1話 黒井タケシという男


こんにちは。

俺の名前は、黒井タケシ。


地元で有名な塾で、講師をやって10数年。

今では、塾界でナンバーワン講師の称号をもらっている。


生徒たちが、自分の道へ進む一助になりたいと思って、目指した塾講師だったけど、まさかナンバーワンと称されるとは、夢にも思ってなかった。


専門は、物理と数学だ。

単位制のこの塾では、受けたい授業と講師を自分で選択する方式だから、ありがたいことに、俺の授業はいつも満員御礼。


抽選から漏れて、授業を受けれなかった子達には、こっそりとポイントをまとめた資料なんかも無償で配っている。


時間外にも、生徒たちの勉強やプライベートの相談にも乗っていたためか、いろんな生徒から声がかかるようになって、人気に拍車がかかったようだ。


ただし、一つ言っておく。

俺は、イケメンと呼ばれる部類ではないことを。


新卒で入社して、10数年。

年齢は36歳になった。

彼女は…聞かないでいただこう。


中肉中背。

パッとせず、無精髭が生えている顔は、清潔感があるとは言えないだろう。


しかしだ。


こんな俺でも、生徒から人気があるのだ。

決して、思い込みではないぞ。

現に今からある授業もご覧の通りなのだ。


ガラガラッ


タケシが教室にはいると、余すところなく座席についた生徒たちが、お喋りをやめて一瞬で静かになる。


フフっ。見よ!この満員たる教室を!

これは俺の授業では、当たり前なのだ。


そして、俺の威厳も、しっかりと保たれている。要は尊敬だ。


"人の話を聞かない奴は、俺の授業を受ける資格無し"


毎年最初の授業で、俺が生徒に伝えていることだ。なので、俺が教室へ入れば、お喋りは勝手に止まる。



「さぁて、授業を始めますかぁ。」



タケシは、持っていた教科書を開いて、生徒たちに開始を告げる。



「え〜と、今日は"力学的エネルギー"の話だったな」





「…なので、本来ある摩擦エネルギーまで考えておくと、理解が深まって勉強しやすいぞぉ!」



そう言いながら、タケシはチョークで黒板に書き記した。そのタイミングで終わりの鐘がなる。



「おっと、終わりか。次は"非保存力"の話から始めるから、みんな予習しとけよぉ!」



そう言うと、生徒達は各々片付け始め、徐々に教室から出て行く。

タケシが、黒板消しを使って丁寧に黒板を磨いていると、後ろから声をかける生徒がいた。



「先生!先生って!」



タケシが振り返ると、ショーのイルカのように、教壇に上半身を乗り上げ、ブレザー姿で、可愛らしい笑みを浮かべている女子生徒がいた。



「おう、渚か?どーしたよ?」



タケシは、黒板を磨くのをやめて、スーツの袖についたチョークの粉をはたきながら、渚と呼ぶ女子生徒へと向き直る。



「いい加減さ、デジタル化しようよ!そうすれば、抽選漏れた子達も受けやすくなるし、先生も負担が減るでしょ?黒板もそうやって消さなくて済むし。」


「ま〜た、その話か。何度も言ってんだろ?黒板と教壇と座っている生徒。これがあってこそ、"教師冥利に尽きる"ってやつよ!」


「教師冥利って…。ほんと、古臭いんだからなぁ。」



渚と呼ばれた生徒は、明らかに不満気な顔をして、腕を組む。



「まぁ、そう言うなよ。通信技術の必要性だって、俺は理解してるけどさ、直接会って、見て、聞いた方が、身になる事が多いと思うよ。」


「そうかもしれないけど、先生の授業を受けたい子がどんだけいるか、わかってる?その子たちの事も、考えてあげなよ!」


「…まぁ、たしかにそうなんだが。しかし、俺の力作である"タケシズマテリアルズ"もそういった生徒たちに配ってて、結構好評なんだぜ?」



そう言って、タケシはウィンクとサムズアップでアピールすると、渚は「もうっ!」と呆れて、教室から出ていってしまった。


実はこのやり取りは、ここ数年何度もやっている。塾の運営会社からも、"ぜひデジタル化を"とお願いされてはいるが、俺のわがままでこのスタイルを貫いているのだ。


まぁ、そのわがままも、俺がナンバーワン講師だからこそなんだが…

最近は、生徒たちからも"デジタル化デジタル化"と言われ続けるから、少し悩んでもいるのも本音である。


そんな事を考えながら、タケシは黒板磨きに戻る。

全てを消し終え、最後の"聖なる儀式"である"クリーナー"を丁寧に行い、黒板消しを新品に近い状態まで戻し終えると、黒板に向かってお辞儀をする。


これも俺が塾の講師になってから、ずっと続けている事だ。

そして、その姿を見た何人かの生徒たちが、



「先生!今日の儀式は終わった?ここ教えて欲しいんだけど!」



そう言って、教壇までやってくる。

これも、俺の授業では当たり前。


俺の"聖なる儀式"が終わってから、生徒たちの質問タイムが始まるのだ。



タケシは、グッと背伸びをして、気分を入れ替えて、



「よぉし、質問がある奴ら、順番に並べぇ!」



と言って、生徒たちに指示するのであった。





「ふぅ。」



時刻は19時半。

タケシは、生徒たちからの質問責めを、的確かつスピーディーにこなし終え、教員室で明日の準備をしていた。



「お疲れ様です。黒井先生。」


「あっ…、おっ、お疲れ様です。若林先生!」



タケシは、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、声をかけてきた女性教員へと向き直る。


若林紀子、28歳、独身。

艶のあるロングストレートの黒髪。

幼さが残るも艶のある唇と、赤いメガネが大人っぽさを際立たせている可愛らしい顔立ち。着ているニットワンピースからは、細さの中にも妖艶さが滲み出た、豊満な肉付きを感じさせている。


生徒たちから、"のりピー"の愛称で親しまれている若林は、タケシにとって予想通りの存在である。



「今日も、相変わらず大変な人気でしたね。」


「ハハハ…ありがたい話です。」



タケシは、下を向いて頭を掻きながら、小さく返事をする。



「私も黒井先生を見習わなきゃです!」



若林はタケシに向かってそう言うと、両手をグッと握って、可愛らしいガッツポーズをする。

その愛らしさに、タケシは噴き出しそうになる鼻血を堪えながら、必死に返事をする。



「わっ、若林先生だって…生徒たちから、人気あるじゃないですか。」


「いえいえ、慕ってくれているのはわかるんですが、それだけじゃダメなんです!黒井先生みたいに、頼られる存在にならないと!」



若林はそう言いながら、目を輝かせて胸元で握り拳を作り、天を仰ぐ。


いちいち仕草が、天然で可愛らしすぎる。

一般の人には目の保養なのだろうが、タケシにとっては心臓に悪いくらいの衝撃なのだ。


そんな中、若林の後方に、教員室のドアからこっそりとこちらを伺っている、数人の生徒たちを発見する。

彼らはタケシと目が合うと、ニヤニヤしながらガッツポーズと口パクで、冷やかし混じりの声援を送ってくる。



(くそっ!あいつら…余計なお世話じゃ!)


若林に気づかれないよう、シッシッと"帰れ"のジェスチャーするタケシに対し、生徒らはクスクス笑いながら、静かにドアを閉めた。



「黒井先生?どうかしました?」


「えっ?あっ!いや、何でも、何でもないですよ!ハハハ。」



急な問いかけに、たじろぎながら若林へ返事をするタケシ。


彼の毎日は、このように平和に終わっていく。



はずであったのだが…


これから起こる事を、タケシはもちろん知る由はない。

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