#02 夢を追うマギー、シークとの再会

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実家での休暇を終えて出勤したマギー。

なんと、大切な仕事がなくなるかもしれないという、ニュースが飛びこんできた!


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 数日後。ブラウン運輸にて。

 マーガレットが短い休暇を終えて出社すると、オフィスが騒然としている。

「ああ、マーガレット、待ってたのよ~~」

 マーガレットの顔を見るなり、同僚のアナベルが栗色の髪をなびかせながら駆けより、声をかけてきた。

「ねえ、あなたとっくに知ってたんでしょ?」

「なんのこと?」

「会社が吸収合併されるってことよ」

「なんですって? 冗談でしょう!」

「あら、社長秘書のあなたが知らなかったの? じゃあ、極秘で進んでいたっていうのは嘘じゃなかったのね」

「ホントなのその話? だいたい、どこに吸収されるっていうの?」

「それがね、Gエクスプレスらしいのよ」

「国内でトップをねらう勢いの会社じゃない!」

「そうよ。国内どころか、いまやヨーロッパで飛ぶ鳥を落とす勢いの国際配送会社よ」

 マーガレットは社長室に急ぎ、ドアをノックした。だが、社長はまだ出社していなかった。

 ブラウン運輸の社長秘書となって三年。それなのに、社長が合併を進めていたなんてまるで知らなかった……。

 たしかに近ごろ、引退したいと社長は言いはじめていた。業界でのシェアも以前よりは落ちている。

 でも、堅実で信頼の高い経営方針で固定客はしっかりつかんでいた。だからこそ、世界じゅうを襲った不況の波も乗り越えてこられたのだ。

 でも、まさか合併だなんて。それも吸収されるなんて、いったいどうなるんだろう?


「合併になったら、わたしたち、どうなるのかしら?」

 カフェテリアでのランチタイム。ため息混じりについ不安が口に出てしまう。

 そんなマーガレットと対照的に、アナベルはいたってのんきそうだ。

「社長は面倒見のいいひとだもの、あたしたち社員の身分をしっかり保障してくれるという条件で、合併にイエスと言ったんじゃないの?」

「なにのんきなことを言ってるの、アナベル! 資本主義なんて弱肉強食なのよ。わたしたちの行く先なんて、目に見えているわ」

「あ~あ、またマーガレットの心配性が始まった。いいわよ、あたし、クビにされる前に合併先のイケメンをしっかり捕まえて、ウエディングシャワーを浴びてみせるから」

「アナベルったら、ホントにお気楽っていうか……あいかわらず結婚願望が強いのね」

「あら、悪い? 女の人生なんて男で決まるのよ……あなたももう少し、現実をみたほうがいいわ」

「もう、自分の人生を自分で決めないでどうするのよ! 相手しだいで人生が左右されるなんて、おかしいわ! いまどき、女とか男とか関係な……」

「ハイハイ、そこまでにして! あなたの口癖は聞き飽きてるの……そんなことより、ねえ知ってた? 新しいオーナーって、ものすっごいハンサムなシークらしいの。でも、かなり強引で傲慢なんですって。強い男って憧れちゃうわあ」

 うっとりと、アナベルが言う。

 アナベルの言った‘シーク’の言葉に、マーガレットはどきっとした。

 そして唐突に、あの日、牧場でファハドにいきなりキスされた感触がよみがえってしまう。あのときの彼の唇。触れた瞬間に、まるで体じゅうに電気が走ったみたいになって、動けなくなってしまったのだ。体が勝手に反応してしまった。

 いま思い出しただけでも、顔がほてってくる……

 そんな自分をアナベルに気づかれたくなくて、マギーは思わず口走ってしまう。

「強引で傲慢な男なんて、興味ないわ!」

「やだ、マーガレット、いきなり大きな声を出さないでよ。それに、ちょっと顔が赤いわよ、風邪?」

 アナベルが額に手をあてようとこちらに手をのばしてきた。マーガレットは、違う違うと頭を振った。

「なんでもないったら……でも吸収合併されたら、わたしたちリストラされるかもしれないのよ。そんなことになったら、どうしたらいいのよ!」


   * * *


「本当に、この先どうなるんだろう?」

 パウダールームでメイク直しをしながら、鏡に映る自分に向かってマーガレットは思わずつぶやいた。

 彼女はいま二八歳。物心つく前から馬が大好きで、父の経営する牧場を継ぐのを夢見たこともあった。

 でも父は、後継者を彼女の兄であるロバートとから決めていた。兄のほうは、まったく望んでいないというのに。

 彼女が一三歳のとき、長年病気がちだった母が亡くなった。

 母の葬儀のあと、マーガレットは父と兄を前にして、学校を卒業したら牧場を継ぐために修業したいと、思い切って宣言したのだけれど――。

 父はそんな彼女の宣言を笑って片づけた。

「牧場はロバートに任せる。おまえは心配するな」と言って。

 父に言わせれば、牧場経営は女には無理というわけだ。

 牧場経営に男女の差なんてないはずなのに、父親の古風な考えを変えるのは、馬を調教するよりはるかに難しい。

 だからマーガレットは、父の気持ちを変えることはあきらめた。

 そのかわり、いつか馬とかかわれる仕事をするために、ハイスクールを卒業すると同時に家を出て、ロンドンのビジネススクールで学んだ。

 そしていくつかの職を経たあと、いまの仕事についたのだ。

 ブラウン運輸は、家族的な経営の社長のもと、居心地よく働けて、流通についても深くかかわることのできる職場だった。

 だがそんな形で、この厳しい競争社会を生き抜けるほど甘くはない。こうなる日がくることを、薄々感じてはいたけれど……。

「いまが辞めどきなのかしら。いいえ、まだ早いわ……」

 マーガレットには胸に秘めた夢がある。

 それは、世界各地の知られざる良馬と、イギリスを始めとする欧州の馬主や牧場とを橋渡しするコーディネーターだ。

 とは言え、競馬界は一般社会よりもはるかに男性上位。逆に言えば、女性ならではのやり方ができる場かもしれない――そう思いついたときから、ひとすじの光が彼女の心に差し込んできた。

