんとかかわした。

 望月は顔面を硬直させた。そして空中に躍り上がると、ついに大きな黒豹となって出現した。その鋭い目つきに半グレ達は竦みあがったが、田沼は苦々しい表情をしてその様子を眺めていた。


「やれっ!!」


 田沼がそう命令すると戦闘員たちが一斉に射撃を始めた。しかし黒豹は疾風のようだった。身を挺して二人を銃弾から守ったのだ。黒豹は傍に置いてあった車の裏に二人を潜ませ、自ら戦闘員の集団に突進していった。


 黒豹は乱れ飛ぶ銃弾を浴びながらも、熊手のような爪は唸るようにして黒い戦闘員たちを次々にほふった。しかし戦闘員の着用している戦闘服は繊維状の鋼鉄の細いワイヤーが何重にも織り込んである特殊なものだった。

 更に内部に組み込まれているパワーモーターが人間離れした力を秘めていた。並の人間だったらひとたまりもなくねじ伏せられていたに違いない。戦闘服パワースーツは魔豹の爪をもってしても裂くことはできなかった。

 

 戦いは熾烈だった、一人に牙を剥けば他の戦闘員が背後から銃剣をもって背を突き刺した。まるで蟻が大きな昆虫に集団で群がるようだった。だが黒豹の強烈な爪は皮を切らずに肉を切った。それは鉄の爪でくり出す強烈なクンフーパンチだ。

 

 黒豹は無尽蔵のスタミナを誇った。戦闘員たちは、なぎ倒され、打撲傷を負い、内出血等を起こして堪らず倒れていった。

 戦闘員がみな倒され、田沼だけがそこに残るはずだった。しか息を切らした黒豹が戦闘に没頭している間に田沼勇二の姿はすでになかった。

 思わぬ形勢の逆転に戦いを放棄したのか、この基地を見捨てて逃走したのか、いやそれよりこのまま戦闘を続けたら誰かが気づいて警察沙汰になるに違いないからだろう。

 黒豹は執拗に田沼の行方を捜したがやがて諦め、人間の姿を取り戻して研一と理香の前に現れた。負傷はしていたが目は生気に満ちていた。それを見ていた二人はびっくりして言葉が出てこなかったが、しばらくして望月が口を開いた。


「俺はいつだって黒豹に変身できるんだ。おどろいたかい。俺の事が怖くなったんじゃないか?」


「い、いえ、ただもう驚きです。でも望月さん、大丈夫ですか肩から血が出てますよ」


 研一が固い声を出したが理香は意外な程ハイテンションだった。


「病院に行かなくちゃだめです、でも望月さんが変身できるなんて凄すぎる! 身体がぞくぞくして痺れてきたもの。望月さんの正体は正義の黒豹か… 素敵じゃない。わたし子供の頃から変身もの大好きだし」


 苦笑いの望月。


「これしきの傷なんて大したことなない。それより車のキイは俺が探し出しておいたから大丈夫だ。とにかく警察に連絡だ、この洋館が奴らの基地だとわかったら大変な事件になるぞ。ここから出るぞ、いつ奴らが来るかもわからないからな!」


 既に遠方にパトカーのサイレンが聞こえていた。


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