拘束


 望月は目を開けたが、まだ目眩が残っていた。

 薄暗い部屋の中を見回し、失せた記憶を手繰り寄せようとしてもがく。細かい痙攣けいれんが全身に頻発している。自分の喘ぎが音のない世界に拡散して凍りつく。


 ――いったいどうしてこんな事になってしまったのか! 

 

 おぼろげな意識がしっかりしてくると、自分が頑丈な鋼鉄の椅子に拘束され上半身を裸にされている事がわかった。冷たいコンクリートの床、むき出しの鉄の柱、窓さえない密室である。

 闇雲に頭を振るとジグソーパズルみたいに、ばらばらに飛散した記憶の断片がつながりだし、忌わしい記憶が鮮明となった。


 それにしても身動きができない。両手に力を込めれば両手首を金属製のベルトに締め付けられる。そのベルトは獣人の力を持ってしても切れなかった。望月が懸命に目を凝らして周辺を探索していると、数メーター離れた左正面の鉄製のドアが開いた。逆光に目が眩む。

 そこに背の高い男と女のシルエットが浮かび上がった。つかつかとこちらに迫ってくる二人。


「やっと目が覚めましたねえ。望月さん、あなたはもう八時間以上もそうして眠っていた」


 どこかで聞き覚えのある声だ。そうだ、その声の主は茶髪の若い男だ。あのノアビルの前で遭遇した男。今は黒い髪でグレーのスーツ姿だった。改めて男を見やると極めて整った顔立ちに冷酷そうな切れ長の目をしていた。目つきと薄い唇がなんとも非人間的な印象をあたえる。

 女は望月が助けたあの美人だ。やや赤みがかった髪、黒のロングドレスがバランスの良い肢体に密着している、ブローチもヒールも全て黒一色、そのなかにバラのような美貌が輝いてる、彼女は射るような視線を望月に向けた。


「おい! おまえら仲間だったのか。二人して誘拐ごっことは、恐れ入ったぜ!」


 向こう気の強い望月が噛みつくように吠えた。


「だめよ、だめだめ。そんな怖い顔したってあなたは動けないわ、あなたを拘束している椅子とベルトはロンズデーライトでできてるの。世界一固い金属だわ」


「ちきしょう。俺をどうしようってんだ!」


 若い男が口を開いた。


「望月さん、あなたの秘密を私達は知っている。あんたの過去まで、すべてあなた自身より私達の方が詳しいくらいだ。なにしろ我らは黒川と通じていたのです」


「そうかい、そいつあ話が早くていいや。で、俺を動物園にでも売り飛ばそうって魂胆か?」


「馬鹿を言わないでください。あなたは宝ですよ。貴重品だ」


「……」


「まあ、もう少し頭を冷やしてください。そうだ自己紹介でも致しましょうか。私は田沼勇二といいます。こう見えても科学者ですよ。この人は田沼美沙、女医で僕の妹です。あなたを獲得するにはこうするしかなかったんですよ。まともにあなたを拘束でもしようものなら死人がでる」


「死人だ? 俺はもう以前の凶暴な黒豹じゃない、おとなしい黒猫さ。しかしおまえら何者なんだ正体を明かせよ」


「いいでしょう、順を追って話をしますから聞いてください。我々は秘密諜報局ブラックナイトの配下です。あなたの良く知る黒川もその中の一人です。我が国を馬鹿にしてスパイ天国日本などとよく言われますが、実は自衛隊の一部に真の愛国同盟が存在する。最右翼ですよ。彼らは戦時中の特別高等警察や、陸軍中野学校、東機関等を今流に再構築することを真剣に考える一派です。彼らの真情は帝国の再建であり、核の保有です。それが今の安全保全隊、特別暗号名『ブラックナイト』の母体です。つまり望月さん、あなたは黒川が生んだ秘密兵器みたいなものなのですよ、ブラックナイトにこそその所有権がある」


「まるでおとぎ話だな!」


 不機嫌に望月がそう言い捨てた。


「実はねえ、あの超人少年が未だに何処にいるのかわからないの」


 田沼美沙が口をはさんだ。


「ほう、そいつは良かった。お前達には見つけてほしくはねえ。ところであいつは死んだのか、怪物斉田だ。あいつが生きていたんじゃ夜もろくに眠れねえよ」


「残念ながら彼は死にました。聖獣の血と少年の血を合わせた彼の血はどういう訳か不死性が失せていたのです。遺体は秘密裏に我々が処理した」


「……そうか、斉田も哀れな奴だ」


「哀れなんてよく言うわ。お前が殺したくせに…。斉田はわたしの恋人だったのよ、才気のある可愛い男だった。なんでもわたしの言う事をきいたわ」


 田沼美沙がずいぶんと感情的な声をして言った。


「こいつは驚いた、怪物にも恋人がいたのか。しかしどうして俺の消息が分かったんだ」


「望月さん、あんたが海底から復活したとき、太平洋沖で高速船より早く泳ぐ男をそこを通りかかった石油タンカーの船員が目撃した。そしてその男の撮った動画がSNSにアップされたのです」


「……なんじゃそりゃ」


「あなたも能天気な人ですね。そんな怪しい動画を我々が見逃すわけがない。我々はそのSNSを圧力をかけて消滅させましたよ。目立たせたくはない。そして私はあなたをそれからずっと監視していました。そしてどうするか慎重に考えていたのです。それにしてもカマロで夜の東京をかっ飛ばしてたら目立ちすぎじゃありませんか、全くあなたは面白い人だ」


「豹人間は速く走るのが好きなんだよ」


「そうですか、まあいい」


「それで、今後の俺の運命の予定は?」


「ふふっ、余裕があるのね。ダンディを気取ろうたってあなたの運勢は下降気味よ、今に泣き出すから、見てらっしゃい」


 田沼美沙が薄気味悪く笑った。


 その時ドアが開いてもう一人の人間が入ってきた。と二人がかしこまるようにして一礼をした。雰囲気からして彼らの上司か、とにかく身分が上のようだ。


 痩身で壮年の男は空恐ろしいほどの威厳のようなものを身体から発散していた。ステッキをつき、まるで旧日本軍の幹部のような軍服を着ていた。頬に傷があり、眼光に刃物のような鋭さを秘めていた。男の名は兵頭玄一。ブラックナイトの功労者であり物理学の博士でもあった。男は望月に近づきじっくりと値踏みでもするような目つきをしてから低い声を出した。


「これが豹か?」


「はい」


 田沼勇二が神妙に答えた。


「なあ、君、望月とかいったか、我らに協力せんか」


「……」


 望月は目を閉じたまま無言だった。


「ところで田沼、黒川の研究資料は手に入ったのか?」


「そ、それがあの精神療養院は警察が介入してすべての資料を引き上げてしまいました。我々が東少年を探している間に、一足違いで検察が乗り込んできたのです。警察は黒川殺害事件を調べていますし、今のところ手が出せません。警察はあの病院を閉鎖し地下の人間達もすべて他の病院に収容してしまった」


「面倒なことになったな、まあ奴らのような低能どもに聖獣の秘密は簡単には解けまいが」


「ここに何よりも勝る資料がありますから……」


「そうだな、よく彼を確保したな田沼」


 田沼勇二がまた畏まって一礼した。

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