 それ以来、マーガレットは、夢をかなえるために日頃から情報収集や人脈づくりに努めた。情報発信のためにITの技能を磨く一方で、開業資金もコツコツ貯めている。

 もちろん、まだまだ全然足りないが。

「もう少しだけがんばらなくちゃ。夢をかなえるために……」


   * * *


 二日後。マーガレットは、ブラウン社長のお供でGエクスプレス社に向かった。

 Gエクスプレス社の応接室は驚くほど広く豪華だった。

 ビルの中とは思えないほど高い天井。大きな一枚ガラスの窓からは、ロンドンの市街地が見わたせる。

 やわらかなイタリア製の革張りソファが並び、壁には躍動感いっぱいに駆ける馬を描いた大きな絵がかかっている。

 マーガレットの目は、その絵にくぎ付けになった。

 馬が駆けているのは砂漠? 光輝く毛並みは、葦毛あしげとは少し違うようだけど……。しばし見とれていた。

 応接室のドアが開き、三〇代とおぼしき、ふたりの男性がなかへ入ってきた。

「あ!」

 マーガレットは小さく声をあげて目をみはった。

 上等な仕立のスーツに上質な靴、ぴったりなでつけた髪、なによりもエキゾチックなあの顔立ちを忘れるはずがない。

 わたしの唇をいきなり奪ったあの男!

 だが、男のほうはまるで気づいていない。

 マーガレットは仕事では、地味で堅い印象のスーツに髪をきつくまとめ、だてメガネもかけている。

 牧場では、デニムにジョッキーブーツ、ラフなコットンシャツ姿ばっかりだから、ぱっと見、気づかないのも不思議じゃない。

「ようこそ、ブラウン社長!」

 ファハドのほうから笑顔を浮かべて、ブラウン社長に握手を求めてきた。

「こちらこそ、お時間をとっていただいて……。ああ、紹介します。秘書のミズ・ローパーです」

「初めまして、ミズ……?」

 瞳をのぞきこみ、手を差しだしたところで、彼はようやくマーガレットに気づいたようだ。

「お目にかかれて光栄です、ジャーシム社長」

 かたや彼女はにっこり微笑み、礼儀正しく挨拶をした。

 けれども、軽い握手の手が触れあったとたん、牧場でのことがよみがえってしまった。

 触れた手が、燃え上がるように熱い。

 マーガレットはそんな思いをさとられないよう、冷静な秘書でいることに必死だった。

 ファハドのほうは、そんな彼女をおもしろがっている様子だ。

 互いに目を離さないまま沈黙が続いた。


「ふたりとも知り合いだったのかな?」

 ブラウン社長の声で、マーガレットははっと我にかえった。

「まさか! だれが、こんな不躾な……い、いえ、失礼いたしました」

 思わず顔が熱くなるのを感じながら、マーガレットは自分を抑えた。

「このかたは、父の牧場のお客さまなんです……少し前にわたしはそのことを知ったばかりで……まさか、こちらの社長だったとは」

「ふむ、たしかに、社長は馬主としても有名だ。きみのお父上にとっても、大事なお客さまというわけだね」

 ふたりのやりとりを見ていたファハドが、ようやく口をはさんだ。

「ブラウン社長、彼女は実に威勢がよくて、頼もしいスタッフとお見受けしました」

「威勢ですか? ああ、そうですな。秘書としてはもちろんですが、IT関連に関しても相当な実績がありましてね。うちのシステム運営は彼女のおかげでうまくいっているようなものです」

「なるほど」

「今回の合併にあたり、御社とのシステム統合業務も、彼女に全面的に任せるつもりでいます。本日はそのご報告もかねてご挨拶にうかがったというわけです」

「それは、お手並みを拝見するのが楽しみだ」

 またしてもファハドは、値踏みするような視線をマーガレットに向けてきた。

 いや、いまの視線は、挑戦的と言ってもいいかもしれない。

「そうだ、紹介が遅れたが、わたしが最も信頼する部下のギルバート・ウィクリフだ」

 後ろに控えていた貴族然とした顔立ちの、金髪に青い瞳の美青年が一歩踏みだした。

「初めまして、ミズ・ローパー。これからよろしく」

 ミスター・ウィクリフの挨拶を、うわの空で返すマーガレット。

 そんな彼女をギルバートが興味深そうに見ていた。

「では、新会社設立の記者会見について打ち合わせに入ろう」ファハドが声をかける。

「おお、そうでしたな。では、用意した資料をおふたりにお渡しして」

 ブラウン社長がマーガレットに指示を出す。

「はい、こちらになります。どうぞ……」

 社長の指示にテキパキと応じる一方、彼女の心は激しく動揺していた。

 なんということだろう、あの失礼な男が合併先の社長だったなんて……。しかもシークですって?

 彼らのやりとりが、マーガレットの耳にはろくに入らなかった。

 きっとリストラ候補の筆頭にあげられるに違いない……その思いを必死で振り払おうとする彼女だった。

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