第10話 この世界の片隅で

「ゴロゴロ、ゴロゴロ」 

 私は自分で口に出すほど、彼の家でゴロゴロしていた。

「ゴロゴロ、ゴロゴロ」 

 彼の膝の上に頭を乗せ、私はさらにゴロゴロする。彼の膝の上はなんか気持ちよかった。

「う~ん、なんか幸せ」

 こうしている時が一番幸せだった。彼はそんな私を、真上からやさしく見つめる。微笑む彼も幸せそうだ。彼が幸せだから、私もさらに幸せだった。

「う~ん」

 やっぱり何度確認しても私は確実に幸せだった。

「うううっ」

 その時、突然彼が、頭を抱え苦しみだした。

「どうしたの」

 私はすぐに起き上がり、彼の傍らに行く。

「うううっ」

 彼は頭を抱えたまま動かない。私は心配でおろおろしてしまう。 

「ふぅ~」

 しかし、すぐに彼は顔を上げ、大きく息を吐いた。

「大丈夫」

「うん」

 彼は元の彼に戻っていた。

「どうしたの」

 私は心配で横から彼を覗き込む。

「うん」

「大丈夫?」

「うん、大丈夫」

「どうしたの」

「・・、僕は時々死にたくなるんだ」

「え?」

「時々発作的に、苦しみが湧き上がって来て、堪らなくなるんだ」

「そうなの」

「うん」

「大丈夫なの」

「うん、いつもすぐに治まる」

「そうなの」

「うん、だから大丈夫」

 彼は私を見た。

「心の病気なんだ」

「そうなの?そんな風には見えない」

「うん、最近は仕事もあまりしてないし、いろいろ睡眠とか食事とか生活習慣とか気を付けてるから、わりかし大丈夫なんだけど、でも、時々、なんか突然出て来るんだ」

「そうだったんだ」

 全然そんな感じはしなかった。日々呑気に生きている人にしか見えなかった。

「学校に行ったのがよくなかったんだ」

「そうなの」

「無理に学校なんか行ったから、今でもその後遺症で死にたくなるんだ」

「私も学校合わなかったな・・」

「あんなの合う人間の方がおかしいんだよ」

「うん、そうかもしれない」

「もう、最初に学校に行った日からもう堪らなく辛かったよ。家に帰って来て無性に悲しかったのを今でも覚えてる。それでもなんか学校に行かなきゃいけなくて、それが当たり前で、それに従わざる負えなくて、それで・・」

 初めて見る彼の悲しそうな顔だった。

「学校は地獄だったよ・・」

「・・・」

 私も学校は辛いことが多かった。でも、学校に行くことが当たり前で、それに適応できない自分の方がおかしいんだって、ずっと思い込んでいた。でもやっぱり、こんなに純粋な人をここまで壊してしまうなんて、学校の方がおかしかったんだ。今まで感じていた違和感の答えを、ここで私ははっきりと理解した。

「高校まではなんとか行ったんだけど、そこでギブアップ。高校二年の時、不登校で退学。でも、もっと、早い段階で辞めておけばよかったんだ。あんなとこ。というか最初から行くんじゃなかった」

 そして、彼は私を抱きしめた。

「不安なんだ」

 神様にすがる迷い子のように、彼は私を抱きしめる。

「堪らなく不安なんだ」

 彼はさらに私をきつく抱きしめる。彼の想いがその込めた力の中から私の中にビリビリと伝わってくる。

「悲しいんだ」

「うん」

「なんでこんなに世界は汚いんだろう」

「うん・・」

「僕はただ、穏やかに生きたいだけなのに」

「うん」

 私もそうだった。ただ穏やかにみんなと平和に暮らしたいだけなのに、でも、そうは絶対ならなくて、なんか争いばかりで、そして、なんか生きづらい・・。

「なんで世界はこんななんだろう」

「うん」

 彼の悲しみは世界に絶望していた。

「なんで世界はこんななんだろう」

「うん」

 その理由はよく分からなかったけど、でも、やっぱり否応なく世界はこんななんだ。その中で私たちは生きてきた。そして、これからもこの世界で生きていかなきゃいけないんだ・・。

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